niceshotpeteの山旅

新潟県内外の山々を旅した記録です。山座同定に力入れてます。掲載した写真の何枚かはピクスタで販売してます。

5月25日 守門岳山開き 入塩川より

2014年05月26日 | 守門岳・浅草岳
0600 入塩川集落センター前で受付
0619 登山口

0620 堰堤脇の橋
0633 山の神
0635 渡渉
   ネットによるとおよそ23回の渡渉を繰り返すとなっている。
   1回目の渡渉から大変だった。渡渉は苦手で、これだけがちょっと気後れさせる原因だったが、ひとつ渡った時点でテンション下がる。
   すぐに長靴を履いてこなかったことを後悔する事になった。
   何回目かの渡渉でついに左足が滑り、水中にドボン。
   

0730 三角点
   次第に、渡渉は少なくなり、細くなり、まもなく三角点に着いた。
   昔懐かしいキスリングで登っていた男性によると、昔はもっと楽なコースで、ここまでお母さんが小さい子供を連れて登ってこれたのだそうだ。
    下りで、地元の方に聞いた話によると、以前は確かにもっと渡渉も楽だった。地元の方が、石を並べ、掘削機で足場を作り、しっかり整備してきたが、ここ数年の豪雨で被害を受けた。山の保水力が失われてきているのか、溜め込めない水が沢に流れこんでいる、という事のようだ。
   中越の山は浅草岳にしろあちこち被害を受けているが、ここもそうらしい。

0747 〆掛小屋

すでに立派なブナ林の中を登っているが、雨晴清水の場所がわからず、どこからを「雨晴のブナ林」と呼ぶのかがわからない。




0902 雨晴 吉ヶ平からのコースを合わせる
眺めが素晴らしい。粟が岳をはじめとする川内山塊。かなり霞んでいるのが残念。
藤島玄著「越後の山旅」では、雨晴にアバセとルビを附っている。ご丁寧に雨にア、晴にバセとしっかりわけてある。
藤島さんは、必ず現地調査して、地元の方がどう呼んでいるかを重要視して地名を記載していて、しかも、わざわざルビを附っているということは当時アバセと呼ばれていた可能性が高いと思うのだが。
昔はアバセだったのか。いつからアバラセなのか。近くにアバラシ沢もある。ここを境に天気が違うから雨晴という説とともに調べる楽しみがある。


0948 中津又岳

1000 大岳

大岳より袴岳

最近の定番山ごはん
①豚肩ロースの味噌漬け(内容量110g、スーパーのタイムサービスで100円しない)
②ビビンバ(内容量70g)
③パックご飯
ワンバーナー&ワンフライパンクッキング
シェルパ斎藤さんの教えに従い、パックご飯は、開ける前に手で揉みほぐす。
肉は火が通ってからハサミで切る。
テフロン加工のフライパンは食べ終わったら紙で拭くだけで、あっという間にきれいになる。

1100 安全祈願祭

1151 下山開始

1211 中津又岳

1239 雨晴

1259 雨晴清水
登りには見つけなかった道標。ここが雨晴清水か。清水はどこだろうと探していると、地元の腕章をつけた、地元愛に溢れる男性が下ってきて、場所を教えてくれた。このルートに精通する彼から、色々教えていただいた。私が、コシアブラがどれか見分けられないというと、立派なコシアブラの木を見つけてあるのだ。案内してやろう。少し取っていけばいいさ。奥さんは家で揚げ物する?ついてきなさいと、グングン下り始める。なかなかのスピードでついて行くのが大変。

コシアブラは橅と木肌の感じが似ている。枝先の5枚葉。昔はこの葉っぱから油を取ったとか?


1353 〆掛小屋(「越後の山旅」によると注連掛小屋)

1404 猿とにらめっこ

1406 三角点
ここを過ぎると、次第に苦手な渡渉が現れるようになる。
これだけ渡渉すると、少しは学習する。
最初はなるべく濡れないように、水面からしっかり出ている岩だけ選んで渡っていたが、多少の濡れは覚悟して
水面下でも、平坦な石を選んで渡れば安全!と考え、渡渉のコツを掴んだつもりでいたら、最後の渡渉で滑ってこけた。

最後だから特に慎重に。右上の方が流れが緩やかそうに見える。
そちらに迂回してバシャバシャ渡ろうと、右に1歩踏みだしたら左足が滑り、太ももまで浸かった。

1542 堰堤脇を後にする。
美味しいトン汁を頂いた。昔は雨晴清水の所でトン汁を作っていたそうな。それが、高齢化に伴い〆掛小屋、三角点と場所が移動し、
現在の堰堤脇になった、という話も伺った。




コメント (1)
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5月11日 絶景の金城山 白馬岳まで。

2014年05月12日 | 金城山
丸一日晴天が約束された日。
どこへ行こう?11日山開きの予定はない。山岳展望の素晴らしい山に行きたい。できれば越後百山から選びたい。
村上方向はクマが怖い。(どこ行っても同じだとはわかりつつも)あまり人の少ない山でないほうが安心。
中越の未踏の展望の山。下権現堂山、金城山、飯士山などが候補。
金城山は、観音山コース以外は災害で荒れているようなので、皆、観音山コースを選ぶだろう。ということで金城山に決定。
越後百山だし。
越後百山17座目ゲットへ。

0852 登山口


登山道は、緩急はあるもののほぼ登り一辺倒で思いのほかきつかった。しかも背は高くないが視界を遮る灌木に囲まれ、展望のない登山道である。
タムシバ、ツツジ、シャクナゲなど咲き続き、数メートルおきに、あの黒くて大きい、妙に人懐っこい蜂が、ホバリングしながら待ち構える。
ガタイがでかいので羽音もでかい。近づいても何もしないのはわかっているので姿が見えればいいが、後ろから来られると、スズメバチか?とビビッてしまう。あの蜂の名前は?オオマルハナバチ?、クマバチかな?

坂戸山


1043 7合目

残雪とブナの新緑が美しい場所。ご夫婦?がここで大休止中。コーヒーのいい香りがした。

1107 雲洞大月分岐




1156 9合目


9合目を過ぎると雪の上に踏み跡が見えなくなった。
でも所々夏道が見えているので、なんの疑いもなく尾根を直登。

1206 胸突き八丁の急登


かなりきつい登り。先行者の足跡はない。キックステップで足元固めノロノロ登っていると鈴の音が左手から聞こえる。
はるか左下を軽快に下る女性の姿。
そーか。残雪期は向こうがメインコースなのか?
今更引き返すのも面倒で、気合を入れ直して直登。
右からの尾根が合わさると、そちらから登ってきた足跡と合流した。
ここが葡萄平?
右から登ってくるコースはガイドブックには載ってないが、これも積雪期だけのコースか?

山頂岩峰群。

そーかこうなっていたのか。よくガイドブックに載ってる写真の岩場は。と、ひとり納得。
でもここを進むのはおっかなかった。無風状態で良かった。
この巨岩群には名前があって、屹立した男天井、扁平な女天井、摩利支天等々。御岳神社に八海山神社もあるという。
3,40人も入れる岩窟もあるというが、それらを確かめる余裕はない。

1226 山頂標柱 でもここが最高地点ではないと後で知る



シャリバテ。早く昼食にしようとすぐに避難小屋目指して出発。
避難小屋まで来ると男性が1名。
素晴らしい展望の話などするうちにコースの話になり、彼は登りの途中で金城山に詳しい方から、この時期は、9合目からは岩峰を避けて避難小屋に直接向かうルートを取るように勧められたらしい。おっかないコースだったのも当然か。調べ足りなかったと反省。(下りでもっとコースの知識不足を思い知らされるのだが)

山頂から見えた、もったいないような越後の残雪の山々(教科書「展望の山旅」の表現のパクリ)








写真を見ているうちに前衛の大割山が気になってきた。
光兎山のようなカッコいい三角錐。登山道はないらしい。見下ろしてるのに、私ではあの頂に到達できそうもない。











カシミールによると牛ヶ岳と小沢岳の間に至仏山が頭を覗かせるらしいんだが確認できなかった。





1353 下山開始
1427 雲洞大月分岐

7合目を過ぎ、登山道が崩れ小さな段差になっている場所を降りたところで道を間違えた。
気づくと踏み跡がない。でも登りはこの方向だったような気がしてそのまま下る。
やはり違うようだ。尾根は左。尾根上に出ようと急斜面をトラバ-ス気味に進むと、落ち葉に足を取られ数mほど滑り落ちる。実際は1mくらいかもしれないが、肝を冷やした。少し先は谷に向けてもっと急斜面になっているらしい。
ようやく尾根に乗ったが踏み跡はなく、藪。
思いもよらず藪漕ぎして登ることになってしまった。二王子岳に続き、またも道を間違えた。地図をもっと読めるようにならないと。

1506 段差になったところに戻り正規のルートを発見。
尾根を挟んだ反対側だった。


1513 6合目


1529 4合目

4合目手前で、小学生とお父さんの二人連れが登ってきた。
こんな時間にどこまで行くのだろう。かなり上に行くまで、灌木に遮られ展望もない山道なのに。

1602 登山口に戻る。


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