えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・益体もない疲れ

2021年04月24日 | コラム
 行きつけの店のほとんどが午後十二時開店となり、駅まで歩いて電車を待ち各駅停車で三十分の時間を大まかに引き算してから家を出る。朝は遅い。いつの間にか家族が黙っていなくなっていることもしばしばで、逆に私がいなくなっていることが夜になるまで気づかれないこともしばしばある。5月を飛ばした6月のような暑さを含む晴天に欅の若葉が眩しく黄緑色に翻る下で、幼い子供を連れた親子連れ三組みがそれぞれ砂場、滑り台、ブランコで子供を遊ばせていた。子供の視線は砂を見ていたり、他の子供を見ていたり、ブランコの鎖を握って母親と笑い合っていたりと三者三様で、その中を通り過ぎる他人は他人でしかなかった。背もたれのないコンクリート製のベンチにリュックサックや水筒が置かれている。店の開店直後に着いた。
 用事を済ませるついでに立ち話に花が咲いて気がつくと一時半を回っていた。もう一つの行きつけの喫茶店ではまだ限定のランチが残っており、注文すると厨房から威勢のよい油の泡が弾ける音が沸き立った。病気のなんやかんやで客足は減るものの途切れない。以前は一時半をすぎればランチだけを過ごした女性陣と入れ違いに「完売です」の看板が表に出され、私は看板の脇を過ぎて飲み物とちょっとした甘味を頼む。今日はランチの後に手作りの甘味も頼んだ。「作るのが面倒なので、気が向けば」とマスク越しでもにこやかな店員の作る食事は精進料理を研究したとかで、魚や肉や乳製品が殆ど使われていない。それでいてでこぼこと角ばり黒ごまが映える揚げ物は胃に収まりが良く、味付けも濃すぎず薄すぎず胃が満たされたという気分になる。「素材のおかげですよ。今日はおいしいキャベツとセロリが入ったから」と笑う店員の料理する手を見てみたい。
 時間が遅いので私よりも先に入っていた客たちが少しずつ店を出る。店員と私はぽつぽつと時事やゲームや料理のことなどを互いにマスク越しで喋る。喋らないおかげで体に言葉が溜まりすぎている自覚が過ぎる頃には三時間が過ぎていることもざらで、その静かな時間に消費された疲れは帰りの電車のあとから緩やかに頭へ広がってゆく。誰かと喋ることすら、現在は贅沢にあたる。

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