沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩398 沖縄からのメッセージ 35の3

2013年04月22日 09時14分41秒 | 政治論
 明治大正期の日本の汎アジア主義は当初、日中朝を中心として欧米列強植民地主義に対抗し、これを打ち破って全アジアの解放を企図する、という展望のもとに、当時の超国家主義者たちにより唱導されたものではあったが、日清日露戦役における日本帝国の、偶然と僥倖によるまぐれ当たりの勝利が齎されると、恐らくは、ここに生じた講和条約の不平等性からくる日本固有の国民感情的な、私的な復讐心やら捲土重来的な野望野心がこの国の知的上層部分の逆上を呼び、満州事変から国連脱退に発展して、「大東亜共栄圏」と呼ばれる軍略的な色彩の国家主義に変貌し、その当初の遠大な構想は別として、現実には国を挙げて大陸への帝国主義的侵略性を帯びた方向へシフトする、ということが起きた。
 捻じ曲げられた「大東亜構想」、という変異した主張が先の大戦の本質であり、実際に行われたのは、自国で枯渇している天然資源の共有を主眼とする、半植民地主義の具体化としてのアジア侵寇であった。
 一方対英米戦争にあっては、「持たざる国」の悲哀のままに、米英中蘭による経済封鎖の陥穽にはまり、自業自得な開戦を強いられたわけだが、そこに、一国の命運を担う指導者たちが「国の沽券」などという思い上がった驕慢を、人民の生活と生存に優先させる何らの権利もないのにもかかわらず、「戦略なき発進」にすぎない玉砕的愚策の実践に踏み切った。
 その事実に対する彼らの重大な責任は、いかにしても逃れようのないものがあるといえよう。多かれ少なかれ「戦争」には、いずれの側にも言い分があるのは当然であり、逆に言えば「勝てば官軍」、負ければその責任が追及される。そこに人間の営為の成行きがあり、越えられない必然の流れがある。
 しかしながら現代にあっては、自由や公平性、平等主義が理念淘汰され、コモンセンスとして市民常識化されたとして、その度合いを計測する度量衡をどこに置くかが問われる。
 度量衡なき世界性において一体何を担保に安定した生活生存の土台を持ち得ようか。そうした危惧感から、第二次大戦を巡る諸般の検証・再認識・総括が求められ、既に少なからず取りざたされる極東裁判の偏頗性に鑑み、より精度の高い歴史省察を展開する必要があるのは間違いない。しかしながら、こういう場合当然のようにこれらを逆手に取り、安倍自民系保守陣営のような、所謂歴史を事実上改ざん乃至それの修正を企図するという不埒な動きが生じるわけだ。だから、「護憲」はあくまでこうした連中への盾と矛になり、戦略的に使われねばならず、それ(日本国憲法)の持つ「永遠平和のため」という遠大な理想こそ砦としなければならない。(つづく)


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