虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

コウモリの手はどうなっているの?

2014-11-15 21:30:24 | 通常レッスン

小学2年生の女の子たちのグループレッスンで、

「鳥と飛ぶ恐竜(プテラノドンなど)とコウモリの脚は何本か、どうなっているのか」

が話題になりました。

 

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少し前の別のグループのレッスンで、男の子たちが図鑑を見て、

飛ぶ恐竜の前脚は、翼と一体化していて、

指先の部分だけが外に出ていることに気づきました。

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コウモリは鳥に似ているのか、

飛ぶ恐竜に似ているのか、

興味津津で調べてみたら、

その姿の意外さに子どもたちはみんな目を丸くしていました。

驚くと同時にすっかりコウモリの虜になったAちゃん、Bちゃん。

コウモリの図鑑を作ることにしていました。

 

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Cちゃんは本格的なプロフィール帳作り。

 

Dちゃんはビー玉迷路作りに興じていました。


子どもの性格について考えることでどんないいことがあるの?

2014-11-13 21:50:43 | 子どもの個性と学習タイプ

虹色教室では(ユングのタイプ論による)子どもの性格タイプを把握して、

それに合わせた接し方をすることがよくあります。

このように話すと、子どもを一時期の外からの見た目で分類して、

「○○タイプ」という情報のフィルターを通して、

小さな枠に押し込んだ形に育てるのじゃないかと心配する方もいます。

でも、実際に性格タイプについて思いをめぐらすことは、

そうしたステレオタイプな見方や考え方とは真逆にあるとも言えるものです。

もともと人は、自分以外の人を眺めるとき、

「自分」というフィルターを通して眺めているものです。


自分の感じ方や見え方や感じ方、それまでの自分の経験や教えられたこと

自分が良しとするもの、価値を感じるもの、あこがれるものによる格付け、

今いる環境にある価値観をどうとらえているか……

そのように「自分」を通して相手を理解しているものです。

 

わが子についてより広い視野で理解しようと思っていても、

自分にとって「わからないもの」「ネガティブに捉えてきたもの」は、

やっぱりそのようにしか見えないし、

理解しようと思うあまり、極端な甘やかしに傾いたり、

嫌な部分は見て見ぬふりをしてしまうこともあります。

一方、欠点は小さいうちからしつけて修正していかなくてはと思うあまりに、

その子の個性的な長所まで押さえつけて、

子どもの性質となじまない親の価値観を押しつけてて育ててしまうことも

多々あります。

 

性格タイプを知るということは、まず、自分の見え方や感じ方や価値観が

全てではないと知ることです。

また、今、子どもの置かれている環境にある価値基準も、

あるひとつの価値観を体系化したもので、絶対的なものではないことを学ぶことです。

 

たとえば、ユングのタイプ論では、

人の構え(態度)を大きくふたつに分けて考えています。

外向性と内向性です。

といっても、人はそのどちらかに分類されるのではなく、

外向性も内向性も持っているけれど、

ふだん表に出ている態度がどちらなのかで、

「外向的な人」と「内向的な人」という違いが生じています。

 

外向的な人とは、関心が外の世界に向かっていて、どんな環境や状況にも

合わせることができる人です。

内向的な人とは、外の世界よりも自分の心の中の世界に関心が向かう人で、

身の回りの環境は、自分の心に合っているか、受け入れられるかを一番に考えます。

環境や出来事が、みんなからうらやましがられるようなすごい価値を持ったものでも、

自分にとって興味がなければ価値を感じないのです。

 

わが子が、外向的な人にも内向的な人にも

その性質だからこその長所があります。

どちらかが正しくて良い態度だから、どちらかの態度に矯正していくものではなく、

一方に偏り過ぎずバランスよく、

長所を磨きながら生活していくのがよいのだと思います。

 

外向的な人の長所はどんな環境にも合わせられることです。

でもそれは自分が何をすると、楽しい気分になり、充実できるかを、

環境や状況に依存しているともいえます。

 

内向的な人は、新しい環境や状況になかなかなじめないけれど、

ひとたび自分に自信を持つと、トラブルが起きたり、周囲から批判されたりしても、

強く信念を抱いてやりすごせるところがあります。

 

そのように、人の態度に、外の世界か、自分の内面かという

ふたつの方向性のようなものがあって、

どちらにも長所と短所があることを知っておくと、次のような良い点があります。


たとえば、子どもをサークルや幼稚園に連れて行った時、

そこになじまず、嫌がって泣くことが続くと、

「この子は、社会性が育ってないのかしら?」「今まで甘やかしすぎたのかしら?」

「発達障害があるのかしら?」

「どうしてこんなに頑固でわがままなんだろう?」と、

子どもに対するネガティブな思いでいっぱいになってしまう時があります。

確かに、そうした態度を取る子の中には、社会性の育ちがゆっくりで、

発達障害の疑いのある子もいます。

でも、そうではなく、内向的な性質のために

新しい環境になじむまでに時間がかかる子もいることを知っておくことは、

大事なことだと感じているのです。

もし、それを知らないと、「この子は協調性がないから」と子どもに無理させたり、

攻撃的な言葉で責めて自信を失わせるようなこともあるからです。

特に外向的な方が内向的な子を育てている場合や、

内向的な方が外向的な子を育てている場合は、

誤解や偏見によって、子どもの心を傷つけたり、本来の子どもの性格を抑圧して、

親の価値に添うようにゆがめて育てることがないように

注意しなくてはなりません。

そうした意味で、私は子育て中、性格タイプに考えをめぐらせることや、

子どもの性格タイプを把握するように努めることは大事なことだと

感じています。

 

子どもの性格タイプについて知っておくことが特に大切だ、と感じるのは、

「子どもとはこういうものですよ」「子どもはこのように発達します」

「子どもはこのようなことを好み、こうすると進歩します」

といった人気の育児法や教育法をもとに子育てしている時です。

たとえば、モンテッソーリ教育を実践している方の中には、

「全ての子どもは秩序感を好み、同じ作業を満足するまで繰り返すもので、

それをしたがらない子は発達を逸脱した子ではないか」

と信じている方がけっこういます。

実際、モンテッソーリ教育の関連本では、

「全ての子どもはこのような存在である」と言い切るような説明がなされています。

私はモンテッソーリ教育のすばらしさを実感しているし、

どの子にも大切なものだとは思っています。

でも、子どもたちに接していると、モンテッソーリの「お仕事」を嫌がり、

手本通り教えようとすると、おちょけて自分勝手に振舞うごく普通の子たちがいるのです。

モンテッソーリ教育というフィルターを通して眺めると、

「問題児」か「困ったちゃん」か「発達がゆっくりの子」にしか見えないほど、

感覚的な作業を繰り返すことを嫌がり、いつも新しい刺激を求めて

奇想天外な物の使い方をし、手本通りせずに、自分のやり方にこだわる子です。

子どもは「どの子もこのようなものである」という捉え方を緩めて、

子どもにはさまざまな性格タイプがあって、優れている機能が異なる……という

見方をすると、直観が優れている子たちは、感覚が劣等機能にあたるので、

モンテッソーリの教育法が苦手な子がいても少しも不思議ではないのです。


「感覚的な作業を繰り返すことを嫌がり、いつも新しい刺激を求めて

奇想天外な物の使い方をし、手本通りせずに、自分のやり方にこだわる子」

というのは、

「想像力に富み、独創的で創造的で、機械的推理能力が優れていて、

ユーモアがあって柔軟で意味を察することが得意」な子が多い、

直観が優れているタイプであることがよくあるのです。

 

 



↑ ユースホステルのレッスンで。マジックボールを10ずつすくっています。

30すくって「10の3回分」と言っていた子もいました(ココプラザの美術工房です)

 

今回のユースホステルでのレッスンは、

外向型の子と内向型の子が、半々くらいの比率でした。

全員、初めて会った子たちなのですが、外向型の子らは、

和室での2時間半ほどのレッスンの間にもう何年来の仲良しみたいに親しくなって、

じゃれたり、けんかしたり、「いっしょに~しようよ」と相談しあって

移動したりしていました。

私にもたちまちなついて、食事の時には、「ぼくが先生の隣だよ」と主張したり、

自分の工作を動かすための方法を習いたがったり、

理科でクイズを出すときには、自分が先生のように振舞って、

「みんなちゃんと座って!こっちで勉強しないと意味ないじゃんんか!」と

しきることもまでやっていました。

ルールのあるカードゲームも、初めてするものも、すぐにゲームの流れを察して、

楽しそうに遊んでいました。





一方で、内向型の子たちは、

そうして積極的に参加している子たちの様子を観察することからスタートし、

ゆるゆると自分のペースで関わっていました。

私が、「○○してみる?」と誘うと、ちょっとひきつった表情をして、固まるか、

首を振る子もいます。

そのように表面的には、その場の活動への参加を嫌がっているように見える時も、

こうした内向型の子たちは、

イメージの世界では、「こんなふうに参加したい」という自分像を持っていたり、

ひとりひとりの人を観察しながら、その人との距離の取り方を測っていたりするのが

わかりました。

内向型の子たちは、その内気でもじもじした消極的な態度からは想像がつかない

くらいに、理想的な自分の振舞い方のイメージや高いプライドや自分なりの考えや

判断を持っている場合が多々ありますから、

安易に積極的な子たちと同じ活動をするよう干渉しすぎると、

それが原因で傷ついたり、へそを曲げてしまうことがあります。

自由度が高い場では、ちょっと冷たいようでも、

(ひとりにさせておくようで気にかかるでしょうが)本人がしたいようにして、

そっとしておくといい場合があります。

そうして、あまり構いすぎないようにして様子をうかがっていると、

自分がやってみたいと思うことをしている子たちの方を

食い入るように見つめているはずです。

もし、そこで、大人が寄ってたかって機嫌を取ったり、

なだめすかして参加させようとしたり、強制的に他の子の輪に入れようとすると、

内向型の子たちは、そうした自分への侵入的な態度に反発したり、

ただなすがままに依存的に従ったりして、

「ぼくは(私は)ダメな子なのかな?」という他の子たちより自分には

足りないものがあるというイメージを自分にかぶせるときがあります。

ただ、そっと子どもを尊重して待ってあげることが、

大事な場合が多々あるのです。(発達障害を持っている子への対応はまた異なります)

 

続きを読んでくださる方はこちらをどうぞ

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 4

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 5

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 6

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 7

子どもの性格タイプについて考えることでどんないいことがあるの? 8

 

 

性格タイプによって、作る作品にこんな特徴があらわれることがあります。 ↓

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子どもの性格タイプによって

作る作品も創作活動から学び取るものもずいぶんちがうように感じます。

感覚タイプや感覚寄りの子たちは、労を惜しみません。

大量の作業をこなしながら「規則性」を導きだします。

直観タイプや直観寄りの子たちは、大雑把であまりていねいに作りませんが、

独創的で、自発的に次々ひらめいて作ります。

科学的な仕組みを利用した工作なども好みます。

作品作りから抽象的思考を発展させます。

感情タイプの子も思考タイプの子も、感覚寄りか思考寄りかで、

作品作りから何を学びとるかが、異なるように思います。



<内向的思考感覚寄りの子の作品>(内向的感覚思考寄りの子かも)



内向的思考感覚寄り、内向的感覚思考寄りの子たちは、

大人顔負けの作品を作るけれど、大人の手助けを嫌がって

全て自分で作りたがります。

直観タイプの子たちが壮大なアイデアを思いつくものの、

めんどうな作業は手伝ってもらうことをすぐにあてにするのとは

ずいぶんちがいます。

このタイプの子たちの作品は計算された建築物のような美しさがあるものが多いです。

色にも形にも数にもこだわります。

作品作りを通じて、「規則性」に気付きます。



<内向的思考感覚寄りの子の作品>(内向的感覚思考寄りの子かも)




<内向的感覚思考寄りの子の作品>(内向的感覚感情寄りかも)



<外向的思考直観寄りの子の作品>(外向的直観思考寄りかも)

駅のエレベーター。入口と出口が変化するように工夫しています。色使いもきれいです。

 





独創的で直観的な作品作りが多かったので、

ずっと外向直観思考寄りの子だと思っていたのですが、

成長するにつれて思考力が急速に伸びてきたことと、

感覚を必要とするていねいな作業も得意なことと、

他人の感情を読むことが少し苦手なことから、

外向思考直観寄りの子だろうと思うようになりました。



<外向的直観思考寄りの子の作品>(外向思考直観寄りかも)



おおざっぱな作りとはいえ、独創的で宇宙をテーマに作っているところと、

他に船や車などを作るときに、動きを作りだす工夫をしたり、自分で発想して、

問題を解決していく力があるところから、外向直観思考寄りの子ではないかな、

と思いました。



<外向感情感覚寄りの子の作品>



たくさん作る労を惜しまないところがあります。

感情に響く作品作りが好き。写真は詩のカード。




友だちとの交流を目的にした作品作りも好きです。

 



<外向的直観感情寄りの子の作品>







遊べる作品が好き。

自分のオリジナルアイデアを盛り込みます。仕上がりはこだわらず、

大きなサイズのものを作るのが好き。

 


<外向的直観感情寄りの子の作品>


アイデア重視で、2階建てにするとか、3階建てにするとか、凝ったものが好きです。

大きなサイズの遊べるものを作るのが好きです。

 



<外向的感覚思考寄りの子の作品>

このタイプの子は、労を惜しまないところと、

頭を使うことを好むところがあるので、自分から「テスト」や「通知表」

「スケジュール表」などを作りたがる子がいます。



<内向感覚感情寄りの子の作品> (内向的感情感覚寄りの子かも)


美しい色が好き。労を惜しまないところと、ていねいに作業する繊細さが

あります。自然への興味につながる制作を好みます。

(香水作り、石鹸作りなど、貝殻でする制作、星座を手芸で表現するなど)

 



<外向的感情感覚寄りの子の作品>

労を惜しまないところがあります。ファッション、お人形などのテーマを好みます。



<外向的直観思考寄りの子の作品>(外向的直観感情寄りかも)






ボールの向きを変えるアイデアを工夫しています。

他にも運動の向きを変えたり、

玉を押しだすさまざまな仕組みなどを、ゼロから考え出す力が優れています。



<外向的直観思考寄りの子の作品>

中学生の男の子の作品。ライトがつくピタゴラスイッチ。

 


<内向的直観思考寄りの子の作品>

うちの息子の高校生のときの作品です。色合いや構図がこのタイプの子が

好みそうなものだなと思いました。

 

 






内向感覚思考寄りの子 と 内向思考感覚寄りの子

外向感覚思考寄りの子 と 外向思考感覚寄りの子 は、

たいていどの子も積み木遊びが大好きで

そこから自然に多くのことを学びとります。

↑ の写真は、おそらく内向思考感覚寄りと思われる1歳後半の男の子と

積み木で遊んでいる様子です。

感覚タイプの子たちは、物のサイズに敏感で、

囲った空間に、ぴったり物を収めることが大好きです。

秩序も好きですから、同じ数ずつ、空間に収めて並べていく作業も喜びます。

積み木遊びに色画用紙を取り入れて、

数台の電車をはみださないように置くことができるスペースを作ってあげると、

「狭い」「広い」という概念に親しみ、面積に対する興味にもつながります。

色画用紙を折ってトンネルを作ったり、紙で立体を作って

展開図のようになったものを見つつ遊べるようにしてあげるのも

このタイプの子の気持ちを満たします。

このタイプの子たちは長さが比べられる写真のような棒状の積み木や

遺跡などを作るとき仕上がりがきれいなレンガ積み木でよく遊びます。

このタイプの子らは、遊ぶことと学習の壁が薄いです。

歴史や地理や化学や計測と関係ある算数を幼いころから好みます。

けれども、感覚的に学びたいときに、考える問題をあれこれ出題されると

勉強を嫌がるようになるかもしれません。

自分の興味からスタートする学習を何度も繰り返すことが好きなのです。

几帳面で完璧主義なので、できることが確認できないと、

取り組みたがりません。理想やプライドが高い子が多いので、

他の同年代の子と比べるような学習をさせると、強い拒絶を示すときもあります。


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積み木遊びの話からそれますが、お勉強の話も少し……。

感覚タイプの子たちは、計測することがとても好きで、

算数を学び出したとき好むのも、


まわりのながさが、14センチの四角形があります。

たてはよこより1センチながいです。たてとよこの長さは何センチですか


といった問題や、



12デシリットルと、300ミリリットルを合わせると、

何デシリットルになりますか


といった問題や、

表やグラフにデーターをまとめてあって、分析しながら解いていく問題です。


感覚が優れている子たちはたいてい

新しいことよりも慣れている繰り返しを好みます。

ですから、毎日コツコツがんばって、

スローステップで力をつけていく系統学習を好む子も多いし、実際、それによって

力がついていきもします。

ただ、感覚が優れている子の中でも、

思考を使うことを好み、難問にチャレンジすることが好きな

外向か内向の感覚思考寄りの子 と 
外向か内向の思考感覚寄りの子の一部には、

スローステップで学ぶ方法はまどろっこしくつまらなく感じられる子もいるようです。

感覚が優れている子で、

思考タイプで感覚寄りという子も

感覚タイプで思考寄りという子も、

一般的に基礎計算の繰り返しなどを好むと捉えられている「幼児期や低学年の子」

という枠からはみ出してしまうような論理的な思考や抽象的な考え方を、

早い時期からしはじめます。

そうした子らは、暗記して練習させるだけでは、勉強に対する興味を失ってしまいます。

知力を限界まで使いたい子たちには

解いていて充足感が味わえるような問題を与える必要があります。

話を積み木遊びにもどして……



↑の写真は、外向的思考直観寄りの子と作った「なわばり図」ですが、

これはもともと内向的感覚思考寄りの子の作品からスタートした遊びです。

 






↑のような遺跡作りも、美しさだけでなく世界や歴史への興味を広げられる点で、

内向感覚思考寄り、内向思考感覚寄り、

外向感覚思考寄り、外向思考感覚寄りの子が好む積み木遊びです。

 

学習につまずきのある子のレッスン(人形ごっこで語彙力を伸ばす)

2014-11-13 19:36:26 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

小学2年生の●くんは普通級で学習している、

さまざまな面で少し発達がゆっくりしている男の子です。

個別で細かいサポートをしていると何とか学年相当の問題を理解できるけれど、

学校での授業の進行についていくのは次第に難しくなっているようです。

 

<7時半の時計の絵>から、3時間、経過した時刻を問う問題のように、

「時計の絵から何時何分かを判断する」ということと、

「その時間から3時間たった時刻が何時何分になるか考える」ということの

2つの作業をする場合、

手も足も出なくなって、「わからない」と投げ出す姿がありました。

 

「まず、何をしたらいいのかな?ほら、時計を読むんだよね。

ここに何時何分か書いておこう」と言って時計の横に枠を作ってあげると、

「7時30分」と書くことができました。

 

また、「次は何をするのかな?問題をよく見てね。時計で時間がわかったら

その次にすることは何かな?」とたずねると、

「何時のほうに足すの?何分のほう?どっち?」とはたずねてきましたが、

意味はそこそこわかっているようで「10時30分?」と自信なげに答えました。

 

そうしてようやくわかっても、

同様の次の問題になると、

時計の絵の時間を読むというところから、何をしたらいいのか

わからなくなっていました。

 

●くんは最近まで、ワーキングメモリーが極端に弱い上、

時系列でものごとを考えていくことが苦手でした。

そのため、お家ではお母さんから一度にひとつだけ指示を出してもらって、

それを実行するようにして過ごしてきました。

 

この頃は、ワーキングメモリーにしても、時系列にものごとを考えるのにしても

わずかですが向上しています。

 

レゴの作品作りやピッケの絵本というパソコンソフトで遊ぶ時のように

好きなことをしている時は周囲がびっくりするほど少し前にした作業を記憶しながら

目的を持って新しい作業をこなしていくことができるようになっています。

 

ところが、勉強となると、「問いに答えるためにしなくてはならない手順を考えて、

ひとつひとつ実行していく」という作業がさっぱりできなくなってしまうのです。

 

問題をいっしょに見ながら、

「何をすればいいと思う?ひとつめは何かな?ふたつめは?」

指を1本ずつ立てて見せながら考えさせても

●くんは困惑したまま黙っています。

 

物作りのように、

好きなことなら何をすべきか計画したり記憶を保っておいたりできるのに、

勉強だと手も足も出なくなってしまうのは、

嫌なことをやりたくないからではなさそうです。

 

●くんは視覚優位の子なので、ブロックの手順のように画像だけで予測したり、

記憶したりするのはそれほど難しくないようなのです。

けれども言葉を使って、何と何をすべきなのか考えるのは

至難の業なのかもしれません。

 

●くんは教室に着くなり、ドールハウスをいくつか配置して

家の中の家具をていねいに設置していきました。

少し前までドールハウスを出しても、ありったけの人形を部屋に詰め込んで

ふざけて遊ぶだけだったのですが、

今回は「先生、どろぼうのねずみの役して!」と言ってました。

(↑学校を覗く黒いマスクのどろぼうねずみ)

きちんとストーリーを演じて遊びたい気持ちが芽生えてきたようです。

 

遊びというと、ふざけて追いかけあうとか、

おもちゃを出すだけ出して少し触るとおしまい……という状態で過ごしていた子が、

小学生になってようやくごっこ遊びや人形遊びや工作に

興味を持ち始めることがあります。

 

小学生ともなると、帰宅は遅くなるし、宿題もさせなきゃならないしで、

今さらごっこ遊びやお人形遊びに付き合うのもどうかな……と感じる親御さんも

多いことと思います。

 

でも、「幼児期にごっこ遊びや人形遊びや工作をほとんどしなかった」という子は、

想像を膨らませて見えないものをイメージの中で操作したり、

論理的に物事を考えたり、

そうして考えたことを言葉で表現することがかなり苦手なケースがよくあるのです。

 

子どもの発言に耳を傾けていると、

「うん」「ううん」「いや」「そうする~」以外の言葉をほとんど使っていなかったり、

言葉の使い方が間違っていたり、語彙量が極端に乏しかったりすることが多々あります。

 

また、理由を推測する力や

質問にきちんと答える力が育っていなかったりします。

 

学校の勉強がはじまると、計算はできるか、時計は読めるのか、

九九は暗記したか、漢字はかけるのか、といったことが気になりますし、

そうした訓練をたくさんさせると勉強に遅れることはないように錯覚しがちです。

 

でも実際には、使える言葉が極端に少なくて、

論理的に筋道を立てて考えることができないままで授業を理解していくのは

困難なのです。

 

想像力を使って頭の中でイメージできず、理由を推理するのが苦手で、

質問されると問いからずれた答えばかり言っているとするとすれば、

それはそれで学習のつまずきの大きな原因となるはずです。

 

発達のでこぼこの凹の部分を絵本で補う 1

発達のでこぼこの凹の部分を絵本で補う 2

という記事でも書きましたが、(この記事の続きは近いうちに書きますね)

「本来、幼児期に通っていく現実を、論理的に理解していく過程が

スポッと抜けたままになっているんじゃないかな?」と推測される状態にある子に

学校の勉強だけを繰り返し訓練していっても、

あるところまで進むと、頭打ちになってしまう可能性があるのです。

 

それなら、どうすればいいのか?というと、わたしは次のように考えています。

 

小学生になってからも、「絵本読んで!もっと読んで!」と言い始めた子には、

たっぷり読んであげて、いろいろおしゃべりし、

ごっこ遊びや人形ごっこをし始めた子とは、ストーリーを展開させ、

会話をたくさん交わしながらいっしょに遊ぶのです。

工作をしたがるようになった子には、道具と環境と時間と適切な手本を与えてあげます。

そして、工作をしている最中にも、「どんなものが作りたいのか」

「工夫した点はどんなところか」

「もっと良い作品にするんはどうすればいいと思うか」などたくさん会話をするのです。

実際に手や頭を使いながら、大人とたくさん会話をしていると、

間違って覚えていた言葉が修正され、理由について正しく考えるようになり、

想像力が徐々に向上していきます。

 

 

●くんとのごっこ遊びの様子です。

わたしに泥棒役をするように指示する●くん。

●くんは、警察署のドールハウスに犬の警察官2匹を置いて、

それらの役をするつもりのようでした。

わたしが、「そうだ、あの家にどろぼうに入っちゃえ。何を盗もうかな。

そうだ、いっそのこと、お家ごと盗んじゃおうかな。

お家を全部、泥棒しちゃおうかな?」と言うと、

●くんはすかさず、警官の人形で泥棒をポカポカ叩いて、やっつけてしまいました。

 

そんな逮捕劇がひととおり済んだ後で、どろぼう人形とお茶犬の人形に

話をさせました。

「ねぇねぇ、お茶犬くん。泥棒って、どんな格好をしているか知っているかい?」

「知らないよ。教えてよ。どんな服を着ているの?」

「袖が青くて、身体の部分は白くて、ズボンは青。赤いベルトをしているよ」

「それなら、警察の近くで見たことがあるなぁ」

「いっしょに泥棒を捕まえに行こう」と泥棒に誘われたお茶犬が、

警察署に近づくやいなや、今度もポカポカとやっつけられて、

●くんの手でお茶犬も泥棒も牢屋に閉じ込められてしまいました。

●くんはとにかくこのストーリーの展開に夢中になって遊んでいるのですが、

人形同士の活劇には一生懸命ですが、ほとんど言葉は使いません。

そこで、

「●くん、●くん。どうして、お茶犬まで牢屋に入れられてしまったの?」とか、

「●くん、泥棒が牢屋に入ってしまったら、お話しの続きはどうしたらいいかな?」

など、たずねました。

すると、●くんは、必死で言葉にしようとするのですが、うまく言えなくて、

「あのぅ、あのぅ、あのぅ……それは」と繰り返しています。

しまいに、「ふたりで相談していただろ。だからどっちも悪いんだ!」と言ったり、

「続きは、牢屋から逃げて、また泥棒にくるといい」と言ったりしました。

 

●くんは子ども同士で話ている時は、言葉の大切さを少しも

実感していない時があります。

おふざけしながら、何となく、言葉がないままに時間が過ぎていくのです。

勉強している間も、言葉の大切さを理解していません。

分からない時は、

「しらない」「できない」と言ってそのままプイッとよよそ見をして遊びだすし、

分かる問題の時は、答えだけ書きこんで黙っています。

お母さんが話しかける時には、

「うん」「いや」「そうする」「え~」「できない」くらいの言葉で

会話は事足りると思っているふしもあります。

友好的で笑顔が多く、人と関わる力も高いため、そうした語彙の少なさが

それほど周囲に問題として感じられていないふしもあります。

人形遊びをする●くんは、いくら遊んでも遊び足りないほど楽しい様子で、

●くんにしゃべらせるような質問を何度も投げかけても、

楽しそうに必死になって言葉で言おうとしています。

それを補助するように、

「そうなの。お茶犬は、悪者と相談していたから、泥棒の仲間だと思われているのね。

でも、お茶犬はね、泥棒に嘘をつかれて騙されただけかもしれないね」

「牢屋から脱獄するストーリーにしたいのね。

どうやって逃げ出すのか方法を考えてちょうだい。

●くん、脱獄に必要な道具って。何と何がいるのかな?」

など、大人の言葉でできるだけていねいに会話をしていると、

「脱獄するには~」とか「道具が必要だね」など

本人がそれまで使ったことのない言葉も、会話の中で使い始めます。

 

●くんのように発達に少しゆっくりしたところのある子は

言葉が劇的に増える幼児期には、

何らかの理由で語彙力が伸びにくかったのかもしれません。

でも、幼児期にはそうした困難さが目立っていた子も、小学校に入った後くらいから、

ていねいな会話を心がけて、会話するシーンを増やしていると、

言葉がどんどん増え始める子もけっこういます。

もし子どもがごっこ遊びを喜ぶようなら、ぜひたっぷり付き合ってあげてほしいです。


買い物ごっこで大きな数の暗算

2014-11-12 18:58:02 | 算数

年長グループの算数学習の様子です。

お金のおもちゃを使って買い物をしています。

 

最初に200円ずつのおこづかいを渡します。

お店の商品の値段は150円、50円、10円。

買い物をする時、お釣りがある場合はいくらお釣りが返ってくるのか言ってから

商品とお釣りを受け取ります。

欲しい商品を買うのにお金が足りない場合、お金を数えるアルバイトをして

お金を増やします。

 

200円出して、150円の商品を買うと

お釣りはいくらになるのか……?

指一本を10円として、「200円分の手」といって

2人で手を出して、答えを考えています。

初めて学んだ大きな数ですが、すぐに計算できるようになっていました。

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<おまけ>

電子ブロックで嘘発見器を作ったのですが、

接触が悪くてきちんと作動しませんでした。

 

どうしてもうそ発見器に未練がある様子のAくん。

「触るとビリビリして音が出るようにする」ようにして

自己流の嘘発見器を作ることにしました。

 

上のモーターを箱の内部に入れて、

金属部分を触るとビリビリする仕掛けにしました。

強く触るとビリビリが強くなるものの、嘘を発見できるかどうかは不明です。


お家の中でシャボン玉遊びを楽しむ方法

2014-11-12 13:23:47 | 理科 科学クラブ

しゃぼん玉は子どもたちが大好きな遊びのひとつですが、

飛んで行ったシャボン玉があちこちで割れることを思うと

室内でするのは問題がありますよね。

 

虹色教室では実験を兼ねて、シャボン玉遊びをすることがよくあります。

その際、こんな工夫をすると、部屋の中でもシャボン玉を楽しむことができます。

 

 

<飛んでいかないしゃぼん玉>

プラスチックのコップやプリンなどの空き容器を逆さまにして、

しゃぼん液につけます。

コップの表面に膜が張ったらストローをさしてゆっくり息を吹き込みます。

これだとしゃぼん玉の液を吸いこむ心配もありません。

 

<しゃぼん玉の液を吸いこむことなく、大量のしゃぼん玉を作って遊べる道具>

きれいな段ボールを適当にカットして、ストローの代わりに使います。

大量の泡が吹き出します。

飛んでいかずに容器の中に落ちていくので室内で遊べます。

 

<勝手に膨らむシャボン玉>

ゼリーなどの空き容器の底に、小さい穴を空けます。

その穴にシャボン液をつけたら、水を溜めた入れ物に容器を逆さにして

ゆっくり沈めます。

空気が押し出されて、自然にシャボン玉が膨らみます。

 

シャボン玉のアイスクリーム屋さんを開いています。

より大きなシャボン玉を作って販売中。

さまざまな色がシャボン玉の表面に見えます。

 

長めのリボンタイで幾何学的な形を作って膜の張り方を調べています。

 

立方体。

少しぶかっこうな立方体の枠ですが、膜は面白い形に張っていました。


子どもの個性にあわせたおもちゃ選び 

2014-11-10 16:32:40 | 虹色教室の教具 おもちゃ
 
 
虹色教室にはさまざまな種類のおもちゃがあります。
そのひとつひとつのおもちゃについて、
「遊んだらそれでおしまい」「ちょっと遊んだら飽きちゃった」という結果で
終わらないように、いろいろな工夫をしています。
今回は、教室でどんな工夫を凝らしているのか書いていこうと思います。
 
 

おもちゃを選ぶとき、木製などの質の高いものを与えなければならないか…
というと、必ずしもそうではないと思います。
子どものタイプによって、おもちゃの質より遊び方や自由度が大切で、
100円グッズや紙があれば十分…という子もいるのです。

うちの子たちもそうでしたし、
特に息子は、紙とえんぴつとハサミさえあれば満足している子でした。
教室の2~3歳の子にもこうした子はいて、
おもちゃの扱いは少し雑なのですが、自分のこしらえた工作物は、
宝物のように大切にしています。
目で見るものより、想像したことや見立てたこと、
アイデアやルールに惹かれるようです。

前回紹介した質のよいおもちゃにじっくり取り組むことも、
材質よりもその背後にある想像の世界に遊ぶことも
どちらも優劣つけがたいことです。

どちらが良いかでなく、子どもの個性と気質と学び方によって
おもちゃ選びのポイントはずいぶん変ってくると思います。

お金のかかり具合も、雲泥の差ですが…。

感覚が優れていて、
クオリティーの高い材質やデザインのものに惹かれる子は、
1歳、2歳の子でも、ヨーロッパ製の木でできた教具を
何度も何度もやりたがったりするのです。

その繰り返しのなかで、ほんの少しのペグの高低や、
木製ビーズの形のちがいを見分けるようになります。
まるで指先に目がついているようで、
そうした子の遊ぶ姿を眺めていると、いつも、強い感動を覚えます。
そうした子は、遊ぶごとに数学的な感性が高まっていくようです。
遊びながら科学の法則を学び取っていきます。

(幼児は幼いほど材質の違いに敏感なので、
まだ自分で選べないような小さな子に知育玩具を買い与えるときは、
できればプラスチックではなく、材質もデザインも色の配色も
優れたものを選ぶ方が良いと思ってます。)

一方、おもちゃの材質ではなく、目に見えない価値に惹かれる子には、
おもちゃを与えるより、
道具やアイデア(博物館や人形劇、工作物の展示会などに連れて行ったり、
作品集やカタログなどをたくさん身近においておく)や
自由な時間や手助けや褒め言葉、いっしょに遊びに付き合ってあげる
ことなどが大切だと感じています。
お金がかからない分、労力や配慮はたくさん必要です

写真は小学生の頃、
息子が手作りしていたゲーム類(モノポリーらしい)の一部です。
ゲーム好きなので、人生ゲームとかモノポリーなどを
気の遠くなるようなエネルギーを注ぎ込んで作っていました。
何百枚というカードの全てに、従来のゲームを参考にしながら…
自分で考えたさまざまなアイデアを盛り込んで
書き込みをしているのです。

息子にとっては、おもちゃの質よりも
自分の頭のなかのアイデアと作る過程に魅力があったのだと思います。

おもちゃの与え方について考えさせられるこんな話があります。

17回現代日本美術展大賞を最年少で受賞し、
テレビ番組の『ウゴウゴルーガ』や
音と光を奏でる楽器『TENORIーON』などを手がけ、
絵本の『100かいだてのいえ』の作者でもある岩井俊男氏の子どもの
頃のお話です。
あるとき、母親から「もうおもちゃは買いません」と言われたのだそうです。
かわりに工作の道具や材料を与えられたことから
ものづくりに目覚めたのだそうです。

高価なおもちゃを買うもよし…。
おもちゃを与えないもよし…。

どちらにしても想像力と創造性に満たされた
家庭内の空気が大切なのでしょうね。

 

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工夫その1
おもちゃで遊んで興味を持ったら、易しいシンプルな作り方で
工作でそのおもちゃを作り、原理がわかるようにしています。

「どんな形をしているのか。どんな仕組みで動いているのか。
そっくりに作るにはどうすればいいのか。どんな素材を使えばいいか。
うまくいかない時にはどうやって解決するのか」
おもちゃをよく観察して、身近にある材料で再現しています。


工夫 その2

 ひとつのおもちゃでいろいろな遊び方を考えます。

たとえば、↓のリンクは「くもんのキューブ積み木」というおもちゃを

使った遊び方の工夫です。遊びだけでなく、小学校受験問題や

小学生の算数の教具などにも活用しています。

 

★くもんのキューブつみき 虹色教室風遊び方!? 1

★くもんのキューブつみき 虹色教室風遊び方!? 2

★くもんのキューブつみき 虹色教室風遊び方!? 3

★くもんのキューブつみき 虹色教室風遊び方!? 4

 

このようにどんなおもちゃもいろいろな使い方をして遊んでいると、

子どもの思考力や発想する力が高まってきます。

 

また、「新しいおもちゃがほしい」と思った時に、

お家にすでにあるおもちゃに少し手を加えたら、

その遊びができることがよくあります。

 

例として、「豪華なドミノ」がほしかった場合、

レンガ積み木とブロックを使って遊んだ時の様子と

「カナヤック」のゲームを、「生き残りゲーム」を使って遊んだ時の

様子を紹介します。

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ドミノは楽しく遊びながら、数に強くなったり、
指先の巧緻性が高まったりするよいおもちゃです。

おうちにあるドミノをさまざまな仕掛けのある
豪華な…??ドミノにする方法を紹介します。
デュプロで作る段差です。

台になるブロックを写真のように少しずつずらすことで、
安定した台ができます。

小さいサイズのブロックだとだとさらに細かいしかけも作れると思います。

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ハバ社のイヌイットの魚釣りをモチーフにした☆「カヤナック」
とうゲームがあります。
以前、おもちゃコレクターの方から、教室にお借りしていたのですが、
とても魅力的で子どもたちが大喜びで遊びました。

ただこのゲーム、つり竿が大きくて、先がとがっているので、
つい夢中になって他の子のしているのを覗き込もうとしたり、
つり竿を振り回したりすると危険なので、ヒヤヒヤ……。
それと、魚の代わりの金属の玉が、あまりに小さいので、
遊んでいるうちに無くしやすいという難点もありました。

そこで、生き残りゲームの盤とジオマグの磁石を使って、
このゲームを再現。
イヌイットの世界の素朴な美しさはほぼ皆無……ですが、
子どもたちには大盛況でした。

100円ショップで売っている「ジオマグもどき」と、
お家の空き箱でも楽しく遊べるので、おすすめです。

魚釣りの竿にジオマグの棒を使うと、かなり短い状態で遊べる上、
長い竿として使っているときも、磁石でついているので、
危なくありません。

幼い子の魚釣り遊びにぴったりだと思いました。

子どもは魚釣り遊びが大好きですが、
おもちゃのつり竿は転んだり取り合うと危険なので、
安易に渡せないですから。


また、釣ったとき、金属の玉が磁石に引っ付いてくるのを、
子どもは喜んで数えます。
「落ちそうで、落ちない……」のって、ドキドキして面白いですよね。

生き残りゲームでカヤナック遊びをする場合、
金属の玉を穴の中に落として仕掛けておき(くぼみがあるので、
きちんとおさまります)
自分の番のときに、レバーを動かして、魚を探しつつ
魚釣りを楽しみます。

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工夫 3

まだその遊びをするのは難しい月齢の時には、

ルールを「赤ちゃん向け」「幼児向け」に変えて、

子どもが楽しめるレベルにしています。

 

★ブロックを買ったものの、ひっくり返して「おしまい~」です…

★ウルトラマンカードの遊び方♪

★「チケット トゥ ライド」 幼児も遊べる遊び方 1


★「チケット トゥ ライド」 幼児も遊べる遊び方 2


★「チケット トゥ ライド」 幼児も遊べる遊び方

 

★「チケット トゥ ライド」 幼児も遊べる遊び方 4



★「チケット トゥ ライド」 幼児も遊べる遊び方 5



★「チケット トゥ ライド」 幼児も遊べる遊び方 6

 


宇宙への憧れ (年中、年長の科学クラブの様子から) 1

2014-11-10 07:31:08 | 理科 科学クラブ

教室に着いたとたん、年長のAくんが興奮した口調で、

「先生、マゼラン星雲みたいなんだよ。マゼラン星雲みたいなのを見つけたんだよ」と

言いました。

「どこ、どこに?」とたずねると、得意気にニヤニヤしながら、

「ここ、ここ」と自分のひざのあたりを指さしました。

あ~きっと、ズボンにできた染みが星雲に似ていると感じたんだな……と思いながら、

「どこ、どこ?」とさらにたずねると、

ズボンの裾をめくって内出血したアザを見せてくれました。

Aくん、先日、怪我をしたらしいのです。

青黒い打撲の患部に赤い小さな斑点のようなものが散っていて

何とも痛々しい……。

でも、確かにAくんの言うように

まるで宇宙空間に浮かぶ星雲のようにも見えます。

他の子らもAくんのマゼラン星雲を覗きに集まってくると、Aくんは、「さぁ~てと……」と

言いながら、自分のリュックサックの中から分厚い図鑑を取りだしました。

 

『宇宙』の図鑑……。

 

Aくんはお母さんに内緒で

家から図鑑や本を教室に持ってくることがよくあるのですが、

これまでは『危険生物』に関わるものが主でした。

 

Aくんが図鑑の銀河のページを広げると、星と鉱物が大好きな年中のBくんが

「うわぁ~」と言いながら覗きこみました。

Bくんの1年生のお姉ちゃんのCちゃんも、年長のDくんも

銀河の色や渦の美しさにすっかり見とれている様子だったので、

みんなで水面に銀河を描いて遊ぶことにしました。

絵具を落とした瞬間、絵具がパァッと広がる様子を見て、

Aくんが、

「見て、見て、宇宙が生まれた時みたいだよ。爆発して広がっていったみたいだ」と

はしゃいだ声をあげていました。

絵具の他に金粉やラメのパウダーも振って遊びました。

もややガスは

ベビーパウダーで表現しています。(水面にベビーパウダーを浮かべると、粉の面が

水面を覆います。子どもたちはそれに少量の洗剤をたらして

水面に亀裂を作り、「氷河の世界みたい」と喜んでいます。)

Bくんが作っていた銀河は

暗い色だけど深みがあって何ともいえない美しい色に仕上がっていました。

とはいえ、「ぜったい、これを持って帰りたい。持って帰らせて」と懇願されて、

困ってしまいました。

「凍らせる時間はないし、凍らせたところで持って帰るのは難しそう。

ゼラチンを使って固めるのもどうだろう……」と。

すると、Bくんだけでなく、そこにいたみんなが「持って帰りたい」と

騒ぎ出しました。

結局、どうしたかというと……

UVレジンという紫外線に反応して硬化する液体を使って

銀河のメダルを作ることにしました。

レジン液は高価なので

子どもたちが物作りをする素材として不向きなのですが、

ひとりひとりの子があまりに星の美しさに夢中になっていたので、今回は

使わせることにしました。

(紫外線照射器は、下のようなアクセサリーを作るために

娘が持っているものです)

算数タイムには、大きな数について学んだ後で、

えれめんトランプで遊びました。

ゲームも楽しかったのですが、その後、自分の好きな元素を選ぶ時は

一番面白かったようです。

このカードには元素記号といっしょに使用されているもののイメージ写真が

載っています。

宇宙に関連するものや、リニアモーターカーや最新の電化製品などの

写真がついているものが人気で、「何に使われるか読んで!と用途を

読んでもらいたがっていました。

 

えれめんトランプの遊び方は簡単。ユーチューブなどでも

動画で見ることができますよ。


「空はどうして青いのか」「夕日はどうして赤いのか」の実験

2014-11-08 17:55:51 | 通常レッスン

小1のAちゃんとBちゃんのレッスンで

「空はどうして青いのか」「夕日はどうして赤いのか」理解するための実験を

しました。

(実験は『天気の自由研究(竹田康男著/永岡書店)』を参考にしています。

すぐにできる簡単な実験がたくさん載っている良書で、解説もわかりやすいです)

床用ワックス(白色)を入れてにごらせた水を、ペットボトルに入れて

懐中電灯の光を当てます。

まわりの水は青みがかった色になります。

床用ワックスは空気分子と同じような役目をして、太陽の光(青、緑、赤などの

いろいろな色が含まれています)の中にある青い色を散らしています。

 

床用ワックスを多めに入れて濃いめのにごった水を作ります。

懐中電灯を当てると、光が夕日のように赤っぽく見えます。

水の中の光線はだんだん赤っぽくなっていきます。

濃いめの濁った水を入れると赤みが強くなってわかりやすいです。

夕方、太陽の高さが低くなるので、

太陽に光は空気の中を昼間より長い距離を通って届きます。

その分、昼間より青っぽい光は少なくなって、赤っぽい光ばかりが地表に届きます。

 

カイロを入れて、ペットボトル内の空気の量の変化を見る実験をしました。

 

さまざまなシャボン玉実験。

 

立方体の枠の中で

どんなしゃぼんの膜ができるかの実験。

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算数学習の様子です。

 

「6月5日から7月20日まで

毎日1ページずつ算数のワークをしました。

全部で何ページ学習したでしょうか?」

 

「この問題で、こういうことがわかっていると問題が解けるになぁって

いうことある?」とたずねると、

Aちゃんが、「30日までか31日までかってことでしょう?」と答えました。

「そう、6月が30日までか31日までかわかるといいわよね」と言って

いっしょにカレンダー風の写真本(お誕生日ブック)を見ました。 

6月が30日と知ってBちゃんが、

「30+20=50だから答えは50ページでしょ?」と言いました。

 

そこで、Bちゃんが間違えた理由をいっしょに考えることにしました。

6月と7月それぞれ何ページずつ勉強したのか確かめることに。

すると、Aちゃんが、

「そうだ、30日から5日引かなくちゃ。25+20だから45」と

答えました。

今度は、どうしてAちゃんがミスしたのか、紙に日数を書いて確かめることに。

ようやくふたりとも、どこが間違えたのか、

どんな点に注意すればいいのかわかったようでした。

「30-4+20=46」と正しい答えが出せていました。

 

次のは、「93人の子どもがマラソンをしていあます。

今、こういちくんの前を36人が走っています。このあと3人を抜くと

後ろから何番目になりますか。」という問題(最レベ2年より)。

ふたりともしっかり考えることができていました。

 

 


息子とおしゃべり (政治と社会システムについて考えること)

2014-11-08 09:08:50 | 日々思うこと 雑感

過去記事です。

 

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 1

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 2

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 3

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 4

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 5

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 6

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 7

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 8

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 9

の続きです。

 

 今日は息子とわたしだけの寂しい夕食。

食事中に、殺戮系の小説(むごたらしく多くの人を殺す内容の小説)の流行と、

ネット上でしょっちゅう起こっている、いざこざについて話題がのぼりました。

 

息子が、こんなことを言っていました。

「中高の友だちのなかじゃ、親に良い悪いを決められて、

何を見るか、何をするか、制限を受けてることが多いやつほど、

くだらないものにはまってたよ……殺戮系のゲームとかマンガとか。

高校生くらいになってああいうものに極端にはまる友だちって、聞いてみると、

それまでに楳図かずおのマンガとかサイコホラーの小説なんかは、

一度も読んだことがなかったりするんだ。

大人が子どもに良いものと悪いものを見分けて分析して、

良いものを与えようってするのも程度ものだと思うな。

だって、どんなに『子どものため』という大義名分のもとでそうしたところで、

良いものを選ぶ過程で、絶対、選ぶ大人の私利私欲が含まれてくるように思うんだ。

国がそういうことする場合、人類全体の私利私欲ってものに関わっているのかも

しれないけど。」

 

母 「そうよね。幼い子の世界でも、何もかも大人が選んであげることが

当たり前のようになっているけれど、

そこで知らない間に大人の利己的な面に傷ついていってる子も多いと思うわ」

 

息子  「もちろん、商業主義の世の中だから、大人がある程度見分けてあげないと、

くだらないものを勧められやすいってのはあるし、実際、危険と隣り合わせのものに

子どもが接触する機会も多くなるんだろうけど。

 

でも、前提として毒を知らないと、きれいな話やまじめに人生を考えていこうとするような話が、

薄っぺらくてあほらしいものにしか感じられないもんだよ。

毒といったって、くだらない大量殺人の話なんかじゃなくて、

社会や人のダークで醜い一面……犯罪や死を扱っていながら、そこで作者が

真剣に生きる意味と格闘しているような作品にある毒なんだけどね。

ぼくにしても、筒井康隆の毒のある小説を読んではじめて、

小学生のころ読んだ『あすなろ物語』のいい部分がやっとわかったからね」

 

母 「子どもの世界をすべて光ばかりにしてはいけないって意見……

光のもとでだけ育てちゃいけないだったかな? とにかく暗闇というか

影の部分も必要だって話を目にしたことがあるわ」

 

息子 「大人が子どもに良いものだけ、頭を良くするものだけ、

きれいなものだけ選んで与えていたら、

嘘に出会わないし、それが進めば進むほど、頭が悪くなる気がするな。

世間一般に流されやすいか、周りの人や世論に流されやすくなると思う。

そんなふうに自分で取捨選択するのが苦手になるだろうな。

ぼくが学校で見たことがあるいじめの先導者は、

そんなふうに自分の意見を保っているのが難しいタイプだったよ」

 

母  「子どものためにって、いいものを見分けて与えるのって、

誰もがいいことだと感じているから、そこにある問題が気づかれにくいのよね」

 

息子 「殺戮系の本がぼくらの世代に流行っているのって、

確かにいい感じがしないかもしれないけど、

そういう事実を無視せず、確認しておくのって大事なんだと思う。

ほら、ネット上で、しょうもないことで悪口が飛び交って揉め事がしょっちゅう

起こっているけど、そういうのも、そんな馬鹿な人がいる、そんなのやめろ、

と言って済む問題じゃないと思うんだ。

そんなふうにあちこちで、無駄に殺意や怒りが吐き出されているって、

それはひとつの現象として、背後にもっと重要な何かが隠れているように感じるんだ」

 

母  「わかる。お母さんの子どもの頃のハトにしたって、そうだったんだから」

 

息子 「ハト?」

 

母  「あ、前に話したかな?お母さんの子どもの頃は、団地中の人が、

ハトハト無駄にうるさかったのよ。怒りの矛先は常にハト公害に向けられていたけど、

それで平和を保っていたけど、みんな表現できていない怒りやイライラを抱えていても、

本当にぶつけるべき相手にぶつけることができなかったのよ。

それでハトに対する執念はすごかったわよ、わたしの目の前でムギューッて子バトの首が

へし折られたんだから。あの光景を忘れたことはないわ」

 

息子 「そうか、急にハトが出てくるから驚いたよ。

そうだよね。無意味な殺戮ものを求めたり、

何の得にもならないネット上のののしりあいに、たくさんの人が夢中になるのは、

攻撃のやり方が間違っているか、攻撃対象が間違っているか、

そのどちらかか、どちらもなのか、

とにかく本当に自分が戦う相手を見失っているんだと思う。

 

これはぼくだけの考えだから、ちょっと変な意見なんだけど……

そういう現象見ていると、日本も海外みたいにスラム化していく地域が

増えていくのかなって思うんだ。

今は、生活保護に対して不満を持っている人が多いし、確かに

不平等でおかしなことになってる面も大いにあるけど、

これで支給が大きく減らされたら、今度は刑務所の食事を当てにして、

犯罪を犯す人が増えてくるんだと思うよ。

そんなふうにして、近いうちに、ちょっとした政策の変化で、

いろんな場所でスラム化が進むんでいくんじゃないかと思っているんだ」

 

母  「確かに、いろんな地区がスラム化していないことの方が不思議なぐらい

経済的に危うくなってるものね」

 

息子  「大阪に住んでるとさ、いつここがスラム化してもおかしくないって

感じるよ」

 

息子  「潜在的な部分で、無駄に殺意や怒りが吐き出されているって状態は、

今の表面的な平和がちょっと崩れただけで、

いつ海外で起こっているストライキのようなものが日本中で頻発するようになったって

おかしくないってことだと思う。

戦ってはいけない、平和でなければいけないって、論理とか法律とか、

メディアの力で押さえつけるだけじゃ、これからはダメなんだろうな。

 

経済的な発展が遅れている国に比べたら、日本は自由で豊かで恵まれた国だよ。

職業選択や生き方は自由だし、遊技場にしても、

買って楽しめるものにしてもたっぷりあるにもかかわらず、

幸福度指数が低くて、心を病んだり、生きることに疲れていく人が多いよね。

それって、もっと国が豊かになってお金の悩みがなくなったら

解決するほど単純な問題じゃないと思う。

日本の経済を潤してくれるような成功者が出てくるとか、

新技術が発見されて経済が好転するといった商業主義にのっとっものじゃ

解決しないってこと。

 

オーバーなようだけど、革命というか……社会全体のシステムを一新するような

革新的な解決が必要なんじゃないかな?

お金では得しなくても、精神的によくなるシステム作りというか。」

 

母  「経済的な豊かさ以外に、どうな解決法があると思うの?」

 

息子 「今、何が苦しいのか、何が社会を暗くしているのかというと、

一番にあるのは、仕事の問題なんだと思うよ。

豊かなはずの日本なのに、正当に働けば働いただけの見返りがあるわけじゃない。

物作りに関わる仕事なら、実際に物を作っている側、汗水流して働いている側が

低い賃金で過剰に働かされて、作らせている側、ある意味、

本当に必要ではない仕事に従事している側がたくさん儲かる仕組みになっているよね。

いろんな場所でそうしたことが言われているし、怒りを駆り立てているけれど、

でも、社会の仕組みが複雑すぎて、

いったい何をどう変えたら個人個人にとってよくなるのか、わかりにくい。

それで、問題を糾弾して騒いだり、本質的な問題からずれた敵を攻撃するだけで

終わりがちなんだと思う」

  

母  「日本に住んでいても、少しも豊かさを実感できないのって、

仕事から生きがいや自信や喜びを得にくいことが大きいんでしょうね。

一生懸命勉強して憧れの仕事についても、就職してから辛くなっていく人が多いしね」

 

息子 「ひとつ変えるとすれば、本当は必要のない仕事や意味のない仕事を減らすこと

じゃないかな。

社会のシステムを見直して、間接的に関わるだけでお金を動かしている人よりも、

ちゃんと働いて何か価値を生み出している人にお金がたくさん行くようにしないとさ。

でも、そうなると、これまでの資本主義の問題点を

さまざまな職種の人に不公平が出ないような形で検討しなおしていかなきゃならないん

だと思うよ。

もちろん社会主義を見習うのは問題が多いし、実際、社会主義の国っていうのは

『行き過ぎた資本主義』みたいになっているから、

資本主義を推している側は、北朝鮮みたいな国を敵対視して、社会主義のあり方への

嫌悪感をあおって、だから資本主義は正しい……って結論づけているように見えるよ。

でも、そこで、さまざまな今の社会へのいらだちや不満を攻撃の的にした国を

バッシングするこでうやむやにしちゃいけないと思うんだよ。

もちろん、北朝鮮の問題は問題としてきちんと対処しなきゃならないんだろうけど。

でも、怒りの矛先を向けるものができたからって、

今の資本主義のあり方に改める点がないってことにはならないはずだよ。

 

真剣にまじめに働いたら損したり、働きたい人が働けなかったり、

働けたら働けたでサービス残業をしまくらなきゃならなかったり……

法律の抜け道がそうした社会システムを温存させているなら、

戦う相手は、漁夫の利を狙うように攻撃を一方向に向けさせては

利益を得ている人が作りだす架空の敵じゃないはずだよ」

 

母 「そうよね。いろいろなものに対してイライラして過ごすうちに

本当の問題が見えなくなっているけど、でも、問題が見えてきても、

どう改善していけばいいのか見当もつかないわ。難しい問題ね」

 

息子  「ぼくは頭が良ければ、勝ち組になってお金が儲かるってシステムは、

安易に肯定しちゃいけないと思っているよ。

ドラゴン桜とかのマンガじゃ、お前も勉強してかしこくなって金持ちになって、

成功者の人生を歩めって言葉で、子どもたちのやる気を引き出して、

受験勉強に向き合わせようとしているけど、

そもそも学問って金儲けをするための道具じゃないしね。

そういう考えが、悪知恵が働く人、うまくごまかせる人が儲かるシステムを

作ってるようでさ。

携帯電話の販売にしても、世間でうまくいっている多くの物事が、

わざとややこしくして人の盲点をついて騙して売るような形を取っているじゃん。

 

政治に何か期待するとしたら、

法律でくだらないことを規制しなくていいから、もっと経済全体を見渡して

これはおかしいって点を正して、人がまじめに正直に働く意欲があれば、

働いた分だけはきちんと返ってくるような健康的な社会になることを考えてほしいよ。

でも、もしそれを目指すとすると、一部の上層部とされる人々が議論するだけじゃ無理で、

精神的な面で大衆全体の意識が変わらなきゃ難しいんだろうけどね」

 

母  「精神的な面で大衆全体の意識が変わる必要があるというのは、具体的にいうと、

どのような変化が必要だと思っているの?」

 

息子 「知識も産業も最先端まで行くと、その先は退化していくだけって印象があるよね。

さまざまな分野で、もう発展しつくしているから、ここから先は欲求を抑えていくだけ、

我慢していくだけのように見えるというか……。

自分には、戦う相手を定めて、本気で格闘していく必要が与えられていないというか、

何か自分がやったら国に迷惑がかかるから、ひたすら国のために働いて

死んでいかなければならないと信じこんでいるというか。

確かに、知識の面でも産業の面でも乗り越えなければならない大きな山とか、

突破して打ち倒さなければならない相手とか、そういう自分の戦士の部分、

ヒーローの部分を燃え上がらせて、向かうべきものが定めにくくなっているよね」

 

母 「電化製品の製造も、みんなが本気で欲していた技術は達成されて、

今はデザインやネーミングで差別化をはかってたりして……確かに

自分を燃え上がらせて何かを打破するって時代じゃないわね」

 

息子 「戦後のどさくさを生きてきたとか、学生運動してたとかいう人が、

今よりずっと苦しかったはずの過去を振り返って、あの頃は活気があったって、

肯定的に話すのを聞いていると、

人は冒険心とかヒーローになりたい気持ちとか、

そういうものを外に出していける場があると、

生活はどうであれ生きている実感が湧きやすいんだなと思うよ。

 

それで今、自分たちは最先端に近づいていて、

これから先は小手先で見た目をいじるだけだとか、我慢していくだけだとか、

退歩していくだけだとか考えて、

理由もなく生きることに疲れてくる人が増える気がする。

 

今日、現代文の勉強していてさ、西洋医学の病名をつけてそれを重視する医療と、

東洋医学のホリスティック(全体的)医療について書いてある文を読んだんだ。

その文でしている批判は、病名をつけてそれを根絶する今の医療が、

病気は自分を超えた存在から与えられた試練で、

生き方を考えるきっかけとみなすような感覚とか想像力や治る力を

弱めているんじゃないかって話なんだけど。

 

それ読んで、現代に必要とされている意識の変化ってのは、

西洋医学の先っぽまでいって、先に進めなくなっていた医学の世界が、

東洋医学のホリスティック(全体的)医療の考えを認めていくのに

似ているんじゃないかと思ったんだよ。

 

最先端で、これ以上先がないように見えるものの先に目を凝らして、

ため息をつくんじゃなくて、

それ以外のもっと全体的な見方があるんじゃないかなと考えるってことだよ」

 

母  「ホログラフィックユニバースを書いた

マイケル・タルボットがしたような見方を取り入れるってこと?

今の政治や社会のあり方に?」

 

息子 「そうだよ。どの分野も最先端に向けて進歩し続けているって

捉えられている一本の道筋があって、

その道上の進退にばかり目が奪われているけれど、

同時にもっと全体的な見方で、医療の世界でいう東洋医学的な捉え方で、

それを見直す必要があるんだと思う。

そういう意識の転換が、これからは求められているんじゃないかな?」

 

長くなったので続きを読んでくださる方はリンク先に飛んでくださいね。

 

政治と社会システムについて考えること 5

政治と社会システムについて考えること 6

政治と社会システムについて考えること 7

政治と社会システムについて考えること 8

 


おもちゃや教具を購入する際に気をつけること 

2014-11-08 09:02:34 | 日々思うこと 雑感

教室で使っているおもちゃの紹介をするたびに

心に引っかかっていることがあります。

写真だと、一つひとつのおもちゃにどれくらいの頻度で、

どのように関わっているのか伝わりにくいです。

どうしても完成度の高い魅力的なおもちゃが目を引くと思うのですが、

実際には大人の購買意欲をそそるようなおもちゃは遊び方が限られているので、

教室では、数への気づきをうながしたり、気分転換をする目的で

短い時間しか遊んでいないことが多いのです。

 

虹色教室では、いつも、最初に好きなおもちゃを選んで自由に遊んでいい時間を

設けています。

「こういうことがしたい」「これはいや」と自分の要求や気持ちを言葉にしたり、

いくつかある中から選んだり、何からするか判断したり、

「自分はこういうものが好きなんだな」と理解したりすることを

大切に感じているからです。

また、子どもが何を選んで、どのように関わっているかを見ることで、

その子の今の関心や発達の段階をこちらが把握しておいて、

その日の遊びや学習に活かすようにしています。

 

教室にはいただきものなどで、最初からできあがっている、

電池で動くおもちゃやキャラクターもののおもちゃなども置いています。

子どもがそれに興味を抱いた時には、「それと同じものを作ってみようか」

「どうしてそんな風に動くのかな、調べてみる?」と誘って

物作りや実験のきっかけに利用しています。

創造性を刺激するための、触れる見本として使っているのです。

 

それほど厳密なものではないのですが、

自由な時間の後は、ブロックや紙や空き箱を使って創造的に遊ぶ時間としています。

子どもと過ごす時間の比率でいうと、これが一番長いです。

ブロックのようにシンプルなおもちゃは、想像したり、考えたり、

問題を解決したりする場面が無限にありますから。

紙や箱相手だと、子どもが遊びの中で自分の頭や手を使う範囲は、

さらに広くなります。それだけ遊びから得るものも満足も大きくなります。

そうした創造的な遊びが一段落したら、ボードゲームやカードゲームをしたり、

実験をしたりして遊んでいます。

 

おもちゃそのものが魅力的で完結していると、

たいてい、子どもの想像力や思考力を使う部分はほとんどないものです。

 

算数の教具として使用するとしたら、それはそれで

使い勝手がいいこともあるのですが、

もともと遊び込む体験が少ない子、

つまりごっこ遊びや創造的な遊びを自分で膨らましていく力が弱い子に、

できあがったおもちゃや知育玩具(パズル等)をおもちゃとして与えるのは、

子どもの伸びていく可能性を狭めるようで心配しています。

 

写真は3歳8ヶ月の★くんのブロック遊びの様子です。

★くんはブロックの線路をつないで、とてもうれしそうにしていました。

というのも、以前は線路と線路をつなぐのがやっとだったのですが、

線路の裏にブロックをつけて、高架にすることができるようになったからです。

 

線路がつながって大満足の★くんは、「駅がいるよ」と言って、

基礎版を線路の脇に置いてから、

「エスカレーターが作りたい」と言って、階段状にブロックをつなぎました。

 

ブロック用のテーブルまでエレベーターをつなぎたかったようなのですが、

あまり長くなると崩れてしまいますから、途中で中二階を作ってあげました。

それを見て、大満足の★くん。

いっしょに図鑑を見ながら駅を作っている時、

★くんが電光掲示板に強い興味を示しました。

 

そこで、文字がくるくる回って変化する電光掲示板の見本を作ってあげると、

自分でも作り始めました。

 

ところが★くんの作った輪っかが大きすぎて、

うまく取りつけることふができませんでした。

 

そこで、ブロックを太く大きくして、落ちないようにでっぱりを作ってあげると、

感激していました。

「○○ようちえんはおやすみです」と掲示板で訴えているそうです。

 

子どもにすると、どんなにすばらしいおもちゃよりも、

「自分の心にヒットしたこと」

「自分ができるようになったこと」

「自分が考えたこと」

の方が魅力があるのです。

 

★くんは、その後もひたすら電光掲示板を作り続け、

自分が書ける「し」と「も」を駆使して、

「○○~って書いてある!」と自分流に読んで遊んでいました。

 

 

★くんは、今、数にとても敏感な時期にあります。

でもそうした数への理解は、数を学ぶために作られた教具で遊ぶ時よりも、

自由度の高い遊びの場面で、自分の「こんなふうにしたい」が思う存分

満たされた時に、深まることが多いです。

 

★くんにしても、お気に入りの列車の車庫を作っていた時に、

「列車を全部、車庫に入れたい!」と思い

必死になって車庫を作っていって、基礎板が足りなくても、

「もっといる!下の板のところ、もう1枚、いるよ!もう一枚!」

と必死に懇願している時に、強く数を意識していたのです。 

 

 

あちらとこちらでバラバラに作っていた作品をどうしてもつなげたくて、

板を坂にして接続していました。

 

その後、写真下のビルのような作品を設置して、「富士山だよ」と

言っていました。