虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

政治と社会システムについて考えること  (息子とおしゃべり) 8

2011-10-15 20:47:25 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

夕食中、ニュースで、アメリカの「99パーセントの私たち」をスローガンに掲げたストの様子が流れていました。

黙ってテレビ画面を見つめていた息子は、少し沈んだ様子でこんなことを言っていました。

 

息子 「こうしたストが創造的な解決法に結びついていくのは難しいよね。

こんな時代だからこそ、働く意欲のようなお金とは別の次元の価値を見直していく

必要があるんだろうな。

今はさ、お客にはどんなにサービスしてもし足りないくらいサービスするのは当たり前で、

働く側はどんなに苦しくてもいいと思われている半面、多少、詐欺的な面があっても、客を騙すような儲け方

をしても構わないって風潮があると思う。

 

でも、多くの人が、自分は99パーセントの被害者だって感じるような経済なら、

そろそろ、仕事観を改める時期が来ているんじゃないかな。

働くことから得る精神的なものの価値について、それぞれが考えていく時期が来てるっていうかさ。

経済とか社会の仕組みを、個人個人の感情の面からも捉えなおすのも大事だよ。

人の幸せはお金と等価交換できないからさ。

 

働くからには辛くなくちゃいけない、命をけずっていかなくちゃならない、

時には自分の道徳心を裏切って詐欺的なこともしなくちゃならない……それが社会で、

それが仕事ってものだって考えを、社会全体で見直して、

みんなが幸せを感受できる社会システムを作っていかなくちゃ

お金を持っている人と貧しい人の衝突は、これから激しくなる一方だと思うよ。

それぞれの人にしても、仕事は単にお金を得る手段と割り切るのではなくて、

仕事そのものに魅力を感じる能力がいるんじゃないかな」

 

息子が仕事と遊びを分けたくない、生きている実感を持って仕事がしたいと

いう願いは、おそらく息子が小学生の頃から惹かれていた

『仕事の遊び化』というテーマとつながっているのでしょう。

以前も、息子とそうした話題で話をしたことがあって、

わたしは、「(仕事の)遊び化といっても、遊び半分という意味でなくて、

プロフェッショナルとして、天職として仕事に関わるとき

そうしたものを感じることができるのよね」と息子がいわんとすることを受けたことがあったのです。

 

↓は、その時の息子との会話です。 

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息子 「ぼくはずっとゲームクリエイターになる夢を抱いてきたけど、
ゲーム好きの人たちと自分の間には、
かなり感性の違いがあるのはずっと感じてきて……
最近になって、本当にぼくはゲームが好きなんだろうか?
って思うことが増えてきたんだ。

ぼくがゲームに対して感じている面白さって何なんだろう
って突き詰めてみると、
さっきお母さんが京都の巨大鉄道ジオラマの話をしていたから
閃いたんだけど、

『仕事の遊び化』って部分に

惹かれているんじゃないかと思うよ。

ぼくがゲームを面白いって感じている基盤の部分に、
この『仕事の遊び化』を生み出したい気持ちがあると思ったんだ。

ジオラマ作りに参加した職人やアーティストは、
退屈で苦しいはずの作業の中に、わくわくする楽しい気持ちやフローの感覚を抱いていたはずだよ。

この『仕事の遊び化』って、昔から人が苦しいものを喜びに変えたり、
辛い作業から楽しみを抽出する知恵として
存在しているものだと思うんだ。
たとえば、プラモデルなんかも、設計の仕事から、
楽しい部分だけを抜き出したようなおもちゃだよね。

ぼくがゲーム作りをしたかった一番の理由は、
ゲームという媒体を使って、
人間の営みをいろんな視点から眺めたり、そのユニークな一面に光を当てる
のが楽しいからなんだって気づいたんだよ」

私 「『仕事の遊び化』……そうね。日本が豊かになって、
物ではうんざりするほど満たされた後に、
きっと人はそうしたものを求めだしているように感じるわ。

遊び化といっても、遊び半分という意味でなくて、プロフェッショナルとして、天職として仕事に関わるとき
そうしたものを感じることができるのよね。

人の営みの面白い面を再体験したいって思いから
ゲームは生まれたのかもしれないわね」

そう言いながら、私は息子が小学生のとき
モノポリーが好きでたまらなかったことを思い出しました。
何度やっても、いつも息子の一人勝ち。

どんなに他のメンバーの情勢が良いように見えるときも、
なぜか最後には息子の戦略にまんまとはめられて、
お金をほとんど奪い取られてしまうのでした。
手作りモノポリーもたくさん作っていました。

モノポリーは投資のゲームですから、それもおそらく『仕事の遊び化』という一面で惹かれていたのでしょう。

息子 「現実に体を動かしてやった方が面白いものを、
ゲームにするのは好きじゃないんだ。
どんなにリアルさを追求しても、実体験には負けてしまうから。

でも、そこのゲームの世界も、より美しい画像で、より高い技術でってことを追いかけていくうちに、
人間的な部分が置いてけぼりになっている気がしてさ。
人が何を面白く感じ、何に心が動かされるのか……って所を見失ったまま進化が進んでいるようだよ。

それで、そうした世界でぼくは本当にゲームが作りたいんだろうか?
面白いものが作れるんだろうか? って思いだしたんだ。

先々、ゲームを作るにしろ、作らないにしろ、
まずゲーム会社とは全く職種の違う世界で働いて、
そこでの仕事に熱中しながら、自分の作りたいものを捉えなおした方が
いいような気がしているんだ」

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経済的に不安定な世の中になってくると、

これから先どうなるのか、さっぱり見えないけれど、

息子をはじめ家族の誰もが、クリエイティブにそして真摯に生きていきたいなと望んでいます。

そうして生きて、働いていく限り、

どんな経済状況に陥っても幸せだなとも感じています。

以前、息子と「クリエイティブに生きる」ことについて交わした会話をリンクしておきます。

 クリエイティブに生きる 1

クリエイティブに生きる 2

クリエイティブに生きる 3

クリエイティブに生きる 4

クリエイティブに生きる 5

クリエイティブに生きる 6

 

勉強のこと 教育のこと 親子の会話 1

 勉強のこと 教育のこと 親子の会話 2


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