韓国:「緊急災害支援金」の財源として、国防費9047億ウォン(約795億円)を削減して充てることを決定。4月30日に補正予算が成立しました。削減対象はF35ステルス戦闘機やイージス戦闘シス

2020-05-05 09:35:58 | 米国は、「世界の憲兵」をやめろ!

新型コロナが問う日本と世界

思いやるべきは米でなく国民

     防衛ジャーナリスト・元東京新聞論説兼編集委員 半田滋さん

 新型コロナウイルスの感染拡大は、日本と世界の安全保障分野にも大きな影響を与えました。自衛隊のあり方、軍事費をめぐり、防衛ジャーナリストの半田滋氏に聞きました。(竹下岳)


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 韓国政府は4月16日、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う対策として追加補正予算を編成し、全世帯に支給する「緊急災害支援金」の財源として、国防費9047億ウォン(約795億円)を削減して充てることを決定。4月30日に補正予算が成立しました。削減対象はF35ステルス戦闘機やイージス戦闘システムの米国からの購入費で、支払いを来年に先送りする方向だといいます。

防衛費削減せず

 一方、日本ではどうでしょうか。先日成立した補正予算をめぐって、防衛費削減の話は一切出ませんでした。不要不急、少なくとも不急な武器については、韓国のように購入を先送りすべきでしょう。その最たるものはF35ステルス戦闘機です。

 もともと防衛省が計画していたのは42機でした。ところが安倍晋三首相がトランプ大統領から米国製兵器の大量購入を要求され、105機もの爆買いにつながりました。今年度から、その“爆買い”分の購入が始まり、9機分の予算が計上されています。

 安倍政権は、「退役するF15戦闘機の代替」だと説明していますが、開発した米国でさえ、F15は現役です。まだ使えるのに、廃棄して、アメリカの要求に応えて購入しようというのです。

不要不急の支出

 これ以外にも、トランプ大統領から武器購入を要求されて導入を決めたイージス・アショアや、計画そのものが破綻している辺野古新基地の建設工事など、「不要不急」の支出はあります。これらを一時停止して、休業を余儀なくされている店舗への補償など、コロナで苦しむ国民の負担軽減のために使うべきです。

 また、これから夏にかけて、米軍「思いやり予算」の特別協定の延長をめぐる協議が始まります。韓国との交渉を見ても、アメリカは米軍駐留経費の大幅な増額を要求するのは間違いありません。

 韓国の場合、北朝鮮と地続きで、米軍の存在が必要だという理由がありますが、日本の場合、敗戦後の米軍駐留が始めにありき、といえます。アメリカは自国の国益のために基地を置いています。政府は「もっと払えというのなら、どうぞお引き取りください」と言うべきでしょう。今、思いやる相手はアメリカではありません。国民であるはずです。

軍事でなく医療強化こそ

 中東では現在、アフリカ東部ジブチを拠点として、ソマリア沖アデン湾での海賊対処活動と、オマーン湾など中東海域で、防衛省設置法に基づく情報収集活動が並行して行われています。

不要な中東派遣

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(写真)土砂投入が強行されてきた辺野古沿岸=2019年12月13日、沖縄県名護市(小型無人機で撮影)

 海賊対処に関しては、海賊に乗っ取られた船舶は2017年の3隻を除けば、14年から19年までゼロ。海賊事案の発生件数も19年はゼロになっており、継続する理由がありません。他方、ジブチでも新型コロナウイルスの感染が拡大しており、厳しい入国制限を敷いています。このため、4月26日に出港した護衛艦「おおなみ」の乗組員は寄港中、上陸することができません。

 狭い艦内は密閉・密集・密接の典型的な「3密」状態です。感染者が出ればあっという間に隊員間に広がることは、米原子力空母セオドア・ルーズベルトの事例で明らかです。

 派遣された隊員たちは「3密」の艦内に幽閉されたに等しい。海賊の被害が途絶えているのに、活動を命じることは愚策としかいいようがありません。感染リスクと隊員の健康を引き換えにすべきではありません。

 一方、情報収集活動に従事している「たかなみ」は、3月にアラブ首長国連邦のフジャイラに寄港したとみられますが、やはり感染リスクのために上陸できていません。3カ月におよぶ派遣期間中、一度も上陸できなければ隊員のストレスは募るし、士気低下のダメージは大きい。さらに、海賊対処と情報収集活動を兼務するP3C哨戒機の隊員は、入国制限で交代できないため、予定の2倍となる6カ月の任期を求められる可能性が高くなっています。

 そもそも、情報収集活動をめぐっては、法的根拠をめぐって批判が出ていました。この活動は、トランプ米大統領が一方的にイランとの核合意から離脱して中東に緊張が高まったことが発端です。トランプ政権が引き起こした混乱の尻ぬぐいのために隊員の命をてんびんに掛けることはあってはなりません。撤退を決断すべきです。

自衛隊の役割は

 新型コロナウイルスに関わる災害派遣要請に基づき、感染が拡大していたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で49日間にわたり、延べ8700人の隊員が活動しましたが、1人の感染者も出していません。同じく船内で活動した厚生労働省職員や検疫官から6人の感染者を出したのとは対照的です。

 現在は、海外からの帰国者の検査・輸送・食事提供などの支援を行っています。阪神・淡路大震災以降、自衛隊は災害派遣隊としての性格が強まりましたが、さらに新しい段階に入ったといえます。まだ手探りの段階ですが、たとえば、部隊に防護衣やマスクなどの備蓄を増やし、感染症対策の訓練を行うといったことは考えられるかもしれません。

 ただ、与野党議員から出ている、病院船をめぐる議論は筋違いといわざるをえません。そもそも病院船は戦傷者を救護するためのものです。米海軍の病院船コンフォートがニューヨークへ支援に向かいましたが、実はコロナ感染者の治療ではなく、それ以外の病人を収容しているのです。

 現在の医療体制の危機やPCR検査体制の脆弱(ぜいじゃく)さは、歴代の自民党政権が医療費削減や行政改革といった大号令をかけ、医療体制を弱体化させてきたことに原点があります。必要なのは自衛隊の強化ではなく、医療体制の見直しにあります。

 総じていえば、コロナ危機を通じて大きく変わるもの、そう簡単には変わらないものもありますが、この問題が鏡となり、日本の姿を映し出しています。その姿を冷静に見て、新しい道を見いだすことが求められています。

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約200年の間にこの地に入ってきた金持ちや権力者には災厄が絶えなかった。権力と財力を前に、一筋縄ではいかない機運を保ってきたということだ。

2020-05-05 07:04:03 | 韓国を知ろう

日帝、米軍、財閥に相次いで災厄もたらした

「松ヒョン洞の土地」の運命は?

登録:2020-04-30 03:09 修正:2020-04-30 09:59
 
[ノ・ヒョンソクの時事文化財] 
土地を所有した日本、米国、財閥 
「禁断の気運」の前で厄災絶えず 
23年間再開発なく博物館そのもの 
韓進による売却後、公園としての保存願う
 
 
最近、韓進グループが売却方針を明らかにし、歴史文化公園化議論が本格化したソウル松ヒョン洞49-1番地の旧米国大使館宿舎跡(約1万坪)の全景。景福宮から北村に入る玄関口に当たる。27日昼、南側のツインタワーから見下ろして撮影//ハンギョレ新聞社

 ソウル城内で最も地相がきつい所だという。先月、韓進グループが売却を決定し、土地の運命に関心が集中しているソウル鐘路区松ヒョン洞(チョンノグ・ソンヒョンドン)49-1番地、旧米国大使館職員宿舎跡の1万1084坪(3万6642平米)に対する世間の評価だ。

 もともとは景福宮(キョンボックン)の外側を囲む外苑(外側の森)だった。この貴重な土地は、1997年に国防部がサムスングループに譲渡して以来、23年間にわたって再開発がまったく行われていない。その前の所有主だった日帝と米国、旧韓末(大韓帝国末期)の有力者たちも、手痛い後日談を残して去らなければならなかった。約200年の間にこの地に入ってきた金持ちや権力者には災厄が絶えなかった。権力と財力を前に、一筋縄ではいかない機運を保ってきたということだ。

 
 
緑に覆われた松ヒョン洞の土地の様子。北西に位置する司諫洞の建物から撮った風景//ハンギョレ新聞社

 松ヒョンとは「松がぎっしりと生い茂った松の峠」を意味する。この地名がいつから使われていたのか、正確な記録はない。もともとは正宮である景福宮から別宮の昌徳宮(チャンドックン)に行く際の最初の関門である白岳山の支脈の高い峠だった。景福宮が丸見えとなる要地だったため、家を建てることを禁じ、宮殿を囲む外苑としたのだ。

 タブーを破ったのは、朝鮮末期の安東金氏の有力者だった。1830年、純祖(スンジョ)の娘、福温(ポゴン)公主がキム・ビョンジュに嫁ぐ際、松ヒョン洞に敷地を与え昌寧尉宮(チャンニョンウィグン)が建てられた。その後ここは、旧韓末に親日派のユン・ドギョン、ユン・テギョン兄弟のものとなる。彼らは堂々たる屋敷を建て、アン・ジュンシクなどの画家に家の絵を描かせ威勢を誇示したが、弟のユン・テギョンは莫大な借金を作り中国の北京に逃走し、惨めな暮らしの中でこの世を去った。ユン・ドギョンの家も1938年に朝鮮殖産銀行の手に渡る。1919年から松ヒョン洞を占有した日帝は、植民地収奪機関である殖産銀行の社宅用地として用いた。両班(ヤンバン:李氏朝鮮時代の支配階級)の根拠地だった北村(プクチョン)の入口に日帝機関の社宅が建てられたことは、朝鮮の没落を象徴していた。日本は1938年、松ヒョン洞全域を殖産銀行の社宅用地として確保したが、わずか7年で敗戦し、追い出されることになる。

 
 
緑に覆われた松ヒョン洞の土地の様子。南に中学洞と安国洞の高層ビル群が見える。西北に位置する司諫洞の建物から撮影//ハンギョレ新聞社

 この地の主は、1949年にこの地を譲り受け1990年まで大使館員官邸として使った米国政府に変わる。殖産銀行社屋にそのまま居座り、41年間にわたって主としてふるまった。1990年、ソウル徳寿宮(トクスグン)のソン源殿(ソンウォンジョン)跡地の旧京畿女子高校跡と等価交換し、大使館の宿舎を移転しようとしたが、韓国市民団体の反発で失敗し、宿舎は龍山(ヨンサン)の米8軍基地に移した。

 1997年、国防部から1400億ウォン(約122億円)でこの土地を買収し、2008年まで所有したサムスン家も、やはり災厄の前で挫折を味わった。フランク・ゲーリーの設計により大型美術館を建てようとして断念した雲泥洞(ウンニドン)の土地の代替地として、美術館とデザイン教育院を含む文化団地が構想された。しかし土地を購入するやいなや、わずか3、4カ月後にIMF救済金融事態が勃発し、水泡に帰した。美術館は結局、漢南洞(ハンナムドン)の文化団地予定地に移り、2004年にリウムとして開館する。その後、この地は鶏肋(大して役に立たないが捨てるには惜しいもの)のように残っていたが、サムスンがリキテンスタインの絵『Happy tears』に絡む「裏金事件」で直撃を受けた直後の2008年、韓進(ハンジン)へと渡る。韓進グループは故チョ・ヤンホ会長の宿願事業として7つ星のホテルの建設を進める中で、朴槿恵(パク・クネ)前大統領の庇護を受けてホテル関連法の改正まで推進した。しかし「ナッツリターン・パワハラ事件」によりブレーキがかかる。

 
 
ドキュメンタリー写真家のキム・ハニョンが1978年に撮った景福宮周辺の風景写真の細部。東十字閣のうしろに位置する松ヒョン洞一帯に当時の米国大使館職員宿舎の建物が並んでいるのが見える//ハンギョレ新聞社

 実は、このような来歴よりも、松ヒョン洞の地は2010年に行われた発掘の成果により注目を浴びた。朝鮮末期と近代期の数十カ所の家の跡や井戸などの遺跡が発掘され、韓国近代都市考古学の出発を告げたのだ。底に穴をあけた大きな甕を3つ重ねて地面に埋め、地下水脈とつないだ井戸は学界で話題になった。松ヒョン洞の地は実際、朝鮮後期から近代期へと移る都市の住居の様相を生々しく残す生きた博物館であるわけだ。

 こうした姿を復元して残し、(公平都市遺跡展示館のように)きれいに造園して、朝鮮史と近代史が入れ替わる歴史・自然都市公園として保存してはどうか。その中にどんな文化施設を入れるかは後から考えても遅くない。青草に覆われた松ヒョン洞の地は周辺の風景を潤してくれる。ビルから見下ろすと、神秘的でおぼろげな雰囲気を醸し出している。非武装地帯(DMZ)がソウルのど真ん中に移ってきた感じだという言葉が実感できる。

文・写真 ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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