虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 1

2011-09-26 06:12:44 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

 ←(春の山)

 

息子と私だけで夕食をとる日だったのもあって、晩の家事はパスして、

近所のイタリアンの店に外食をしに行くことにしました。

息子は夏の間、苦手科目の足踏み状態が続いていたらしく、

焦る様子はないものの本人なりに苦しんでいたようなのですが、

9月に入ってすがすがしいほど明るい表情で受験勉強に向かうようになっていました。

 

お店に向かう道すがら、こんな話をしました。

 

息子 「このところ夏の不調がウソみたいに調子がいいよ。あっ、そうだ。

忙しくて国語が手つかずになっていたんだけど、

久しぶりに赤本に目を通してみたら、

急にできるようになっていてさ。

それが勉強とは別の問題でも、お母さんとひとつのことを突き詰めるまで

さんざん議論したのが良かったみたいなんだ。

メタな視点から問題を捉えて、どのように答えをまとめたらいのか見えるようになった。」

 

母  「そうそう、議論って本当にいいわよね。今日もレッスンに来ていた年中さんたちと、

『少し』とか『ちょっと』ってどれくらいのことなのかって議論をしていたんだけど、

どの子も『たくさん』と捉える量は状況によって変わるから、

どれだけを全体量とするかや、誰の視点で

『1の量』を捉えるかで、少しやちょっとが相対的に変化することがわかっていて、それを

道具を使ってきちんと説明してくれたのよ。

議論をすることって、とっても楽しいし知的ないい刺激になると思うわ」

 

息子 「そうだね。議論は大事だ。夏の一時期、受験のプランの王道ってのに

無理に自分を合わせようとして、

やってもやっても確実に伸びている実感が湧かなくて悩んでいたんだけど……。

この数週間で自分なりの方法を確立したら、

ようやく勉強が軌道に乗りだしたよ。

 

自分なりの方法って、自分自身の内面でする議論のようなものなんだけど、

問題の数をこなすのではなくて、ひとつのことについて

とことんしゃべるように分析するんだよ。

 

たとえば、この間、解いていた東大の数学に問題にしても、

解答に行きつくまでに100のプロセスを踏まなくてはならないとしても、

そのひとつひとつを分析すれば、

要は小学校低学年で学ぶような足し算でさ、最終段階からひとつひとつ

遡るとすると、とてつもなく簡単なんだ。

それじゃ、そんな簡単な問題を解くのに何が求められているのかというと、

それを導き出す思考のプロセスを思いつく力でね。

それには多量の問題をこなすよりも、ひとつの問題について、

最小単位まで条件を分けていきながら

分析してみると身についてくるよ。

たとえば、英語の文章を見たときにも、これは不定詞を使っていて、

こうとも読み取れるし、

こうとも言えるし……と、いった具合に、少量であっても、

これ以上分けれないってところまで分析して

見ていけば、どの問題も結局はほとんど同じような構造でできていてさ。

よく考えもせずに、多量に問題をこなすことに気を取られずに、

いったんそこに立ち止まることをよしとする

気持ちの余裕さえ持てたら、難しい問題なんてただの見せかけなんだよ。

そうはいっても、現実の受験勉強はたやすいことじゃないけどね。時間も努力も能力もまだまだ足りない。」

 

母 「私もひとつひとつの経験を大切にするようにすると、

そのひとつはどの物事にもつながっていくのを日々、実感している。

たとえそれがごっこ遊びでも、工作でも、ひとつの体験に深く自分自身を投じたら、

そこから得るものは、何冊分ものワークに勝るわよね」

 

息子 「あれもしなくちゃ、これもしなくちゃという焦りを手放して、好きな数学に時間をかけてみたら、

数学の勉強が他の教科の学習を急に簡単にしてくれるんだ。

最近、思うんだけど、数学って答えを出すものじゃなくて、

ややこしく絡み合って見えにくくなって前面しか見えなかったものの

背景からそのものを浮き立たせたり、シンプルにして見えやすくするものだなって。

 

数学は虫眼鏡のような道具にもたとえられるよ。

数学を解くというパズルのような対象ではなく、

虫眼鏡のような物事を見えやすくする道具として利用するとさ、

どの教科の勉強も急に扱いやすくなるんだ。

この頃、これは図やグラフにできそうもないというようなものも、嘘や適当なものでもいいから

とにかく図やグラフや相関図なんかにしてみるようにしているんだ。

すると、これは解決しようもない、これは理解できないというややこしさを

持ったものも、数学の言葉を使えば驚くほど簡単に説明できてしまうんだ。

そうなると勉強の敵は、

そうした図やグラフにするような時間を無駄な時間として許せないような

強迫観念でしかないよ。自由にひとつのことをじっくり

考える時間があれば、難しいと感じていたことも一気に易しくなって、

突破することはできるんだよ。

数学は勉強すればするほどいろんなことが見えてきて、本当に面白いよ。」

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。