『流しのしたの骨』 江國香織 1996年 マガジンハウス
毎度古い本のレビューばかりで恐縮だが、ブックオフのご都合読者にしてミステリー志向の私は、江國香織の作品に出会うことなど滅多にない。
江國作品としては、これは『冷静と情熱の間』に次ぐ二冊目になる。
ちょっと風変わりなおかしな家族の物語。
一般的な感覚で捉えると、家族全員がなんらかの病理を抱えた問題人間のような気がする。
長女の離婚、次女の不倫、ニートの三女、長男の中学校停学事件とか、尋常ではない問題が続出するにもかかわらず、家族間のなかでそれが一向に問題として浮上しないところが面白い。
自分と自分の家族を比較して読むと、ついついため息が出る。
例えば長女の離婚話。我が家の場合なら.......
「ちょっとぉ!離婚されておめおめ実家に帰ってくるなんて何やってんのよ!せっかくいい旦那見つけたのに......あんたみたく料理下手、金遣いは荒い、旦那の世話もせず好き勝手放題していたらいずれこうなるのは当然よ!馬鹿!しっかり反省して早く次の旦那見つけてきなさい!」
と、絶叫と感嘆符だらけのひと騒動になることは間違いない。
しかし江國作品は.......
「食事はなごやかにすすんだ。そよちゃんには誰もおめでとうとは言わなかったけれど、そよちゃんがそこにいることを、誰もが喜んでいた。家族が再び揃ったことの、単純な喜びと幸福なあたたかさのようなもの。....(略).....父はワインをおいしそうに飲んでいた......」
鼻息を荒げず、汗もかかず、恨みや怒りの感情とも無縁で、体臭のようなものが全く感じられない家族たちだが、ひとりひとりの存在感は不思議と強烈で印象深い。
熱狂的なファンがたくさんいる江國作品の世界を、ちょっとだけ垣間見せてもらった。
ところでタイトルの『流しのしたの骨』が気になる。
流しの下には、なにか得体の知れないものが死んでいたり、湿気と悪臭と暗闇を栄養にした怪物が、静かに育ったりしているのではないだろうか?
写真は、我が家の『流しの下のじゃが芋』
忘れていたのか忘れているふりをしていたのか定かではない。
いやなもの、見たくないものはみんな流しの下に押し込めばいいさ。
でも時々取り出して確認しなければならないという教訓。
これジャガイモですかぁ。こんなにも芽が・・・
すごい!光を求めてさまよってる。このまま土に埋めてあげて!!
ところでうちの『流しのした』からは何が出てくるかしら・・
ミステリーばかり読んでるので・・妄想してしまう。
小川のそばの枯れ草の中にある骨は詩になりますが、流しの下に放置されたじゃがいもは?
江國作品、私も読んだのは「冷静と情熱のあいだ」のみです。
女性の立場からは江國さん、男性の立場からは辻仁成さんが書かれて、同じ場面でも気持ちが行き違っているのが分かって面白かったと記憶しています。
いろいろなモノが入っているのは分かっているのですが、あまり見たくない。
たまたま開けてみたら、じゃが芋が凄いことになっていました。
光を求めてさ迷っていたのでしょうか?
すっかり忘れていました。
多分数ヶ月は経っています。
ここまで必死な姿を見ると気の毒になります。
これ、地面に埋めたらじゃが芋になりますか?
流しの下の扉を開けてびっくり!
うららさんは中也の『骨』を連想しましたか。
私ならさしずめ......そうだ!
流しの下のじゃが芋は、萩原朔太郎風の詩になると思いませんか?
江國作品、ミステリー派はあまり手に取らないのかなあ?
私はこれを機会にもう少し読んでみようかなと思いました。
未知なるものができるかもしれませんよ。
なんか怖い.......。
種芋の方はすっかりしなびているし、ここから何か生まれたらホラー。
「植えてみそ」って方言はステキですね。
「では植えてみましょうゆ」な~んて。
そういえば、最近、ちょっとご無沙汰してるかも。。。
でも、このタイトル気になってました。
なーんか、ちょっとホラーっぽいなぁ。。。なんて。
でも、ぜんぜん違うのですね。
このじゃが芋の方が、ホラーっぽい(笑)
次の年の種芋にしていたんです。
でも今は、私の借りている農園には前の年に収穫した芋を種芋にできなくなりました。
というのも、そのお芋をまた種芋にして植えると、私の住む地域では、シストセンチュウという虫がジャガイモに寄生して養水分の吸収を妨げ収量を減らすようになったため、必ず買った種芋しか植える事ができなくなったんですよー。
お芋の産地の悲しい規則なんです。
収量が減ると農家にはかなりの痛手になるので・・・。
という訳で、今ではこのようなお芋は泣く泣く生ゴミの袋へ・・・。
あはは、芽の最長70㎝でした。
まだまだ見て見ぬふりをして、限界に挑戦すればよかったですね。
『流しのしたの骨』というタイトルは、昔話の『かちかち山』の悪ダヌキの台詞から取っているものです。
『かちかち山』は、本当は怖い怖いお話なので、この小説にリンクする部分はないような気がしました。
いや、静かな平和こそ実は最も怖い......ということかな?
まさかこの状態から普通のじゃが芋になるとは思ってもいませんでした。
となると......種芋たちは、みな先を競って首を(いや芽を)伸ばして、春の到来と大地の温もりを待っている......ということね。
けなげなポテト君たちです。
>お芋の産地の悲しい規則
例え素人菜園でもそのような規則が適用されるのですね。
美味しく立派なじゃが芋の品種を守り続けるためには致し方ないことなのでしょう。