えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:『また、いらっしゃい』 ジョン・ダッシュバック監督 二〇二一年

2024年04月13日 | コラム
 代官山のシアター・ギルドに入ると薄い麻のようなカーテンの間からポスターと同じ顔の老人が不思議そうな表情でこちらを覗いていた。チケットを見せてジンジャーエールを受け取り柔らかいソファに座ろうとすると、彼は私の側に来て「女の人限定ね」とママレードの瓶を渡した。どうして良いものか分からないまま礼を言って席に着く。その老人が『また、いらっしゃい』の主人公の植田正基さんご本人であることは会場にアナウンスが流れるまで確信できなかった。

『また、いらっしゃい』は飯田橋に店を構えていたラーメン屋『びぜん亭』の主人植田正基のドキュメンタリーだ。朝のラーメンの仕込みは看板を出すことから始まる。すりおろされた生姜が脂の白と赤身のバランスの良い挽肉の上に降り積もり流れるように捏ねる手は餃子の種を形作る。真ん中の磨り減った砥石に磨かれた包丁が小気味よく白髪葱を刻んでいく。十一時になった。暖簾を出す。二階建ての小料理屋のような店の席は瞬く間に埋まり、麺を啜る客の唇が次から次へと移される。箸で持ち上げた麺が最後まできれいにどの客の喉元へと吸い込まれていく。時間は流れて夕方になると植田さんは看板の電気をつけた。忙しなくも短い時間でラーメンを楽しんでいた客から一転して店の雰囲気は緩やかに流れ、カウンターからは味玉やわかめなどラーメンの具材が居酒屋の小鉢のように吐き出されていく。その合間に客たちが言葉を尽くしてラーメンと『びぜん亭』という場所、そして植田さんの人柄を思い入れ込めて語っていった。まるで二年後に植田さんが店を閉めることを知っているかのように、誰もが『びぜん亭』という場を失う事への寂しさを匂わせていた。そういう風に撮影係を兼ねた監督が訊ねたのかもしれないが、夜の時間にカウンターで隣り合う客と客が笑い合いながらカウンター越しに差し出される小鉢を肴に一杯傾ける姿は暖かかった。それは植田さんという人物を軸として作り上げられた場である。主人公は「ラーメン屋の植田正基」ではなく「植田正基」なのだ。

 春夏秋冬の四章に分かれているということは一年間かけて監督は植田さんの人生をおいかけているということで、春の章で普段のラーメン屋とその常客を紹介した後は植田さんの休日と彼の過去に焦点が当てられている。楽しい、と語る彼は遠距離を物ともせず千葉に畑を借りて耕し、秋には新潟にまで足を伸ばして自然薯を掘り、冬の頂点の正月には常客を誘って千葉の拠点で餅つき大会を開く。それは『びぜん亭』に取っては特別な一日だが、植田さんにとっては地続きの日常である。習ったらその通りにやってしまうから、とチャーシューを切る植田さんはラーメンも畑も本を読んで勉強した、とさらりと語るが、その手が生み出す物を淡々と流されると何のどこを読まれていったのかがとても気になった。本は手を動かさない。雑念が浮かべば頭も手を動かさない。スープを絡めるために麺を菜箸で高く持ち上げては返す手首のしなやかさから始まって縄を綯い自然薯をたわしでこする手をダッシュバック監督の目は常に追いかけていた。

 繰り返すが主役はラーメン屋ではない。ラーメンは麺の舌触りが耳から舌へ流れ込みそうなほど丁寧に映されているが視点は人に置かれている。今日の映画館の席も店に通う人々が多くを占めていた。まったく一切食べたことが無いのに来ている物好きはたぶん私だけだった。けれども私にとってはこの映画は『Perfect Day』に似た毎日の静かな空気感を湛えており、植田さんが実在の人間だからこその温度に味わいがあった。その温度は二年後に店がなくなるという未来を知った上で聞く常連の言葉の寂しさによってより温もりが増していたと思う。

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