えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

繊サー

2010年01月20日 | 雑記
自動化が進むと人は「気ばたらき」をなくしてしまう、というようなことを
池波正太郎が言っていたと思いますが、今暮らしているとやっと、自動化交えて
「気ばたらき」を、つまり自動化されたものごとをこき使えるようになってきた
のではないでしょうか。

とはいえ、何をどういった道筋で機械にやらせるか、それを考えるのはまだまだ
人間のお仕事なので、むしろ自動化された上にまだ人がやらなければならないことへと
気をはたらかせなければならない。IT屋さんになると、作った機械を使う人の道筋と
さらに機械同士の働きをしっくりさせなければならないのでこれもまた気ばたらきです。

そうして人の働き、ドアを開ける、レバーを押す、ふたをあける、コックをひねるなど
動きのタイミングをあわせてあげるために機械が身につけなければいけないのは、
センサーです。
手を伸ばせば管の下に付けられた黒い帯がそれを感じ取り、水を流す命令を出します。
ガラスの前に立ち止まれば、天井か床かに設置された何かが人を感じ取って勝手にド
アが開きます。こうなるとケッコーな数と日々暮らしているのだなあと思いますが、
センサー君たちは意外に気ばたらきがわるい。

トイレに入りました。用を足しました。さて席を立とう。背中にはセンサーがある。
離れれば勝手に水を流してくれるので、そのまますっとドアを開いて出て行っても
よござんすよ、出て行っても。と奴は言っています。人間はちょっと不安です。
ここに入るまでそこそこ待ちました。外にはまだ4人ほど並んでいます。水の音へ
耳をそばただせ、ドアのきしみに足をぴくぴくさせながら、開いたとたん入れ違いに
すっとんで個室を閉めます。間隔があまりに狭い。流れなかったら。

そのまま行っちゃっても別にいいよね二度と会わないし、とドライに流せるには
まだ恥じらいというややこしいものがある。席は立った。無音である。流れない。
ドアへとにじりよって便器から距離をとる。いっこうにだめ。ズボンのももが
触れるほど近寄っても無言。

もういい、お前に言うことを聞かせるのはやめます。

手動に切り替えようとした手が止まりました。蓋に隠れた便器の背中は、すっきりと
太いパイプと短いパイプの数本にまとめられ、無骨に突き出た握りなんぞどこにも
ありません。浮いた手をやるせなく引っ込めます、手でセンサーを叩くなどという
賢い方法を出てから思いつきましたが今はひたすら、かつてはレバーのあった空間に
目線だけがレバーを形作ってゆきました。

と、がた、と便器の奥が動き出し、水がぐるぐると渦を巻いて重湯でも吸い込むような
低い音を立ててパイプの奥へとものを片付けだしました。

こういう奴の鼻を高くしないためにも、手段を選ぶ自由くらいは残しておいて
欲しいものです。完。(下世話ですみません)

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