えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

「戦国無双3」なんというか

2009年12月26日 | 雑記
 先日の文章ではゲームの内容それ自体には全然つっこんでいなかった。シリーズ作なので以前との差異をきっちり書かねば、と思って書いたら寡聞な自分にはインタフェースぐらいしか変わったことが見つからなかったのだ。なので今日はちょっと内容にふれてみることにした。
 
 基本的にこのゲームのルールは、武将を操って草刈のようにさっくりと敵を倒してゆくことのみである。みんな一律に同じ動きではつまらないので、プレイヤーが操ることの出来る武将は皆違った動きや武器で攻撃をする。それぞれの武将には、史実に基づいた、あるいは史実からイメージを膨らませた架空のシナリオが用意され、話ごとに戦場の舞台が用意されている。同じステージでも違った立場に立てば、全く違うイベントや目標が設定されるので、それにあわせた戦い方を要求されるのだ。目標を達成するためには、コースの取り方やアイテムの使い方など、ある一定の条件を考えなくてはいけない。ルール自体は、前作や前々作、「三国無双」シリーズとは変わっていない。その分本作を最初に作ったときは、基本的なルールを変えないながらも、ルールを構成する操作という要素を変更したことで、違ったゲームになれた。武将一人ひとりにお話と性格を与え、歴史に忠実な「三国無双」とは異なり、戦国時代という雰囲気を崩さず大胆な味付けを施したことも個性の一つだったのだろう。
 
 ただ、もう話はいいだろうと思う。話のつくりかたがうまくないのだ。歴史には史料と資料がある。史料を読むことは難しくとも、史料を読むための資料はあるはずなのに、それをさらに作家のイメージとして作り上げた資料に振り回されている。ストレートに目標へ向うキャラクターなら突っ走ればよいのに、その突っ走り方へ友情や正義や愛など、言葉はいいのになんだか胸がむかむかするように使われた味つけをしているものだから大変なのだ。歴史も言葉も上滑りしていて、作り手の身になっていないことが遊ぶとわかる。
 一番最初のスタッフ達が割り切ってつくった、遊び心のあるアクの強いキャラクター達を使いこなせなくなった―お話を与えてやれなくなったことからもそれは伺えると思う。例えば史料があまり残らない織田信長の妻濃姫は、一作目では夫を愛しながらも夫の命を狙うこわーい美女に描かれているが、二作目以降は夫を支える妻としてあっさり目に描かれ、本作はついに彼女専用のシナリオが省かれてしまった。シナリオが省かれるのはまだいいほうで、ゲーム自体からフェードアウトしてしまったキャラクターも何名かいる。それでもゲームに残ってるから遊ぶか、というと、お話のあるキャラクターの人数が多いから普通に遊ぶ程度では、まずやらないんじゃなかろうかとも思うが。

 で、お話のコンセプトは、最初は遊び、次は歴史の流れに沿ってと目的があったのだが、今回は?―よくわからないのだ。ゲームで遊んで「もらいたい」のか、自分達が作り上げた戦国時代風ファンタジーを見せびら「かしたい」のか。どっちかというと、後者が目的のような気がするのでむかむかとする。

 ゲームの基本は遊びのルールを用意するものだ。と思う。内容云々よりも、つくりかたにこのゲームは問題を抱えている。ルールで遊んでもらうのではなくて、話で遊んでもらうことはアクションゲームにそこまで大切なことなのだろうか。決断は出来ないがとりあえず私含め家の弟たちは、お話用のムービーは一度見たら飛ばしている。見ても特に感想はないようだった。
コメント
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