日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「システム」(論)から「香港デモ」を見直すとき

2019-08-22 | 社会 政治

「システム」(論)から「香港デモ」を見直すとき

連日マスコミの話題となっている「香港デモ」について「システム」の観点から一言。 中国が2040年頃には覇権国となるだろうといった見方を最近よく聞くようになった。勿論、これに対して今も中国は崩壊するという見方もなお根強いが。

中国が覇権国となると予想、予測する論者のほとんどは、その理由に関して正鵠な議論ができていない。その一つに、香港デモに象徴される「民主化」に関連した動きを、覇権国に至る歩みの中で位置付け理解することはないというか、できないのである。

もう同じ話をするのも気が引けるので、詳しくは拙著『民主化の先進国がたどる経済衰退ー経済大国の興亡史と自由民主主義体制の成立過程に関する一仮説ー』(晃洋書房、1995年)を参照されたい。ここでの話は歴史の「枠組み」を「モデル」として提供するものであり、それに依拠した詳しい歴史は描かれていない。なお、今日の米国と中国の「三位一体」的な相互補完的関係史をまとめなければならないが、私の眼の状態を踏まえれば、前途多難。私の代わりにこの作業をしたい者がいれば幸いである。協力したい。

手短に言えば、イギリスも米国も覇権国として登場する約30年前の時期には、民主化要求を力でもって弾圧していたということであり、覇権国として君臨した後も、なお国内の民主化の要求を満足できない段階にあったということである。今の中国の香港デモや新疆・ウイグル、チベットに対する弾圧は、先の両覇権国がたどった歴史と酷似している。

対外的な観点から見ても、今の中国が世界中にその支配力を拡大する動きと類似して、英国も米国も強権的な対外活動を展開していたのである。私のモデルで描く、Ⅰ期の[権威主義的な性格の政治→経済発展]の段階に位置していたのである。そこから次の段階のⅡ期の特徴である[経済発展→分厚い中間層の形成]の段階に至っても、なおその前期においては、Ⅰ期の段階の特徴が根強く残っていたのである。

前回のブログ記事でも書いたように、私たちはシステムに「強制的」(勿論、これを「自由」に読み換えてもなんら構わない)に「総連行(総動員)」されながら「従軍」している「システム人」なのだという自覚とそうした立場からの批判的考察でもって歴史を回顧しない限りは、「少女像」に象徴される哀れな、かわいそうなシステム人としての「私」としての存在に気が付くことは永遠にないだろう。(なお、これに関しては、拙稿 「「歴史叙述の神話」に関する一考察ー「システム」とその自己完結運動から「歴史」を語り直すー 」(『外大論叢』第66巻 第3号、2016年を参照されたい。)それゆえ、少女像の「モデル」は時代背景が異なるとか、否そうではないといった類のレベルの議論ばかりが横行してしまい、対立する両社も同じシステム人としてシステムとその関係の歩みを担いながら生きている、生きていかざるを得ないといった「宿あ」を感じられないままなのである。まるで他人事の歴史となる。それゆえ、本当に「どうでもいい」話となるのだ。自分自身の歴史なのだとして受け止められるならば、いきなり憲法の表現の自由だとか、国益、公共の福祉だとか云々の議論の前に、もっと身近な「感じる心」から、第一声を発したはずだろう。

最後にこれもまた今回の記事同様に「余談」なのだが、日本と韓国の対立を巡る論議において、「政治」と「経済」は分けて考えるべきだ云々の話がマスコミ報道でなされる。私はこんな話を真顔でできる者にあきれるばかりだが、私のこうした物言いも詮無いことなのだろう。それにしても、私たちはいつからこれほどおろかになったのだろうか、と私自身の愚かさを自覚しながらも、あえて言わざるを得ないのだ。これこそ。「インドは貧しいが世界最大の民主主義国だ」といった見方を何ら違和感なく私たちに受容させてきた「何か」かもしれない。また同じ話を繰り返してしまった。ご寛恕お願いするのみ。

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