過去記事です。
の続きです。
今日は息子とわたしだけの寂しい夕食。
食事中に、殺戮系の小説(むごたらしく多くの人を殺す内容の小説)の流行と、
ネット上でしょっちゅう起こっている、いざこざについて話題がのぼりました。
息子が、こんなことを言っていました。
「中高の友だちのなかじゃ、親に良い悪いを決められて、
何を見るか、何をするか、制限を受けてることが多いやつほど、
くだらないものにはまってたよ……殺戮系のゲームとかマンガとか。
高校生くらいになってああいうものに極端にはまる友だちって、聞いてみると、
それまでに楳図かずおのマンガとかサイコホラーの小説なんかは、
一度も読んだことがなかったりするんだ。
大人が子どもに良いものと悪いものを見分けて分析して、
良いものを与えようってするのも程度ものだと思うな。
だって、どんなに『子どものため』という大義名分のもとでそうしたところで、
良いものを選ぶ過程で、絶対、選ぶ大人の私利私欲が含まれてくるように思うんだ。
国がそういうことする場合、人類全体の私利私欲ってものに関わっているのかも
しれないけど。」
母 「そうよね。幼い子の世界でも、何もかも大人が選んであげることが
当たり前のようになっているけれど、
そこで知らない間に大人の利己的な面に傷ついていってる子も多いと思うわ」
息子 「もちろん、商業主義の世の中だから、大人がある程度見分けてあげないと、
くだらないものを勧められやすいってのはあるし、実際、危険と隣り合わせのものに
子どもが接触する機会も多くなるんだろうけど。
でも、前提として毒を知らないと、きれいな話やまじめに人生を考えていこうとするような話が、
薄っぺらくてあほらしいものにしか感じられないもんだよ。
毒といったって、くだらない大量殺人の話なんかじゃなくて、
社会や人のダークで醜い一面……犯罪や死を扱っていながら、そこで作者が
真剣に生きる意味と格闘しているような作品にある毒なんだけどね。
ぼくにしても、筒井康隆の毒のある小説を読んではじめて、
小学生のころ読んだ『あすなろ物語』のいい部分がやっとわかったからね」
母 「子どもの世界をすべて光ばかりにしてはいけないって意見……
光のもとでだけ育てちゃいけないだったかな? とにかく暗闇というか
影の部分も必要だって話を目にしたことがあるわ」
息子 「大人が子どもに良いものだけ、頭を良くするものだけ、
きれいなものだけ選んで与えていたら、
嘘に出会わないし、それが進めば進むほど、頭が悪くなる気がするな。
世間一般に流されやすいか、周りの人や世論に流されやすくなると思う。
そんなふうに自分で取捨選択するのが苦手になるだろうな。
ぼくが学校で見たことがあるいじめの先導者は、
そんなふうに自分の意見を保っているのが難しいタイプだったよ」
母 「子どものためにって、いいものを見分けて与えるのって、
誰もがいいことだと感じているから、そこにある問題が気づかれにくいのよね」
息子 「殺戮系の本がぼくらの世代に流行っているのって、
確かにいい感じがしないかもしれないけど、
そういう事実を無視せず、確認しておくのって大事なんだと思う。
ほら、ネット上で、しょうもないことで悪口が飛び交って揉め事がしょっちゅう
起こっているけど、そういうのも、そんな馬鹿な人がいる、そんなのやめろ、
と言って済む問題じゃないと思うんだ。
そんなふうにあちこちで、無駄に殺意や怒りが吐き出されているって、
それはひとつの現象として、背後にもっと重要な何かが隠れているように感じるんだ」
母 「わかる。お母さんの子どもの頃のハトにしたって、そうだったんだから」
息子 「ハト?」
母 「あ、前に話したかな?お母さんの子どもの頃は、団地中の人が、
ハトハト無駄にうるさかったのよ。怒りの矛先は常にハト公害に向けられていたけど、
それで平和を保っていたけど、みんな表現できていない怒りやイライラを抱えていても、
本当にぶつけるべき相手にぶつけることができなかったのよ。
それでハトに対する執念はすごかったわよ、わたしの目の前でムギューッて子バトの首が
へし折られたんだから。あの光景を忘れたことはないわ」
息子 「そうか、急にハトが出てくるから驚いたよ。
そうだよね。無意味な殺戮ものを求めたり、
何の得にもならないネット上のののしりあいに、たくさんの人が夢中になるのは、
攻撃のやり方が間違っているか、攻撃対象が間違っているか、
そのどちらかか、どちらもなのか、
とにかく本当に自分が戦う相手を見失っているんだと思う。
これはぼくだけの考えだから、ちょっと変な意見なんだけど……
そういう現象見ていると、日本も海外みたいにスラム化していく地域が
増えていくのかなって思うんだ。
今は、生活保護に対して不満を持っている人が多いし、確かに
不平等でおかしなことになってる面も大いにあるけど、
これで支給が大きく減らされたら、今度は刑務所の食事を当てにして、
犯罪を犯す人が増えてくるんだと思うよ。
そんなふうにして、近いうちに、ちょっとした政策の変化で、
いろんな場所でスラム化が進むんでいくんじゃないかと思っているんだ」
母 「確かに、いろんな地区がスラム化していないことの方が不思議なぐらい
経済的に危うくなってるものね」
息子 「大阪に住んでるとさ、いつここがスラム化してもおかしくないって
感じるよ」
息子 「潜在的な部分で、無駄に殺意や怒りが吐き出されているって状態は、
今の表面的な平和がちょっと崩れただけで、
いつ海外で起こっているストライキのようなものが日本中で頻発するようになったって
おかしくないってことだと思う。
戦ってはいけない、平和でなければいけないって、論理とか法律とか、
メディアの力で押さえつけるだけじゃ、これからはダメなんだろうな。
経済的な発展が遅れている国に比べたら、日本は自由で豊かで恵まれた国だよ。
職業選択や生き方は自由だし、遊技場にしても、
買って楽しめるものにしてもたっぷりあるにもかかわらず、
幸福度指数が低くて、心を病んだり、生きることに疲れていく人が多いよね。
それって、もっと国が豊かになってお金の悩みがなくなったら
解決するほど単純な問題じゃないと思う。
日本の経済を潤してくれるような成功者が出てくるとか、
新技術が発見されて経済が好転するといった商業主義にのっとっものじゃ
解決しないってこと。
オーバーなようだけど、革命というか……社会全体のシステムを一新するような
革新的な解決が必要なんじゃないかな?
お金では得しなくても、精神的によくなるシステム作りというか。」
母 「経済的な豊かさ以外に、どうな解決法があると思うの?」
息子 「今、何が苦しいのか、何が社会を暗くしているのかというと、
一番にあるのは、仕事の問題なんだと思うよ。
豊かなはずの日本なのに、正当に働けば働いただけの見返りがあるわけじゃない。
物作りに関わる仕事なら、実際に物を作っている側、汗水流して働いている側が
低い賃金で過剰に働かされて、作らせている側、ある意味、
本当に必要ではない仕事に従事している側がたくさん儲かる仕組みになっているよね。
いろんな場所でそうしたことが言われているし、怒りを駆り立てているけれど、
でも、社会の仕組みが複雑すぎて、
いったい何をどう変えたら個人個人にとってよくなるのか、わかりにくい。
それで、問題を糾弾して騒いだり、本質的な問題からずれた敵を攻撃するだけで
終わりがちなんだと思う」
母 「日本に住んでいても、少しも豊かさを実感できないのって、
仕事から生きがいや自信や喜びを得にくいことが大きいんでしょうね。
一生懸命勉強して憧れの仕事についても、就職してから辛くなっていく人が多いしね」
息子 「ひとつ変えるとすれば、本当は必要のない仕事や意味のない仕事を減らすこと
じゃないかな。
社会のシステムを見直して、間接的に関わるだけでお金を動かしている人よりも、
ちゃんと働いて何か価値を生み出している人にお金がたくさん行くようにしないとさ。
でも、そうなると、これまでの資本主義の問題点を
さまざまな職種の人に不公平が出ないような形で検討しなおしていかなきゃならないん
だと思うよ。
もちろん社会主義を見習うのは問題が多いし、実際、社会主義の国っていうのは
『行き過ぎた資本主義』みたいになっているから、
資本主義を推している側は、北朝鮮みたいな国を敵対視して、社会主義のあり方への
嫌悪感をあおって、だから資本主義は正しい……って結論づけているように見えるよ。
でも、そこで、さまざまな今の社会へのいらだちや不満を攻撃の的にした国を
バッシングするこでうやむやにしちゃいけないと思うんだよ。
もちろん、北朝鮮の問題は問題としてきちんと対処しなきゃならないんだろうけど。
でも、怒りの矛先を向けるものができたからって、
今の資本主義のあり方に改める点がないってことにはならないはずだよ。
真剣にまじめに働いたら損したり、働きたい人が働けなかったり、
働けたら働けたでサービス残業をしまくらなきゃならなかったり……
法律の抜け道がそうした社会システムを温存させているなら、
戦う相手は、漁夫の利を狙うように攻撃を一方向に向けさせては
利益を得ている人が作りだす架空の敵じゃないはずだよ」
母 「そうよね。いろいろなものに対してイライラして過ごすうちに
本当の問題が見えなくなっているけど、でも、問題が見えてきても、
どう改善していけばいいのか見当もつかないわ。難しい問題ね」
息子 「ぼくは頭が良ければ、勝ち組になってお金が儲かるってシステムは、
安易に肯定しちゃいけないと思っているよ。
ドラゴン桜とかのマンガじゃ、お前も勉強してかしこくなって金持ちになって、
成功者の人生を歩めって言葉で、子どもたちのやる気を引き出して、
受験勉強に向き合わせようとしているけど、
そもそも学問って金儲けをするための道具じゃないしね。
そういう考えが、悪知恵が働く人、うまくごまかせる人が儲かるシステムを
作ってるようでさ。
携帯電話の販売にしても、世間でうまくいっている多くの物事が、
わざとややこしくして人の盲点をついて騙して売るような形を取っているじゃん。
政治に何か期待するとしたら、
法律でくだらないことを規制しなくていいから、もっと経済全体を見渡して
これはおかしいって点を正して、人がまじめに正直に働く意欲があれば、
働いた分だけはきちんと返ってくるような健康的な社会になることを考えてほしいよ。
でも、もしそれを目指すとすると、一部の上層部とされる人々が議論するだけじゃ無理で、
精神的な面で大衆全体の意識が変わらなきゃ難しいんだろうけどね」
母 「精神的な面で大衆全体の意識が変わる必要があるというのは、具体的にいうと、
どのような変化が必要だと思っているの?」
息子 「知識も産業も最先端まで行くと、その先は退化していくだけって印象があるよね。
さまざまな分野で、もう発展しつくしているから、ここから先は欲求を抑えていくだけ、
我慢していくだけのように見えるというか……。
自分には、戦う相手を定めて、本気で格闘していく必要が与えられていないというか、
何か自分がやったら国に迷惑がかかるから、ひたすら国のために働いて
死んでいかなければならないと信じこんでいるというか。
確かに、知識の面でも産業の面でも乗り越えなければならない大きな山とか、
突破して打ち倒さなければならない相手とか、そういう自分の戦士の部分、
ヒーローの部分を燃え上がらせて、向かうべきものが定めにくくなっているよね」
母 「電化製品の製造も、みんなが本気で欲していた技術は達成されて、
今はデザインやネーミングで差別化をはかってたりして……確かに
自分を燃え上がらせて何かを打破するって時代じゃないわね」
息子 「戦後のどさくさを生きてきたとか、学生運動してたとかいう人が、
今よりずっと苦しかったはずの過去を振り返って、あの頃は活気があったって、
肯定的に話すのを聞いていると、
人は冒険心とかヒーローになりたい気持ちとか、
そういうものを外に出していける場があると、
生活はどうであれ生きている実感が湧きやすいんだなと思うよ。
それで今、自分たちは最先端に近づいていて、
これから先は小手先で見た目をいじるだけだとか、我慢していくだけだとか、
退歩していくだけだとか考えて、
理由もなく生きることに疲れてくる人が増える気がする。
今日、現代文の勉強していてさ、西洋医学の病名をつけてそれを重視する医療と、
東洋医学のホリスティック(全体的)医療について書いてある文を読んだんだ。
その文でしている批判は、病名をつけてそれを根絶する今の医療が、
病気は自分を超えた存在から与えられた試練で、
生き方を考えるきっかけとみなすような感覚とか想像力や治る力を
弱めているんじゃないかって話なんだけど。
それ読んで、現代に必要とされている意識の変化ってのは、
西洋医学の先っぽまでいって、先に進めなくなっていた医学の世界が、
東洋医学のホリスティック(全体的)医療の考えを認めていくのに
似ているんじゃないかと思ったんだよ。
最先端で、これ以上先がないように見えるものの先に目を凝らして、
ため息をつくんじゃなくて、
それ以外のもっと全体的な見方があるんじゃないかなと考えるってことだよ」
母 「ホログラフィックユニバースを書いた
マイケル・タルボットがしたような見方を取り入れるってこと?
今の政治や社会のあり方に?」
息子 「そうだよ。どの分野も最先端に向けて進歩し続けているって
捉えられている一本の道筋があって、
その道上の進退にばかり目が奪われているけれど、
同時にもっと全体的な見方で、医療の世界でいう東洋医学的な捉え方で、
それを見直す必要があるんだと思う。
そういう意識の転換が、これからは求められているんじゃないかな?」
長くなったので続きを読んでくださる方はリンク先に飛んでくださいね。
いつもありがとうございます。