初の谷川連峰は、土樽から茂倉岳にしようと以前から思っていたが、各地のクマ出没や、富士駐屯地でクマに襲われたニュース、とか、足の松尾根他のスズメバチ被害、アルプスで度重なる遭難ニュースなど、最近、山の事故が多い。家人に心配かけないように、渋滞したっていい、なるべく人の多い山を選ぼうと、初・谷川連峰は、いつでも混んでるらしい平標山~仙ノ倉山となった。谷川岳とか谷川連峰、というと古いイメージで、また心配しそうなので、湯沢の平標山とだけ伝える。
13日夜新潟市を出て、道の駅みつまたに11:30頃着。寝袋で車中泊。
2時頃目が覚めると、山の端にオリオン座が昇ってきていた。
0601 元橋駐車場着
有料500円だった。帰りに支払う。
0619 駐車場を出発
0623 帰路との分岐
0625 松手山経由の登山口
0726 送電線鉄塔で休憩
なだらかなお気楽登山かと思っていたが、松手山までは結構な急登で、認識を新たにした。
素晴らしい快晴で、この時点ではきょうの絶景が約束されたように思っていた。
0754 松手山
この辺りから見る苗場山は、意外と迫力がない。
この後、しだいにガスに包まれ寒くなってくる。
0903 山ノ神
0922 平標山山頂着
平標山の家方向は見えている。
平標新道方向も一瞬ガスが晴れ、平標新道が池塘の間を通っているがわかった。
1042 仙ノ倉山山頂着
昨年の越後駒ヶ岳以来の2000m越え。
ガスに包まれ展望なし。食事してしばらく待てば晴れるだろうか?しかし、時間も早いし、寒い。
そういえば、この先に避難小屋がある。地図みると、往復1時間くらい?展望のないまま、ここにいても仕方ない。
避難小屋で昼食としよう。
下り始めると、今までとは違い、道幅が狭く、草の被った階段のない急降下。結構滑る。
2名のソロと二人連れの計4名とスライド。
お一人は前日、大障子ノ頭の避難小屋に泊まったそうだ、
最後にスライドした若者に、小屋はまだかと聞くと、もう、すぐそこです。と。
登りの彼が言うのだからすぐかと思ったが、そこからまたグングン下る。登り返しを考え、ここまで来たことをちょっと後悔する。
1105 エビス大黒避難小屋着
「越後の山旅」など古い書物見てると仙ノ倉小屋または仙ノ倉避難小屋になってるが、他のガイドブックやヤマレコの写真など見ると、エビス大黒避難小屋のようだ。
「越後の山旅」では、収容10名となっているから、建て替える時になんらかの理由で名前を変えたんだろうか?
3人の男性が食事中。
スペースを開けてくれたので、中に入るが、フライパンで調理するには狭いので、食材もって外に出る。
きょうは塩麹豚肉入チャーハン。
フライパンで炒めていると、ガスが晴れてきて万太郎山を中心とする谷川連峰が雄姿を現す。
エビス大黒ノ頭の南面の荒々しい崖も凄い。
川棚ノ頭も、ちょこっと頭を覗かせて、存在を誇示している。
浅間山もその巨体を現している。立ったまま、食べながら、飽かず眺める。
さらにエビス大黒方向から二人連れが到着。
私もいつかここを縦走したい。
新潟市から車で来て周回コースにするなら、土樽~茂倉岳~谷川岳~万太郎~平標山ときて平標新道で土樽に戻るのがいいか。
平標山から見えた池塘が魅惑的。その先、平標新道がどのくらい荒れているのかが問題。渡渉の大変なところがあるようだ。
それでなくても渡渉は苦手。
どこで1泊するのがいいだろう?かまぼこ型避難小屋は不気味すぎる。
1158 避難小屋発
1230 仙ノ倉山に戻ってくる
1330 平標山から山の家方向へ下る途中にて。
荒船山みたいな山が。三峰山でした。吾妻耶山、赤城山も。
1352 平標山の家着
冷たい湧き水を頂き、一休み
平元新道も、見事に階段を敷き詰めてある。カイダンカイダン。1歩ごとにカイ・ダン・カイ・ダン リズミカルに足が出るときはいいが、巾が違ったりすると、膝が悲鳴を上げそうになる。
展望もなく階段のことばかり考えながら下る。
1996年発行のヤマケイ空撮登山ガイド 上信越の山々 の写真みると、現在のような階段はさすがになさそう。
登山ブームの盛り上がりとともに、階段の数も増えて行く。多くの人が押し寄せるから階段が作られる。
階段のある山が嫌だったら、そのことに文句をいうんじゃなくて、階段のない山、ないコースを探すべきなんじゃないか?
自分が登ることで山を破壊してないか?等々
1433 平元新道登山口
1453 鉄塔潜る
1459 ゲート
1503 駐車場へのショートカット?道入口
川沿いの人気のない道になる。
音を消していたクマ鈴のねじを締める。
が、
きょう一日、飯豊と違って、クマの爪痕、糞などは見なかった。
スズメバチも見なかった。もう季節的にいないのか?駆除されたのか?
蛇も見なかった。
偶然?それとも?
1520 往路との分岐
1522 駐車場着
これで越後百山は20座となった。
日本200名山4座目
13日夜新潟市を出て、道の駅みつまたに11:30頃着。寝袋で車中泊。
2時頃目が覚めると、山の端にオリオン座が昇ってきていた。
0601 元橋駐車場着
有料500円だった。帰りに支払う。
0619 駐車場を出発
0623 帰路との分岐
0625 松手山経由の登山口
0726 送電線鉄塔で休憩
なだらかなお気楽登山かと思っていたが、松手山までは結構な急登で、認識を新たにした。
素晴らしい快晴で、この時点ではきょうの絶景が約束されたように思っていた。
0754 松手山
この辺りから見る苗場山は、意外と迫力がない。
この後、しだいにガスに包まれ寒くなってくる。
0903 山ノ神
0922 平標山山頂着
平標山の家方向は見えている。
平標新道方向も一瞬ガスが晴れ、平標新道が池塘の間を通っているがわかった。
1042 仙ノ倉山山頂着
昨年の越後駒ヶ岳以来の2000m越え。
ガスに包まれ展望なし。食事してしばらく待てば晴れるだろうか?しかし、時間も早いし、寒い。
そういえば、この先に避難小屋がある。地図みると、往復1時間くらい?展望のないまま、ここにいても仕方ない。
避難小屋で昼食としよう。
下り始めると、今までとは違い、道幅が狭く、草の被った階段のない急降下。結構滑る。
2名のソロと二人連れの計4名とスライド。
お一人は前日、大障子ノ頭の避難小屋に泊まったそうだ、
最後にスライドした若者に、小屋はまだかと聞くと、もう、すぐそこです。と。
登りの彼が言うのだからすぐかと思ったが、そこからまたグングン下る。登り返しを考え、ここまで来たことをちょっと後悔する。
1105 エビス大黒避難小屋着
「越後の山旅」など古い書物見てると仙ノ倉小屋または仙ノ倉避難小屋になってるが、他のガイドブックやヤマレコの写真など見ると、エビス大黒避難小屋のようだ。
「越後の山旅」では、収容10名となっているから、建て替える時になんらかの理由で名前を変えたんだろうか?
3人の男性が食事中。
スペースを開けてくれたので、中に入るが、フライパンで調理するには狭いので、食材もって外に出る。
きょうは塩麹豚肉入チャーハン。
フライパンで炒めていると、ガスが晴れてきて万太郎山を中心とする谷川連峰が雄姿を現す。
エビス大黒ノ頭の南面の荒々しい崖も凄い。
川棚ノ頭も、ちょこっと頭を覗かせて、存在を誇示している。
浅間山もその巨体を現している。立ったまま、食べながら、飽かず眺める。
さらにエビス大黒方向から二人連れが到着。
私もいつかここを縦走したい。
新潟市から車で来て周回コースにするなら、土樽~茂倉岳~谷川岳~万太郎~平標山ときて平標新道で土樽に戻るのがいいか。
平標山から見えた池塘が魅惑的。その先、平標新道がどのくらい荒れているのかが問題。渡渉の大変なところがあるようだ。
それでなくても渡渉は苦手。
どこで1泊するのがいいだろう?かまぼこ型避難小屋は不気味すぎる。
1158 避難小屋発
1230 仙ノ倉山に戻ってくる
1330 平標山から山の家方向へ下る途中にて。
荒船山みたいな山が。三峰山でした。吾妻耶山、赤城山も。
1352 平標山の家着
冷たい湧き水を頂き、一休み
平元新道も、見事に階段を敷き詰めてある。カイダンカイダン。1歩ごとにカイ・ダン・カイ・ダン リズミカルに足が出るときはいいが、巾が違ったりすると、膝が悲鳴を上げそうになる。
展望もなく階段のことばかり考えながら下る。
1996年発行のヤマケイ空撮登山ガイド 上信越の山々 の写真みると、現在のような階段はさすがになさそう。
登山ブームの盛り上がりとともに、階段の数も増えて行く。多くの人が押し寄せるから階段が作られる。
階段のある山が嫌だったら、そのことに文句をいうんじゃなくて、階段のない山、ないコースを探すべきなんじゃないか?
自分が登ることで山を破壊してないか?等々
1433 平元新道登山口
1453 鉄塔潜る
1459 ゲート
1503 駐車場へのショートカット?道入口
川沿いの人気のない道になる。
音を消していたクマ鈴のねじを締める。
が、
きょう一日、飯豊と違って、クマの爪痕、糞などは見なかった。
スズメバチも見なかった。もう季節的にいないのか?駆除されたのか?
蛇も見なかった。
偶然?それとも?
1520 往路との分岐
1522 駐車場着
これで越後百山は20座となった。
日本200名山4座目