沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩398 沖縄からのメッセージ 33

2013年04月14日 21時37分16秒 | 政治論
 「祖国復帰運動」は、一種の二律背反内実を抱えながら、現実に「施政権返還」の法的形式を備えて一応成就した。しかしながら事実は、米国民政府支配からの祖国復帰であるにもかかわらず、「地位協定」に守護された治外法権下の米軍と、その、本島中枢部分を広大な範囲で占拠した基地自体はそのまま残り、剰えその後本土が追い出した海兵隊を徐々に移駐させ日本国土展開の実に74%を集中させたのである。
 それは、「普天間返還」で「辺野古移設」という、到底釣り合わない新基地建設を条件とした、日米合意と同根同質の「詐術」だったわけだ。
 「普天間問題」は全県的な「辺野古拒否」運動によって17年間一歩も進められず、安倍政権のやや性急な「詐術」が、「辺野古公有水面埋め立て承認申請提示」や「嘉手納より南5施設返還」日米合意打ち上げ花火で、日本の本土の「半可通」どもの脳みそを、さも沖縄問題が解決への一歩を進めている「かのような」印象操作に引きずり込み、言ってみれば、参議院選絡みの「決める政治」傾向を演出したのだが、残念ながら沖縄県民にははなからわかっていたこととて、早速県知事等各方面から総スカンをくらった次第だ。
 ここに沖縄問題は、沖縄県という一行政単位と、日本及びアメリカ合衆国両政府という、三つの錘が挟む天秤の軸を中心に対立し合う、見るから単純な関係性に極まったと言える。
 これは第三者的に見るなら、日本国で、日米政府と対極的に対峙しうる地方自治体はほかにはなく、しかも戦後常にその位置に置かれた経緯から、沖縄琉球こそが単独で自己を自立せしめる唯一の可能性のなかにある、ということになる。
 しかしながら事態をよくよく観察すると、沖縄県が例えば突然「独立しまあす」と言ってわざわざ苦労して日本籍から離れる重大な個的な事情にあるのかといえば、そんなものは最初からなく、自立する要件は、日米政府の対沖縄施策とその歴史的蓄積以外には何一つ見当たらないということだ。
 例の集団自決が、日本兵の存在なしには起こり得なかったように、いつも沖縄を追い込んでいるのは「同朋」と思った同じ日本人のあからさまな裏切り、無視、軽視行為にほかならない。してみれば独立の労苦というのはこの島には相応しくなく、却って日本国が「安保体制」から沖縄を抜き、独立自治権を付与するという内容で解放する行為こそ、沖縄戦で被った県民の無残な死苦への鎮魂賦でもあろう。
 一方日本国が国として安保堅持し、行きがかり上沖縄を安保最前線とすることをためらわない以上、「何を言っても通用しない」非民主国家の餌食となり、PAC3も常時配備され、オスプレイは断じて引き揚げず、決して実現しない「普天間返還」をジリジリ待たされているよりは、いっそのこと米軍基地「一揆打ち壊し」、オバマ直訴駆け込み訴え、といった抵抗行為の有効性を追究する必要があるというものだ。
 沖縄琉球の独立は当初の二律背反内実の未解消のままに、恐らく今後このままに極めて琉球的に、ということはまた、極めて内面的ににみ勝ち取られる歴史を示すのかと思われる。その外貌は相変わらず「被抑圧民族」の体を示しているのに。(つづく)


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