虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

2、3歳の子といっしょに楽しむ折り紙遊び

2014-11-21 20:30:47 | 工作 ワークショップ

2歳11ヶ月のAちゃんと3歳4ヶ月のBちゃんのレッスンで。

 

AちゃんとBちゃんが、今、折り紙で楽しんでいるのは次のことです。

★ 折り紙をはさみで切っていくこと。

★ 「半分、半分……」と折っていき、最後にセロテープでそれをとめること。

★ 折り紙を丸めてキャンディーを作ること。

 

 

切った折り紙を鉛筆でくるくると丸めていく作業を見せると

AちゃんもBちゃんも真似して丸めていました。

子どもたちと折り紙遊びをする時は、本人たちが今やりたがっている作業を

十分させるのと同時に、新たな遊びのお手本も見せています。

今回は、三角や四角に折った形でパズルを作るところを見せました。

 

するとAちゃんが上手に真似してお家の形を作ってのりで貼っていました。

 

動物の周りを囲って動物を入れて遊んでいます。

 

「電車の駅を作る」というBちゃん。半球のつみきを3つ並べて、

右から、「これは電車が止まるボタン、これはビューンってはやく走るボタン、

これは、電車がゆっくり走るボタン」と説明しました。

 

さらに半球をふたつ置いたBちゃん。

「それは何のボタン?」とたずねると、

しばらく首を傾げてから、「それは他のことのボタン!」と言いました。

 

AちゃんもBちゃん数にとても敏感な時期のようです。

数遊びの時間をとても楽しんでいました。

 

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<折り紙に関わる過去記事です>

 

折り紙でミニカーワールドを

折り紙のテキスト

 

折り紙のテキスト

 

100かいだての いえ


小学2、3年生になって困った行動が増えてくる良い子たち

2014-11-21 17:59:08 | 教育論 読者の方からのQ&A

過去記事を紹介します。

 

「頭もいいし、集団行動はとれるし、聞き分けはいいし……」と

申し分のない良い子だった子たちが、

小学校の2、3年生になると、度を過ぎたおふざけをしたり、

2,3歳児のようなわがままを言ったり、口が悪くなったり、

友だちと言い争うようになったりするときがあります。

しょっちゅう感情を爆発させたり、指示に従わずにぐずぐずするようになることも

あります。

2、3歳の頃に反抗することがなかった女の子に多いように思います。

厳しく叱ったほうがいいのか、ストレスだろうと大目に見たほうがいいのか、

放っておくとエスカレートするのか、わかるまで言い聞かせたらよいのか

親御さんは迷うところだと思います。

身近にいるお友だちの影響かと心配になるかもしれません。

幼児期に「いやだ、私はこうしたい」とか「私はそっちじゃなくて、こっちが好き」

「お母さんが決めないで!お父さんが決めないで」「私のだから貸したくない」

「弟(妹)みたいに甘えたい。わがままが言いたい。弟(妹)ばかりずるい」

「腹が立つから誰かに当たりたい」「今日は、それがしたくない」

といった気持ちを感じても、とてもおりこうで従順で、

無意識のうちに大人の意のままに動いて自分の感情を表現しそびれてきた子に

よく起こるようです。

そうした突然プチ反抗をしはじめる良い子たちと接していて思うのは、

親御さんが愛情深くて、共感的で、親として心が安定していて、

子どもが「自分の負の面を表現して、幼児期にやり残した仕事をしても大丈夫だ

と安心できている場合、

小学生のこの時期に困ったちゃんになっているなということです。

幼い頃から親の手をわずらわせてきた育てにくい子たちは、

小学2、3年生になる時期にずいぶん落ち着いてきます。

(叱られたり、責められたりして2次障害を起している子は別です)

また、親が精神的に不安定で、

子どもに過剰な期待をかけてがんじがらめにしていたり、

家族の仲が悪くて子どもが良い子でなければ家庭が壊れてしまうような

雰囲気だったりすれば、

子どもはそれまでやり残した問題を思春期や青年期に先送りして、

小学生の間、ずっと良い子を続けるかもしれません。

親が優しく接しているのに、子どもが度を越したわがままやおふざけを繰り返すとき、

「甘やかしているからこんな行動にでるのだろうか?

厳しくした方がいいのか……無視して、わからせた方がいいのか……。」と悩んだり、

「このまま、どんどん悪さがエスカレートしたらどうしよう?」

という不安に囚われるかもしれません。

でも、人間は、小学生の1時期の行動を、高圧的に修正しておかなかったから、

それがずっと続く……などという単純な生き物じゃありません。

特に、それまで親に反抗らしい反抗をしなかったような良い子が一時期、

別の一面を表現してみたところで、少しすれば、

「極端に他人に合わせたり、顔色をうかがう癖を手放しただけの成長した良い子」

になるだけです。

おろおろして言いなりになったり、叱らずに放っておいたりしてはいけませんが、

頭ごなしに押さえつけたり、冷たい言葉を投げつけたり、

ルールが厳しい子どもの反抗を受け付けないような塾や習い事の力を借りたり

するのは、ご法度だと感じています。

良い子だった子が困った行動をくりかえす時、

それは確かに「度を越している」などの理由で、

その場にそぐわないことではあっても、

その子のそれまで表現してこなかった魅力的な一面を含んでいる場合がよくあります。

口答えからは、勇気があって自己主張がしっかりできる自立した性質が

顔をのぞかせているかもしれませんし、

おふざけからは、ユーモアがあって周りを楽しませる社交的な一面が見えるかも

しれません。

ぐずぐずするのは、自由に自分の心や身体を休めたり、

想像力を羽ばたかせたりする時間の大切さがわかっているからともいえます。

それまで表現しなかっただけに、

幼稚なわがままに見える表現方法にはなっているけれど、

外に出しながら洗練させていけば、

かけがえのないその子の魅力となっていく可能性が大きいのです。

ですから、叱るときは叱り、きちんと限界を設けながらも、むやみに心を傷つけたり、

将来を不安がったりする必要は全くないと思います。

 

医学博士のディーパック・チョプラ

(『タイム』誌の今世紀を代表する100人に選ばれた人物)と、

シャドウを研究した第一人者で、世界的賞賛を受けているティーチャーの

デビー・フォードと、

マリアンウィリアムソン(『ニューズウィーク』誌の最も大きな影響力を持つ

ベビーブーム世代50人に選ばれた人物)が、

『シャドウ・エフェクト』というとても興味深い共著を出版ています。

その著書の中に、次のような一文があります。

「論理的思考がまだ十分に育っておらず、両親や祖父母から受け取ったメッセージを

自分のフィルターにかけられない幼児期に、シャドウという人の影の部分が生まれる」

自我が確立されていない子どもは、

「おまえは、ここが悪い、あそこがよくない」というメッセージを受け取り、

罪悪感や恥辱感を覚えたり、

「大声で騒ぐな」などの注意を受けた場合、

「恥ずかしがりもせずに、自己表現するのは悪いことだ。」と解釈したり、

小学校で、発表して同級生に笑われた場合、「馬鹿にされた。二度と、積極的に

出るのはやめよう」と受け取ってしまうことがあるのです。

否定的なメッセージは、自分自身に対する考え方を変え、

「これは絶対に受け入れられないだろう」と思う、自らの個性の一部を完全に隠して

しまうことになるそうです。

 

『シャドウ・エフェクト』 (VOICE)の一部を紹介します。

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……ひとたびシャドウが生まれると、私たちの自己表現は押し殺され、

他人の目を意識したいびつなものになってしまいます。

それは大きくなるにつてて、両親や教師、友人、そして社会から

「愛と承認を勝ち取るためには、すでに用意された脚本にしたがわなければ

ならない」と教えられるからです。

さらに学校へ通う年頃になると、私たちは「こういう行動をとれば嫌われる」

「批判される」「拒絶される」「悪者扱いされる」というパターンを学ぶ一方、

「こういう行動をとれば褒められる」「賞賛される」「注目を浴びる」という

パターンも会得していきます。

この時点から、もし自分の中に社会基準や自らのエゴの理想と合わない部分があった場合、

私たちはその部分を切り離すようになってきます。

「こうするとと目立ちすぎるから」「愚かだと思われるから」など

あらゆる理由をつけて、自分自身の受け入れがたい側面をことごとく否定するように

なるのです。(略)

私たちがこのアイデンティティを創り出してしまうのは、

自分の不充分さを補う場合もあれば、周囲(両親や友人など)の期待に応えるための

場合もあります。

そのどちらであれ、もしエゴの望みどおりの役割を果たし、本来の役割を排除すれば、

人生は冒険や楽しさとは無縁の、無味乾燥なものになってしまうのです。

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この著書のタイトルである「シャドウ・エフェクト」とは、

人が自らの中に押さえ込んだ影の部分(シャドウ)が、

その人の人生の主導権を握って悪い影響を与えることです。

シャドウは、人を臆病にして、成功の邪魔をするだけでなく、

悪癖や無駄なくりかえしに没頭したりたり、

成功しかけたときに、自己破壊的な言動をとったりするように仕向けます。

もとをたどると、シャドウは決して悪いものではなく

その人の一部であって、才能や能力やユーモアや成功や勇気が隠れている場所です。


 


工作で本当に水の出る水道つきのシンクを作るアイデア

2014-11-20 21:08:28 | 工作 ワークショップ

 

ポンプ式のハンドソープの空き容器などを使うと

本当に水が出てくるシンクを作ることができます。

 

作り方は、空き箱にポンプとプラスチック容器を入れる穴をあけてセットし、

防水用に布テープを貼るだけです。

プラスチック容器の代わりにいらないアルミのお弁当箱を使うと

さらにシンクらしくなります。

 

このアイデア、娘が幼い頃、赤ちゃん向け雑誌の工作コンテストで

(空き箱ではなく木の板を使ってていねいに作ったのですが……)

賞をいただいた思い出深いものです。

空き箱で作ってあげる場合、5分もあればできるものですが、

庭やベランダでするままごと遊びで重宝します。

 

 

 


算数が得意になってきた年中さんたち

2014-11-19 19:43:36 | 算数

年中グループのレッスンで、

子どもたちの算数の力の伸びを実感する出来事がありました。

 

教室に来る度に

「100階まで上がるエレベーターが作りたいよ。」と言っているAくん。

これまで何度も、ブロックや紙箱でエレベーターを作ってきたので

今回は折り紙でエレベーター付きのマンションを作ることにしました。

が、100階までと言っていたのに5階建てのマンションを作って挫折。

他の子らとゲームに興じていました。

 

 

<折り紙のお家の折り方>

折り紙を半分に折ります。さらに半分に折って折り目をつけてから、

折り目に向かって折ったあと、広げて下の写真のような形にします。

 

 

もう一方も同様に折ったら出来上がり。これをどんどんつなげて

○階建のマンションを作っています。

 

 

算数の時間に、みんなで『メダルドリーム』というゲームをしていた時のこと、

「Aくんね、100階まで上るエレベーターが作りたかったんだけど、

今日は、5階までのマンションしか作らなかったから、5階までしか上がれないのよ。

あと、何階分作ればいいと思う?」とたずねると、

Bくんがすかさず、「95階分」と答えました。

昨年、グループレッスンに参加することになった際は、お母さんから

「お姉ちゃんにくらべて数の理解がゆっくりしているみたいです」と

相談をいただいたこともあるBくんですが、

現在は、頭脳ゲームやパズルが大好きで暗算が得意な子に成長しています。

 

メダルの得点計算は、

「金メダル5点、銀メダル2点、銅メダル1点、幻のメダル10点、

呪いのメダルはマイナス10点」というなかなかのややこしさ。

でも、どの子も自分でしっかり数えあげていました。

 


「なぜ?どうして?」と問うことが少ないので心配です。

2014-11-19 15:00:02 | 幼児教育の基本

過去記事です。


コメント欄で次のような質問をいただきました。

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こんにちは。子供について心配なことがあります。

それはあまり「何故?」「どうして?」と小さい頃から問わないことです。

私もそうだった気がします。そういうものだと受け入れてしまうのです。

これでは思考することが苦手になるように思います。

親がどのように導けばよいでしょうか?

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「びっくりした」「ふしぎだな」「面白いな」 と感動する体験がたくさんあるほど、

子どもは、「どうして?」「なぜ?」と問うようになるように思います。

 

また、親子で「どうなるかな?」「こうなるんじゃない」「次は?」と予測したり

推測したりするおしゃべりが多いと、

「えっ?どうして?」という気持ちが生じやすいです。

 

たとえば、「今日、○ちゃんと夜ごはん食べてる時、お空にお月様来てるかな?

あそこらへんかな?」など話していたとすると、子どもは「お月様、空にいるよ。

夜だからいるよ、きっと」と答えるかもしれませんよね。

でも、実際、夜になって空を見上げると、月が見えなかった時には、

「どうしてお月様いないの?」

「今日は、曇ってて雲がたくさんあるから隠れているのかな?」

「どうして隠れているの?かくれんぼしているの?}

「どうしてかな?」といったおしゃべりにつながるかもしれませんし、

しょっちゅう夜空を気にかけるようになると、

「どうしてお月様の形はいろいろなの?」「だれか食べたの?」

「ごっつんってして、へっこんだの?どうして?」といった質問が

出てくるかもしれませんよね。

 

下の写真のような電車や駅を作って遊んでいる場合にも、

子どもが電車の上に人形を乗せた時には、トンネルにぶつかるかな?

ゴツンってするかな?」などと言うと、ヒヤヒヤしながらそれを見守ったあとで、

「あれ、ぶつからなかった~どうして?どうして?」と

親御さんが不思議そうにしていると、

子どもが「きっと、(トンネルが)高いから」などと答えることでしょう。

そんなふうに「どうして?」を口にして遊ぶことが多いと、

子どもから「どうして?」という疑問もよく出てくるようになると思います。

 

 

↑ ひもをひっぱると、あんぱんまんがぴょこんと飛び出す仕掛け。

こうした動きのあるブロック作品や工作作品は、

子どもの「どうして?なぜ?」という気持ちを育みます。


2歳児さんたちの知恵遊び

2014-11-19 14:53:22 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

過去記事です。

 

2歳児さんたちの知恵遊びの様子を紹介します。

裏に物の影が描かれているかるたで、遊んでいます。

「いちご」「さんりんしゃ」などよくわかっています。

 

こうしたかるたがない子も、お家に帰って影を見て何か当てることができるように

影絵遊びの提案をしました。

一部分だけ光を当てて、何なのか当てるのはさらに難しいです。

 

すぐに裏をのぞいてしまう時には、影絵用の箱を作るのもおすすめです。

右、真ん中、左の箱のどこかにピカチュウバスが入っています。

「こっちかな?」「ちがうね。ここかな?」と推測するのが楽しくてたまらない様子の

2歳4ヶ月の○くん。

 

2歳児さんたちは、未来に起こることをあれこれ想像しておしゃべりをするのも

大好きです。

 

たとえば、子どもが写真のようにバスに人形を入れたとしたら

「しまじろうのママがバスに乗ったね。お買い物に行くのよ。

お魚買って、どえらえもんのお菓子買って、レジではいどうぞってするのかな?

しまじろうのママはお買い物に行くのよ。

バスに乗って、それから、ピンポーン、おりますおります、ってするのかな?」など、

これからすることを想像して、子どもといろいろなおしゃべりしてみるといいですね。


歴史好きな子、お城やお寺が好きな子のおもちゃと遊びの広がり

2014-11-18 08:19:42 | その他

教室には、「テレビの時代劇から歴史が好きになった」

「大阪城に出かけて以来、大のお城好きになった」

「幼稚園や学校で武士の話題が流行っている」

「忍者好きから歴史も好きになっていった」といったきっかけから、

歴史に関する話題が大好きになったという子らがたくさんいます。

 

上の写真は、3D立体パズル の大阪城と姫路城です。

この3Dパズルのシリーズは比較的安価ですがとてもしっかりした作りです。

作るのも楽しいし、作った後で、縄張り図を見ながら

ブロックや積み木でお城の周辺を再現すると遊びが広がります。

 

縄張り図を見ながら……といっても正確なものではなく、迷路作りの延長ですが……。

 

 

今は販売されていないと思いますが、『風林火山』ゲームです。

ルールを易しくして、幼い子や発達に凹凸のある子たちも楽しめるようにしています。

 

<ルール>

サイコロをふたつ振って、出た目の組み合わせが書いてある陣地に

自分の色の武士を置いていきます。

同じ陣地を取りあうことになったら、トントン相撲で勝負します。

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過去記事から歴史やお城やお寺に関する遊びの様子を

紹介しますね。

↑はブロックで作ったお城とお城の周辺。

敵が攻めてきた時に橋が落ちようにしています。

 

寺院好きの小2の女の子たちが作った三重の塔。

 

小1の城好きの男の子が発泡スチロールカッターを使って

作ったお城。お城の守りの方法を研究するのが好き。

 

小学3、4年の子たちの彦根城。

 

『狭間(さま)』 ↑  戦闘の際、ここから鉄砲などで攻撃した

壁や塀に作られた三角形や四角形の隙間。

 

9~11歳の子らが協力して作った清水の舞台。

 

 


「結果」と「チャレンジすること」のどちらに重きをおいて行動するか

2014-11-17 13:49:16 | 日々思うこと 雑感

コメントをいただいたついでに、過去記事を紹介します。

 

小1の子たちの作品。「カップ式のジュースの自動販売機」

3人で協力して作っていました。

 

『学びの物語の保育実践』 (大宮勇雄 ひとなる書房)

という著書で次のような

興味深い話を目にしました。

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アメリカのキャロル・ドウェックが「学びに対する内発的な意欲」の姿を明らかにする

ためにこんな実験をしました。

4歳児に4題のパズルを解かせ、最初の3題は

4歳児には難しい全員解答不能となるものにし、

最後の1問は全員が解ける結果になる

ようにしたそうです。

 

それが終了した後で、やったパズルのなかでどれか一題を自由に選んで

もう一度解答するように促します。

すると、解けなかったパズルを選ぶ子と

全員が解けたパズルを選んだ子にほぼ半々に分かれる結果になりました。

 

次にそれぞれの子になぜそのパズルを選んだのか理由をたずねました。

 

すでに解答できたパズルを選んだ子は、「簡単」「できるから」「失敗しないから」といい、

むずかしいパズルを選んだ子らは「くやしい」「こっちの方がおもしろい」「時間があれば今度はできるはず」

などと答えたのだとか。

 

こうした選び方には困難な課題や解決法がわからない事態に対する

各人の立ち向かい方の傾向が現れているとドウェックは言います。

 

簡単なパズルを選んだ子どもの場合は、「正答できるという結果」を求めて

行動しているので、こうした立ち向かい方を「結果志向」と名づけています。

 

他方、後者の子らは困難や不確かなことに挑戦することそれ自体が

おもしろいこと、価値あることと考えています。

人間は一段難しいことにチャレンジするなかで、はじめてさまざまなことを学んでいくものですから、

このような子らは知らないうちに「学びと成長」に向けて行動しようとする

能動性が育っているといえます。

この立ち向かい方を「学び志向」と名づけます。

このふたつの志向はだれしも持っているでしょうし、どちらも必要でしょう。

 

しかし、学び成長する機会、すなわち難題や新しい事態に直面したときに

「結果」と「チャレンジすること」のどちらに重きをおいて行動をきめるかは個人差があり、

それが普段の行動に影響を与えているようです。

ドウェックが、難しい問題を解くときにどんな気持ちか話しながらやってもらう実験では、

結果志向の子は「とても解けそうもない」と悲観的な見通しを口にすることが多く、

学び志向の子は「きっと解けるよ」と楽観的な見通しを持っていたそうです。

                  『学びの物語の保育実践』 (大宮勇雄 ひとなる書房)の一部を少し短くさせていただいて引用しています。

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「結果志向」は、大人が子どもを褒めたり、失敗を責めたりする

「評価的対応」をすることから生じるようです。

 

「結果志向」の子は、友達が小さな失敗をすると、強く非難し、

「学び志向」の子は、友達の失敗を目にすると、その原因と解決法をその子と

いっしょに考える行動を選ぶのだとか。

 

その部分を読んで、虹色教室でグループレッスンを受けている子らは

「圧倒的に学び志向の子らが多いな」とも感じました。

 

行き当たりばったりで適当にやってきた自分の子育てを振り返ると、ひとつひとつの選択は

よかったのか悪かったのかいまだに答えがでないものがほとんどです。

その都度、とりあえず親として悩んだり迷ったりしたものの、

甘いのかゆるいのか、

結局全てにおいて、子ども任せ、本人の心が求めるものに

譲ることになっていました。

 

そうしてみて感じるのは、子どもを大人の評価に染めずに

本人の選択や判断を信頼してさえいれば、

「学びと成長」に向けて行動しようとする

能動性だけは飛びぬけてしっかり育ってくるということです。

「学び志向」とは、子どもが本来持っている自然なあり方なのだろうな、と思います。

 

『賢者の石』のなかでコリン・ウィルソンがこんなことをおっしゃっています。

 

「進化しようとする人だけが進化するということは真実なのである。」

「人間を自由ならしめているのは、人間を上へ上へと駆りたて、したがって、人間が選択をせまられたときに

理由を提供してくれる進化要求にほかならない。」

 

子どもの成長過程では、冒険心がものすごく高まって、

「困難や不確かなことに挑戦することそれ自体がおもしろいこと、価値あること」 

という思いが暴走してしまうような時期もあります。

以前、書いた『子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの?』という記事で

親としての覚悟を突きつけられた綱渡りでもするような心地で乗り越えた出来事を書いています。

 

この記事を読んだことがないという方は

どうぞ読んでくださいね。

 

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ずいぶん前になるけれど、「大学受験」を中心とする日本の教育システムの問題を指摘して、

「大学の格差を無くして受験を廃止すると、日本の教育問題の多くが解決する」
とおっしゃっている方と、議論をしたことがあります。
当時も今も、私は賛成でもなく反対でもなくどっちつかずのままです。

この教育システムの問題は身にしみてわかるし、
確かに、日本の学校が入りやすく出にくい大学になって、
子ども時代を塾通いと受験の準備に費やしてしまう子たちが減るのは魅力的ではあります。

でも現実には、生徒が集まらなかった大学が消えたり、
大学を卒業できずに困る人がたくさん出たり、一時期の混乱ではすみそうもないので、経済的な面で実現は難しい気がするのです。

わが家は、
「子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? 
そんなはずない。早い時期から受験準備に明け暮れて、
友だち付き合いや読書や
やりたいことが十分できないなんて、もっての他!」と、

どんなに周囲が受験に過熱していても、親子ともどもマイペースに過してきました。

うちの子たちは、受験テクニックとか受験対策なんてそっちのけで、
「目の前に山があるから登る。どうせ登るなら高い山がいい」という感覚で、
受験を体験してきました。

その結果、子どもたちの成長ぶりを見て、どの受験に対しても、
「合格しようがしまいが、やってよかった!受験勉強は苦しい面や、頭をぶつけることも多かったけど、がんばったなりの成果は得た。」という感想を抱きました。

だったら受験賛成派では?

と思った方もいますよね。

それが、やっぱり今も、賛成か反対かどっちつかずなのです。
というのも、
「受験が良い体験になった!子どもが成長した!」と、心底思えるのも、
わが家が、変わり者家庭だから……

つまり受験生のいる家庭とすると、かなりの小数派の『適当で楽天的で自由な』受験生活をさせてきたからとも言えるからなのです。

青色発光ダイオードの発明発見で世界中にその名を知られるカルフォルニア大学サンタバーバラ校の教授の中村修二氏は、
日本再生の条件で一番ネックは「大学受験」で、これを廃止すべきであるとおっしゃっています。

日本の大学受験は、「超難関ウルトラクイズ」そのもので、完全丸暗記の詰め込み勉強が不可欠。そんな将来に役に立た
ないクイズに合格するために、最も夢が多く、頭が柔軟な貴重な中学、高校時代を、無駄に過ごしていると指摘し、
このままでは世界に負けてしまうと危惧しているのです。

中村修二氏のおっしゃっていること、とてもよくわかるのです。

うちの子たちは、中学でも高校でも、呆れるほど無駄に見える時間をいっぱい過していて、旅行に行ったり、友だちと集まってゲーム制作したり、音楽に没頭したり、姉弟で麻雀に熱中したり、読書に熱中したり、絵ばかり描いていたり、料理したり、討論したり、映画を見たり、バイトしたり……そんな態度で難関校を目指すなんて、ふざけているの? と思われるような学生生活を続けてきました。
(本人たちにすると、受験勉強は受験勉強で全力を注ぎ込んでたので、
周囲を驚かすほど偏差値を急上昇させることはできたのですが……。)

その時期その時期は、「明日試験でしょ?」とヒヤヒヤしているのですが、
後になって振り返ると、勉強じゃなくてそういう無駄の中でこそ、いろんなことに感動して、自分でやってみて、自分がどんな人間か、何がしたいのかを理解しているのです。
人と人の間で揉まれて、精神的に大きく成長しているのです。
そうして、自分が将来やりたい夢をつかみ、それをやりぬくための技術やパワーを溜めているのがわかったのです。

子どもたちと話していると、それぞれが自分の人生を真剣に生きようとしている独立したひとりの人へと、この時期の体験を通じて成長しているのが
わかるのです。

でも、だからこの時期は受験なんかなくして、自由に青春を謳歌させた方がいいとも思えないのは、
娘にしても、息子にしても、
自分の計画する力や知力や根気や、だめだったとき持ち直す力を総動員して使っていかなくてはならない『受験』という
厚い壁は、
「社会に出る前のこの時期、経験しておいて本当によかった」と思えるものでもあったからです。

何度も崖から突き落とされて、自力で這い上がっていくような経験が、
外の世界で多少のことにへこたれずに、
自分の夢を追っていくためのベースとなってくれるはず……と、
受験の失敗も、それなりにありがたがってもいるのです。
(合格は、なおありがたいですけど)

ここまで書いても、受験に対する思いは、スパッとひとことで表しにくいのですが、目の前の受験に親の方がのめりこみそうなときは、
「子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの?」
と自分に問いかけています。

↓過去記事から、息子の中学入試体験と、受験を通して身についたものについて
紹介させていただきます。
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わが家の事情で何ですが……
子どもが幼い頃は、経済的に何の悩みもなくのほほんと生活していたのですが、バブル崩壊のあおりを受けて、ダンナがリストラにあい、
その後は、自営業で、食べていくのがやっとの暮らしをしていました。

そこに6年生に進級しようという息子の「私立中学に行きたい」があったもんですから、まさに晴天の霹靂で、
「お母さんは入学金を何とかしてあげるから、あなたは勉強を自分で何とかしなさい」と、本屋に連れて行って、受験したいという学校の赤本……選ばせると灘中の赤本だったのですが……を購入して、後は本人任せにするしかなかったのです。
それで、私は郵便局のパートで、晩の10時をまわって帰宅する生活がはじまり、
息子はというと、それまで学習習慣がないもんですから、
やったりやらなかったりではあるものの、灘中の赤本と格闘していました。

それまで私立の勉強をしたことがない子にいきなり灘中の赤本は無茶なようですが、
当時はあまりに中学入試の知識がなかったので、
「まずどういう受験問題が出ているか研究して、
それから必要な参考書なり問題集なりを探しに行こう」という順序で
入試と関わるしか、
何から手をつけたらよいのか想像もできなかったのです。

それと私にとって一番興味があったのは、受験に合格するかどうかではなく、
初めて自分からこういうことがしてみたい!と言い出した息子が、

途中で投げ出さずに、どこまでがんばれるのかな? ということと、

どんな順序で、どんな風に勉強していくのかな? ということだったんです。

自分なりに方法を模索するのか、何か私に頼んでくるのか、息子の出方を見る前に、私が先まわりしてレールを敷くのはおかしな気もしたので、
少し様子を見ることにしたのです。


灘中の赤本は、最初、あまりに難しくて親の私にもちんぷんかんぷんでした。
どれを見ても公立の高校入試の問題よりもはるかに難解でした。
ただ最初に赤本を買ったおかげで、
市販の中学入試用の問題集を何冊仕上げたところで、それだけでは
これらの問題を解けそうにないことだけはわかりました。

うちの息子というのは、「難しさ」に魅了される子です。
勉強自体は、6年生になるそのときまで、きちんとしたことがなかったものの、
物を作るときは、それを作ることは不可能でしょう……というものに惹かれて、紙1枚で何がなんでも作りたいものを作ってしまおうとするし、
パソコンでもテレビゲームでも友だちとの遊びでも、どこから手をつけたらよいのかわからないような
難しさを感じさせる場面でこそ、燃えるタイプなのです。

それで、受験がしたいというので本屋に連れて行ったときも、
何冊か過去問に目を通させると、
これはどれもどうやったら解けるのか見当もつかないないな……のオンパレード
だった灘中の赤本にすっかりのぼせてしまって、
息子の頭の中は、
受験するのはここ以外考えられない~というモードになってしまったのです。

そんな適当な理由でスタートした受験勉強ですが、
小学校に受験校に送るための資料をお願いしに行くと、
そんな無茶な……それはやめた方がいい……と、強く反対され、
しまいには算数専門の教師が怒り出す始末でした。
また、息子が軽い気持ちで友だちに受験することを話したため、
子どもを有名な受験塾に通わしている親が、そんな受験がどれほど
とんでもないことか……
まず自分の子の通っている塾で何位くらいにいるのか確認しなさいよ……
と外部の子用のテストの案内を持ってきました。

息子はといえば、「不可能」とか「難しい」とか「無理」とかいう言葉が無性に好きで、それに強烈にそそられるタイプですから、
そうして外から圧力がかかるほど、
火に油を注ぐのと同じで、
「絶対、灘中に行くんだ。この本全部できるようになるよ」と言って、
ひとりで過去問に目を通していました。

その頃は、中学入試というのがどういうものか、何が出るのか、何から手をつけていいものかさっぱりわからなかったため、
息子は公式も何も知らない状態で、灘の過去問を
問題の文面の情報から導けそうなものを自己流に膨らませて、
何とか答えまで持ち込もうと四苦八苦していました。
そうするうちに、シンプルに考えていけば解けるタイプの問題は
自力で答えが出せるし、
難しいものも答えを見れば、納得できるという状態にはなってきました。

そのあたりで、再度、本屋に行くと、
日能研やサピックスの出している問題集や、
『中学への算数』という雑誌
などを選んでいました。

私も、そうした問題に目を通すうち、すっかり中学入試問題の面白さに
心を奪われて……今の虹色教室も
その時期火がついた「私の中学入試問題オタク」な趣味の延長線上にある
のですが、
その年はとにかく掛け持ちでいくつもバイトやパートをしているので、
時間に追われていました。
ですから、外で遊びほうけてたり、テレビゲーム三昧したりしながらも、
何とか飽きることなく続けている息子の受験勉強の進行を
傍らからチラチラ覗き見るだけでした。
灘中の赤本と格闘していた息子が、
過去問を解くだけでは、らちが明かないので、
参考書や問題集を何冊か買ってこなくちゃ……と言い出したときには、

ざっと自分で数年分の受験問題に目を通していたため、

どのような問題が、どのような配分で出題されているのか、
確実に点に結びつきそうな分野は何か、
何をどれくらいの量、訓練したら良さそうか、
自分の強みがいかせそうな部分はどこかといったことを、

全体を俯瞰した位置から見渡せていたようです。

そのおかげで、最も得点に結びつきそうで、自分の強みをいかせそうなものの
ランキングが
自分のイメージの世界にできていたようです。

パートから帰宅後、息子の勉強を見てあげようとは思うものの、
灘中の問題は、当時の私には「何を手がかりとしたらよいのかさっぱり~」なものも多くて、
結局、息子からの勉強についての分析や経過の報告に
耳を傾けるだけでした。

息子は、最初に過去問で全体像をつかんでいたので、
最重要課題から順番に手をつけていってました。
こうした全体像を先につかんだり、自分にとって重要なことから、手をつけていく習慣は、
ボードゲームや工作など、好きな遊びに熱中するなかで、
息子が身体で覚えた勘です。
おかげで、短時間ながら、
着実に力をついてはいました。

ネックは時間。
計算が遅いし、ミスが多いところは一朝一夕には
なおらず、時間内に解ききることが入試の際まで、一番の課題となっていました。
実際、灘中の受験準備に一年ではあまりに厳しく、
「最低ラインギリギリだろうけど……
けっこう良い線までいってるんじゃないかな?
当日調子が良ければいけるかも?」
と期待したのもむなしく、結果は不合格。

ついでに受けた中高一貫校は、風邪による腹痛で、試験を途中までしか受けられなかったものの、合格していました。
この私学も関西ではとても人気が高くて、近辺の子たちも、ここの学校を目指して早くから受験塾に通い出すのです。
ですから、ラッキーと言えば、ラッキーで、
息子の受験計画の進め方は、まずまずだったんじゃないかな?とも
思われました。

最初から、合格できそうな学校を狙わず、自分の力を超えたチャレンジをした
ことで、不合格の痛手は負ったものの良いこともありました。
中学に入学してから、姉が数検を受ける際、
息子も同じ準2級(高1レベル)受けたがって、
2週間ほど姉の教科書を借りて勉強しただけで、
1次の計算技能、2次の数理技能のどちらも合格していたのです。
1年間、自分なりに、もがきながらがんばった受験勉強は、
息子の中に何かを残してくれていたようなのです。

数学への感性はもちろんなのですが、
「こういう結果を得たい」と思ったときに、

「結論から」「全体から」「単純に」考えて取り掛かって、
短期間にどうやって自分の思うような結果を導き出すか、
うまく段取りして、やり遂げる力が
受験を通して身についたようなのです。


喉元過ぎると熱さを忘れるものですが、 
息子の受験では高校に上るときも、かなり苦しい受験を体験しました。
息子の場合、灘には落ちたものの地元の中高一貫校に通っていたので、
入試なしで自動的に高校に上れることになっていました。
そこの高校の偏差値は70ありますし(高校から入るのは難しい学校なのです)、先生方はみな親切で教育熱心でした。それに、快活で気持ちの優しい友だちに囲まれて全てが順風満帆でしたから、
親の私は、学費の捻出でこそ悩みはしましたが、
まさかこのタイミングで受験に遭遇するとは思ってもみませんでした。

それは中3の夏のこと。
ある日、息子が意気揚々と学校から帰ってきました。
何でも、学校の先生から、すごくよい情報を聞いてきたというのです。
「うちは中高一貫校だから、高校入試は無理ってあきらめていたんだけど、
できるらしいんだ。今から半年くらいしかないけど、がんばって勉強するから、もう一度、灘を受けさせてよ」
唐突にそう切り出されて、
驚いたものの反対する理由もないので、
「それなら、がんばりなさい」とだけ伝えました。
当時、息子がいきなり受験を決意した理由は、
授業時間が長くて宿題が多い学校のシステムに、「過保護すぎる!もっと自由な校風の学校に移りたい」という不満を抱いていたことと、
単に、自分の全力をぶつけるチャレンジがしてみたいと思っていたからのようです。
確かにこの学校、宿題の量が半端じゃなかったのですが、
授業は長いし、通学に時間はかかるし、大量の宿題を済ませてから、高校受験の勉強するのは、あまりにも無茶な話のようにも見えました。
学校の定期考査や小テストの勉強もさぼるわけにはいきません。

とにかく勉強したくても時間がないのです。
それでも、寸暇を惜しんで猛勉強する息子の姿を見るうちに、
私は、どこまでがんばれるのかしっかり見届けたいという気持ちになっていました。

しばらくして、息子が先生から聞いたという情報は、ひと昔前のことか他校のことで、実際には、息子の通う中高一貫校は外部の受験をいっさい認めていなないことがわかりました。

自分の勘違いがわかった後も、いったんお尻に火がついて受験勉強に燃え出した息子は、何が何でも受験したいからと先生方を説得しはじめました。

先生方は、どんなことがあってもそれは許されないからと息子を説得し続けていました。
親の私も何度も学校に出向いて話し合いが続きました。
最初は、頭から反対していたダンナは、
どんな状況になっても必死で勉強し続ける息子の姿を見るうちに、しまいには折れていました。

そして、
「どうしても他校を受験したいというのであれば、いったんうちの学校を自主退学して、公立に転校して、そこから受験しなおしてください。
でも、うちの学校は、内申点はつけることができないので、転校先の中学でつけてもらってください」と告げられました。
文で書くと冷たく見えるのですが、この学校の先生はかなり生徒思いで、
親身になって息子の相談に乗り、本当に受験が決まると、心から応援してくれていました。

そうして、中高一貫校を自主退学して、地元の公立中にいったん編入しました。

「中3から、荒れていると噂されている地元の公立中に編入して大丈夫なんだろうか?」と気を揉みましたが、
息子は平気で、久ぶりに会う小学校のときの友だちとの再会を楽しんでいました。

公立に戻るのは、思った以上に大変で、公立中の教頭から……そんなわがままは許されないし、子どもの人生が無茶苦茶になる、
内申点はいっさいあげられないから、もしその灘がダメだったときは、かなり偏差値の低い高校を受験してもらう!
と親の私がガミガミ叱られ通しでした。

私の方も、息子の言うままにこんな無茶な受験をさせて、みんなに迷惑をかけて、これは甘やかしだろうか?
子どもの意志を尊重するといったって、もし失敗したら息子のこれからの人生を間違った方向に進ませるかもしれない……。

わがままとして息子の決意を押さえつけた方がいいのか、それとも人生の急所としてしっかり関わった方がいいのか……?
悩み苦しみました。

「受けてもいいよ」と言った時点で、
親としては、その結果に責任を持つことを覚悟しました。
苦しいときは腹をすえて、乗り越えようと考えていました。
でも実際には、これほどまでに覚悟が必要だったとは思いもしなかったし、
困難が連続して降りかかってきたときは、振り返らずにただまっすぐ進むしかありませんでした。

とにかく勉強に全力投球して臨んだ受験ですが、灘高も落ちてしまいました。
本気で受験勉強に励んでいたので、安穏と中高一貫校で過していたときより何倍も学力はついていたのですが、運は別物です。
中途の編入で内申点がゼロになるからと、学校からは偏差値が4、50の公立校を勧められました。
「それならそれで、その学校に通って独学で京大受験(息子は京大の自由な校風に憧れているのです)をするよ」と言っていた息子ですが、
運良く後期入試で、
以前通っていた中高一貫校と同レベルの学校の特進クラスに入学することができました。このときは、本当に救われた気持でした。

この受験ばかりは、親の私も大いに勉強になりました。

「親の選択で子どもがどんな困難に遭遇しても、
そのとき、誰かに責任転嫁したり、子どもを責めたり、
弱気になったり、絶望したりせずに、
しっかり腹をすえて、その現実にぶつかっていくなら、
結果がどうなっても必ず子どもの成長となる」と、身を持って知ったのです。

自分の受験を振り返って、息子はこんな言葉をつぶやきました。
「中学の友だちと離れ離れになったから、その大切さがわかったんだ。離れていても、ずっと親しい友だちでいれることもわかったし。
それに、こっちの学校でできた友だちも、すごく気が合うから、ふたつの学校に仲の良い友だちがいるのはうれしいよ。
あっちの中学は、宿題が多いといったって、先生たちはとっても甘くって、生徒たちが好きでしょうがないんだ。勉強法はぼくには合わなかったけど、中学は大好きだったよ。いつもとても大事にされていたからさ、優しい良い先生ばかりだよ。ダライ・ラマにも会えたし。(ダライ・ラマは理事長と親しいそうで、お忍びで中学に見えたことがあったのです。)
今の学校はかなりシビアだからね。
あそこにずっといたら、友だちとワイワイするのが楽しくて、いつまでも本気を出さずに甘えていたかもしれないから、やっぱり受験して良かったと思うんだ。ぼくは、どっちの学校も経験できて本当に良かった。
お父さんとお母さんには、ずいぶんお金を使わせちゃったから、がんばって働いてちゃんと返すよ。
ぼくは社会に出たら、中途半端では終わらないよ。」

めでたしめでたし……と思っている間に大学受験なので、子育てって、息つく暇がありません。
まぁ「子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? そんなはずない……しっかり自分の人生と向き合って生きていく子に育てたらそれで十分」と、自分で自分に言い聞かせています。

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「折り紙遊び」をより楽しくするアイデア集

2014-11-17 13:30:39 | 初めてお越しの方

初めて折り紙をする子たちに、

『5回で折れる!遊べる折り紙』というテキストが人気です

 

折り紙遊びをより楽しいものにするアイデアを紹介します。

集中することが難しい子や根気が続かない子も

こうした工夫をすることで、熱心に取り組むようになってきます。

 

電車や新幹線を折ったら、連結部分にクリップをはさんでセロテープで貼ります。

車両と車両を連結させて遊ぶことができます。

いくつ連結させるのか、数えることへの意欲にもつながります。

 

ロケットを折った時も、写真のようにクリップをつけます。

紙コップや空き箱に輪ゴムを貼って飛ばす道具を作ると、

ロケットを飛ばして遊ぶことができます。

 

鳥や動物を折った時にも、クリップをつけてテープでとめておきます。

ひもに磁石を貼り付けたものを作ると「お散歩用のロープ」になります。

 

クリップや磁石は幼い子が口にすると危険ですから

くれぐれも管理に気をつけてください。


お菓子の空き箱で算数パズル

2014-11-16 20:37:13 | 初めてお越しの方
すてきなお菓子の空き箱をいただいたので
魔方陣のパズルにして遊びました。

たてよこななめ

どこも同じ数の組み合わせになるようにいちごを置けるかな?
 
以前はこうした根気のいるパズルは苦手だった☆ちゃんが、
最近、できるまで何度も試行錯誤しながら
こうした問題に取り組むようになってきました。

まず学習の要素が強いゲームではなく
本人が楽しいと思えるゲームにいっぱい付き合ってあげたのが
よかったように思います。
魔方陣作りは3つの数を足す計算力
思考力ともに鍛えてくれます。大人といっしょに楽しんでくださいね。
 
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<折り紙でできる算数パズル>

折り紙を頂点と頂点を重ねるように何度か折ります。

できた折り線を適当に切って、三角形や四角形を作って

そこに数字を書き入れると面白い算数パズルができあがります。

単純にロケットや車などの形を作って数字を足して遊ぶのもいいですし、

形を作って数を足した後で、

紙にできた形を描いて足し算してでた数を書くと、

小学生が苦戦するレベルの算数パズルとして遊べます。

 

簡単な足し算ができるようになった子に問題を作る役をさせてあげると

とても喜びます。

幼児と遊ぶときは、同じ形をふたつずつ用意して、

見本を見ながら取り組めるようにしてあげるといいかもしれません。