「洪範図排除」めぐり首相と国防部が異なる立場表明…
乱脈ぶり露呈した韓国政府
韓国の陸軍士官学校における洪範図(ホン・ボムド)将軍胸像の移転推進で浮き彫りになった尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の「洪範図排除」に、野党と学界などの反発が続いている。こうした中、「洪範図排除」を巡り首相と国防部が互いに異なる立場を表明する一方、同じ独立戦争の英雄である洪将軍の胸像なのに、陸軍士官学校からは撤去し、国防部庁舎には存置することにするなど、矛盾が露呈している。名目と論理に欠けた尹錫悦政権の無理な「歴史・理念戦争」を現場で遂行する過程で、乱脈ぶりが際立っている。
韓国政府の一貫性のない動きは、まず朴槿恵(パク・クネ)政権時代に進水した海軍の1800トン級潜水艦「洪範図」の改名問題をめぐり露呈した。ハン・ドクス首相は先月31日、国会予算決算特別委員会全体会議で、野党「共に民主党」のキ・ドンミン議員が潜水艦「洪範図」の艦名変更について尋ねると、「我々の主敵と戦わなければならない軍艦を象徴する名前が(ソ連の)共産党員だった人のものなのは適切ではないと思う」とし、「修正を検討すべきだ」と述べた。しかし翌日の1日、国防部関係者は記者団に「首相が議員の質疑に答弁したものだが、その必要性について語ったと思う」とし、「海軍で艦名の変更は検討していないと聞いている」と答えた。歴史・理念の議論にさらに油を注ぐ「洪範図」の改名問題を巡り、政府内で調整されていない立場の衝突が公になり、混乱を招いている。
世界的に、国が滅んだか独裁の統治者が勝手に変えた場合を除き、軍艦の名前が変更されることはほとんどない。韓国では1999年「裡里(イリ)」を「益山(イクサン)」に変えるなど地方自治体の名称変更に伴う艦名の変更があったケースのみ。
陸軍士官学校の校庭内の忠武館(総合講義棟)前の独立英雄5体の胸像のうち、洪範図将軍の胸像は校外に移し、池青天(チ・チョンチョン)、李範奭(イ・ボムソク)、金佐鎮(キム・ジャジン)将軍と李会栄(イ・フェヨン)先生など残りの胸像は校庭内の他の場所に移すという決定についても、「小細工」という批判の声があがっている。当初、独立英雄5人の胸像を外部に移そうとしたが、反発が激しくなると、洪将軍だけをソ連共産党の経歴を問題視して撤去することにしたのだ。さらに国防部は、洪将軍の胸像を陸軍士官学校から撤去する一方、ソウル龍山区(ヨンサング)の国防部庁舎前の洪将軍の胸像はそのままにしておく方向に傾いているという。先月28日、「陸軍士官学校の洪範図将軍胸像に関する国防部の立場」で、洪将軍のソ連共産党活動経歴▽スヴォボードヌイ(自由市)惨事への関連疑惑▽鳳梧洞(ポンオドン)戦闘にパルチザンとして参加したという疑惑を挙げ、洪将軍の胸像が陸軍士官学校に不適切だと説明したのに、国防部庁舎前の胸像は存置するというのは矛盾と言わざるを得ない。
独立軍歴史研究の権威者であるパン・ビョンリュル韓国外国語大学名誉教授(史学科)は3日、ハンギョレとの電話インタビューで「正常な議論過程も経ずに少数の人々が密室で決定したため、このような乱脈ぶりが露呈している」と指摘した。パン教授は「国軍が作られた時と比べいくつもの世代が過ぎ、国家構成員の価値観と基準も大きく変わった」とし、「なのに軍はこれを無視して1970年以前に戻そうとしている」と述べた。
文在寅(ムン・ジェイン)前大統領も先月27日に続き、同日にもフェイスブックを通じて、「胸像の撤去は歴史を歪曲し国軍と陸軍士官学校の正統性とアイデンティティを自ら損ねる処置」だとし、大統領室に胸像撤去計画の撤回を求めた。文前大統領は「我々は(洪将軍の)その愛国心と献身の足元にも及ばない」とし、「陸軍士官学校レベルで議論されたことだとしても、ここまで波紋が広がったら、大統領室が乗り出して収拾を図るのが望ましいだろう」と指摘した。野党「共に民主党」のカン・ソヌ報道担当も同日のブリーフィングで、「時代遅れの理念戦争論にはまった尹錫悦大統領の言動が日増しに深刻化している。『反共マッカーシズム』ではなく、『親尹マッカーシズム』の絶頂」だと批判した。
訳H.J