虹色教室では(ユングのタイプ論による)子どもの性格タイプを把握して、
それに合わせた接し方をすることがよくあります。
このように話すと、子どもを一時期の外からの見た目で分類して、
「○○タイプ」という情報のフィルターを通して、
小さな枠に押し込んだ形に育てるのじゃないかと心配する方もいます。
でも、実際に性格タイプについて思いをめぐらすことは、
そうしたステレオタイプな見方や考え方とは真逆にあるとも言えるものです。
もともと人は、自分以外の人を眺めるとき、
「自分」というフィルターを通して眺めているものです。
自分の感じ方や見え方や感じ方、それまでの自分の経験や教えられたこと
自分が良しとするもの、価値を感じるもの、あこがれるものによる格付け、
今いる環境にある価値観をどうとらえているか……
そのように「自分」を通して相手を理解しているものです。
わが子についてより広い視野で理解しようと思っていても、
自分にとって「わからないもの」「ネガティブに捉えてきたもの」は、
やっぱりそのようにしか見えないし、
理解しようと思うあまり、極端な甘やかしに傾いたり、
嫌な部分は見て見ぬふりをしてしまうこともあります。
一方、欠点は小さいうちからしつけて修正していかなくてはと思うあまりに、
その子の個性的な長所まで押さえつけて、
子どもの性質となじまない親の価値観を押しつけてて育ててしまうことも
多々あります。
性格タイプを知るということは、まず、自分の見え方や感じ方や価値観が
全てではないと知ることです。
また、今、子どもの置かれている環境にある価値基準も、
あるひとつの価値観を体系化したもので、絶対的なものではないことを学ぶことです。
たとえば、ユングのタイプ論では、
人の構え(態度)を大きくふたつに分けて考えています。
外向性と内向性です。
といっても、人はそのどちらかに分類されるのではなく、
外向性も内向性も持っているけれど、
ふだん表に出ている態度がどちらなのかで、
「外向的な人」と「内向的な人」という違いが生じています。
外向的な人とは、関心が外の世界に向かっていて、どんな環境や状況にも
合わせることができる人です。
内向的な人とは、外の世界よりも自分の心の中の世界に関心が向かう人で、
身の回りの環境は、自分の心に合っているか、受け入れられるかを一番に考えます。
環境や出来事が、みんなからうらやましがられるようなすごい価値を持ったものでも、
自分にとって興味がなければ価値を感じないのです。
わが子が、外向的な人にも内向的な人にも
その性質だからこその長所があります。
どちらかが正しくて良い態度だから、どちらかの態度に矯正していくものではなく、
一方に偏り過ぎずバランスよく、
長所を磨きながら生活していくのがよいのだと思います。
外向的な人の長所はどんな環境にも合わせられることです。
でもそれは自分が何をすると、楽しい気分になり、充実できるかを、
環境や状況に依存しているともいえます。
内向的な人は、新しい環境や状況になかなかなじめないけれど、
ひとたび自分に自信を持つと、トラブルが起きたり、周囲から批判されたりしても、
強く信念を抱いてやりすごせるところがあります。
そのように、人の態度に、外の世界か、自分の内面かという
ふたつの方向性のようなものがあって、
どちらにも長所と短所があることを知っておくと、次のような良い点があります。
たとえば、子どもをサークルや幼稚園に連れて行った時、
そこになじまず、嫌がって泣くことが続くと、
「この子は、社会性が育ってないのかしら?」「今まで甘やかしすぎたのかしら?」
「発達障害があるのかしら?」
「どうしてこんなに頑固でわがままなんだろう?」と、
子どもに対するネガティブな思いでいっぱいになってしまう時があります。
確かに、そうした態度を取る子の中には、社会性の育ちがゆっくりで、
発達障害の疑いのある子もいます。
でも、そうではなく、内向的な性質のために
新しい環境になじむまでに時間がかかる子もいることを知っておくことは、
大事なことだと感じているのです。
もし、それを知らないと、「この子は協調性がないから」と子どもに無理させたり、
攻撃的な言葉で責めて自信を失わせるようなこともあるからです。
特に外向的な方が内向的な子を育てている場合や、
内向的な方が外向的な子を育てている場合は、
誤解や偏見によって、子どもの心を傷つけたり、本来の子どもの性格を抑圧して、
親の価値に添うようにゆがめて育てることがないように
注意しなくてはなりません。
そうした意味で、私は子育て中、性格タイプに考えをめぐらせることや、
子どもの性格タイプを把握するように努めることは大事なことだと
感じています。
子どもの性格タイプについて知っておくことが特に大切だ、と感じるのは、
「子どもとはこういうものですよ」「子どもはこのように発達します」
「子どもはこのようなことを好み、こうすると進歩します」
といった人気の育児法や教育法をもとに子育てしている時です。
たとえば、モンテッソーリ教育を実践している方の中には、
「全ての子どもは秩序感を好み、同じ作業を満足するまで繰り返すもので、
それをしたがらない子は発達を逸脱した子ではないか」
と信じている方がけっこういます。
実際、モンテッソーリ教育の関連本では、
「全ての子どもはこのような存在である」と言い切るような説明がなされています。
私はモンテッソーリ教育のすばらしさを実感しているし、
どの子にも大切なものだとは思っています。
でも、子どもたちに接していると、モンテッソーリの「お仕事」を嫌がり、
手本通り教えようとすると、おちょけて自分勝手に振舞うごく普通の子たちがいるのです。
モンテッソーリ教育というフィルターを通して眺めると、
「問題児」か「困ったちゃん」か「発達がゆっくりの子」にしか見えないほど、
感覚的な作業を繰り返すことを嫌がり、いつも新しい刺激を求めて
奇想天外な物の使い方をし、手本通りせずに、自分のやり方にこだわる子です。
子どもは「どの子もこのようなものである」という捉え方を緩めて、
子どもにはさまざまな性格タイプがあって、優れている機能が異なる……という
見方をすると、直観が優れている子たちは、感覚が劣等機能にあたるので、
モンテッソーリの教育法が苦手な子がいても少しも不思議ではないのです。
「感覚的な作業を繰り返すことを嫌がり、いつも新しい刺激を求めて
奇想天外な物の使い方をし、手本通りせずに、自分のやり方にこだわる子」
というのは、
「想像力に富み、独創的で創造的で、機械的推理能力が優れていて、
ユーモアがあって柔軟で意味を察することが得意」な子が多い、
直観が優れているタイプであることがよくあるのです。
↑ ユースホステルのレッスンで。マジックボールを10ずつすくっています。
30すくって「10の3回分」と言っていた子もいました(ココプラザの美術工房です)
今回のユースホステルでのレッスンは、
外向型の子と内向型の子が、半々くらいの比率でした。
全員、初めて会った子たちなのですが、外向型の子らは、
和室での2時間半ほどのレッスンの間にもう何年来の仲良しみたいに親しくなって、
じゃれたり、けんかしたり、「いっしょに~しようよ」と相談しあって
移動したりしていました。
私にもたちまちなついて、食事の時には、「ぼくが先生の隣だよ」と主張したり、
自分の工作を動かすための方法を習いたがったり、
理科でクイズを出すときには、自分が先生のように振舞って、
「みんなちゃんと座って!こっちで勉強しないと意味ないじゃんんか!」と
しきることもまでやっていました。
ルールのあるカードゲームも、初めてするものも、すぐにゲームの流れを察して、
楽しそうに遊んでいました。
一方で、内向型の子たちは、
そうして積極的に参加している子たちの様子を観察することからスタートし、
ゆるゆると自分のペースで関わっていました。
私が、「○○してみる?」と誘うと、ちょっとひきつった表情をして、固まるか、
首を振る子もいます。
そのように表面的には、その場の活動への参加を嫌がっているように見える時も、
こうした内向型の子たちは、
イメージの世界では、「こんなふうに参加したい」という自分像を持っていたり、
ひとりひとりの人を観察しながら、その人との距離の取り方を測っていたりするのが
わかりました。
内向型の子たちは、その内気でもじもじした消極的な態度からは想像がつかない
くらいに、理想的な自分の振舞い方のイメージや高いプライドや自分なりの考えや
判断を持っている場合が多々ありますから、
安易に積極的な子たちと同じ活動をするよう干渉しすぎると、
それが原因で傷ついたり、へそを曲げてしまうことがあります。
自由度が高い場では、ちょっと冷たいようでも、
(ひとりにさせておくようで気にかかるでしょうが)本人がしたいようにして、
そっとしておくといい場合があります。
そうして、あまり構いすぎないようにして様子をうかがっていると、
自分がやってみたいと思うことをしている子たちの方を
食い入るように見つめているはずです。
もし、そこで、大人が寄ってたかって機嫌を取ったり、
なだめすかして参加させようとしたり、強制的に他の子の輪に入れようとすると、
内向型の子たちは、そうした自分への侵入的な態度に反発したり、
ただなすがままに依存的に従ったりして、
「ぼくは(私は)ダメな子なのかな?」という他の子たちより自分には
足りないものがあるというイメージを自分にかぶせるときがあります。
ただ、そっと子どもを尊重して待ってあげることが、
大事な場合が多々あるのです。(発達障害を持っている子への対応はまた異なります)
続きを読んでくださる方はこちらをどうぞ
子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 4
子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 5
子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 6
子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 7
子どもの性格タイプについて考えることでどんないいことがあるの? 8
性格タイプによって、作る作品にこんな特徴があらわれることがあります。 ↓
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子どもの性格タイプによって
作る作品も創作活動から学び取るものもずいぶんちがうように感じます。
感覚タイプや感覚寄りの子たちは、労を惜しみません。
大量の作業をこなしながら「規則性」を導きだします。
直観タイプや直観寄りの子たちは、大雑把であまりていねいに作りませんが、
独創的で、自発的に次々ひらめいて作ります。
科学的な仕組みを利用した工作なども好みます。
作品作りから抽象的思考を発展させます。
感情タイプの子も思考タイプの子も、感覚寄りか思考寄りかで、
作品作りから何を学びとるかが、異なるように思います。
<内向的思考感覚寄りの子の作品>(内向的感覚思考寄りの子かも)
内向的思考感覚寄り、内向的感覚思考寄りの子たちは、
大人顔負けの作品を作るけれど、大人の手助けを嫌がって
全て自分で作りたがります。
直観タイプの子たちが壮大なアイデアを思いつくものの、
めんどうな作業は手伝ってもらうことをすぐにあてにするのとは
ずいぶんちがいます。
このタイプの子たちの作品は計算された建築物のような美しさがあるものが多いです。
色にも形にも数にもこだわります。
作品作りを通じて、「規則性」に気付きます。
<内向的思考感覚寄りの子の作品>(内向的感覚思考寄りの子かも)
<内向的感覚思考寄りの子の作品>(内向的感覚感情寄りかも)
<外向的思考直観寄りの子の作品>(外向的直観思考寄りかも)
駅のエレベーター。入口と出口が変化するように工夫しています。色使いもきれいです。
独創的で直観的な作品作りが多かったので、
ずっと外向直観思考寄りの子だと思っていたのですが、
成長するにつれて思考力が急速に伸びてきたことと、
感覚を必要とするていねいな作業も得意なことと、
他人の感情を読むことが少し苦手なことから、
外向思考直観寄りの子だろうと思うようになりました。
<外向的直観思考寄りの子の作品>(外向思考直観寄りかも)
おおざっぱな作りとはいえ、独創的で宇宙をテーマに作っているところと、
他に船や車などを作るときに、動きを作りだす工夫をしたり、自分で発想して、
問題を解決していく力があるところから、外向直観思考寄りの子ではないかな、
と思いました。
<外向感情感覚寄りの子の作品>
たくさん作る労を惜しまないところがあります。
感情に響く作品作りが好き。写真は詩のカード。
友だちとの交流を目的にした作品作りも好きです。
<外向的直観感情寄りの子の作品>
遊べる作品が好き。
自分のオリジナルアイデアを盛り込みます。仕上がりはこだわらず、
大きなサイズのものを作るのが好き。
<外向的直観感情寄りの子の作品>
アイデア重視で、2階建てにするとか、3階建てにするとか、凝ったものが好きです。
大きなサイズの遊べるものを作るのが好きです。
<外向的感覚思考寄りの子の作品>
このタイプの子は、労を惜しまないところと、
頭を使うことを好むところがあるので、自分から「テスト」や「通知表」
「スケジュール表」などを作りたがる子がいます。
<内向感覚感情寄りの子の作品> (内向的感情感覚寄りの子かも)
美しい色が好き。労を惜しまないところと、ていねいに作業する繊細さが
あります。自然への興味につながる制作を好みます。
(香水作り、石鹸作りなど、貝殻でする制作、星座を手芸で表現するなど)
<外向的感情感覚寄りの子の作品>
労を惜しまないところがあります。ファッション、お人形などのテーマを好みます。
<外向的直観思考寄りの子の作品>(外向的直観感情寄りかも)
ボールの向きを変えるアイデアを工夫しています。
他にも運動の向きを変えたり、
玉を押しだすさまざまな仕組みなどを、ゼロから考え出す力が優れています。
<外向的直観思考寄りの子の作品>
中学生の男の子の作品。ライトがつくピタゴラスイッチ。
<内向的直観思考寄りの子の作品>
うちの息子の高校生のときの作品です。色合いや構図がこのタイプの子が
好みそうなものだなと思いました。
内向感覚思考寄りの子 と 内向思考感覚寄りの子
外向感覚思考寄りの子 と 外向思考感覚寄りの子 は、
たいていどの子も積み木遊びが大好きで
そこから自然に多くのことを学びとります。
↑ の写真は、おそらく内向思考感覚寄りと思われる1歳後半の男の子と
積み木で遊んでいる様子です。
感覚タイプの子たちは、物のサイズに敏感で、
囲った空間に、ぴったり物を収めることが大好きです。
秩序も好きですから、同じ数ずつ、空間に収めて並べていく作業も喜びます。
積み木遊びに色画用紙を取り入れて、
数台の電車をはみださないように置くことができるスペースを作ってあげると、
「狭い」「広い」という概念に親しみ、面積に対する興味にもつながります。
色画用紙を折ってトンネルを作ったり、紙で立体を作って
展開図のようになったものを見つつ遊べるようにしてあげるのも
このタイプの子の気持ちを満たします。
このタイプの子たちは長さが比べられる写真のような棒状の積み木や
遺跡などを作るとき仕上がりがきれいなレンガ積み木でよく遊びます。
このタイプの子らは、遊ぶことと学習の壁が薄いです。
歴史や地理や化学や計測と関係ある算数を幼いころから好みます。
けれども、感覚的に学びたいときに、考える問題をあれこれ出題されると
勉強を嫌がるようになるかもしれません。
自分の興味からスタートする学習を何度も繰り返すことが好きなのです。
几帳面で完璧主義なので、できることが確認できないと、
取り組みたがりません。理想やプライドが高い子が多いので、
他の同年代の子と比べるような学習をさせると、強い拒絶を示すときもあります。
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積み木遊びの話からそれますが、お勉強の話も少し……。
感覚タイプの子たちは、計測することがとても好きで、
算数を学び出したとき好むのも、
まわりのながさが、14センチの四角形があります。
たてはよこより1センチながいです。たてとよこの長さは何センチですか
といった問題や、
12デシリットルと、300ミリリットルを合わせると、
何デシリットルになりますか
といった問題や、
表やグラフにデーターをまとめてあって、分析しながら解いていく問題です。
感覚が優れている子たちはたいてい
新しいことよりも慣れている繰り返しを好みます。
ですから、毎日コツコツがんばって、
スローステップで力をつけていく系統学習を好む子も多いし、実際、それによって
力がついていきもします。
ただ、感覚が優れている子の中でも、
思考を使うことを好み、難問にチャレンジすることが好きな
外向か内向の感覚思考寄りの子 と
外向か内向の思考感覚寄りの子の一部には、
スローステップで学ぶ方法はまどろっこしくつまらなく感じられる子もいるようです。
感覚が優れている子で、
思考タイプで感覚寄りという子も
感覚タイプで思考寄りという子も、
一般的に基礎計算の繰り返しなどを好むと捉えられている「幼児期や低学年の子」
という枠からはみ出してしまうような論理的な思考や抽象的な考え方を、
早い時期からしはじめます。
そうした子らは、暗記して練習させるだけでは、勉強に対する興味を失ってしまいます。
知力を限界まで使いたい子たちには
解いていて充足感が味わえるような問題を与える必要があります。
話を積み木遊びにもどして……
↑の写真は、外向的思考直観寄りの子と作った「なわばり図」ですが、
これはもともと内向的感覚思考寄りの子の作品からスタートした遊びです。
↑のような遺跡作りも、美しさだけでなく世界や歴史への興味を広げられる点で、
内向感覚思考寄り、内向思考感覚寄り、
外向感覚思考寄り、外向思考感覚寄りの子が好む積み木遊びです。