沖縄県民の切実なメッセージが本土に届かない最大の理由は、先ごろ大同団結して沖縄の首長たちが本土に赴き、抗議の直訴を敢行したあの活動において端的に現れたように、その直後、普天間にオスプレイを強行!!(ここに注意しなければならないが)配備してさえ、彼等に何らの顧慮配慮も示さなかった日本政府及び米軍の、「非民主的な」態度に全てが凝縮されているのであり、全県的な議会制民主主義の制度において、つまり全市町村議会、その首長及び県議会議決と県知事が「辺野古移設反対」「オスプレイ配備反対」と決定的な意思を表明したにも関わらず、これを「無視し」、あくまでも「辺野古移設」「オスプレイ配備」を押し通そうとしている日米政府の、「反民主的」態度に対し、さながら沖縄県民が、何かしら「駄々をこねて」政府の意思に反抗しているあくたれである「かのように」見せかけられている本土の日本人は、これを、国策に従わない不逞の輩とでも思っているのであろうとこちらでは思い、彼らを、沖縄県が単独で置かれている「国内差別」の実態に目を向けようとしない本土の半可通、というわけだ。
3月年度末、辺野古公有水面埋め立て承認申請が出し抜けに提出されたあと、沖縄において実施された聞き取り調査では、7割の県民がこれを評価しないとし、評価するとしたものは1割程度という結果であった。つまりなんらかの理由で「辺野古移設」に不同意な県民が殆どだという、数字上の目に見える実態である。残る1割程度の容認者が同じ沖縄県民であることは言うまでもないことで、局地的に、特に地元に近接する地域ではこの反対容認の是々非々でいがみ合うというような好ましからぬ地域住民分断現象を醸し出している。
もともと「ユイマール」という共同体意識が強固な沖縄においてである。これを、政府米軍が国策判断を、一地域住民の余りに不相応な判断行為に委ねるという、過重負担で襲撃した結果とみることができよう。
先ごろの名護市漁協での埋め立て同意取り付けが、法的に必須とされない理由は、辺野古を抱える名護漁協一存にかかって、この海域全般に影響する漁業権の決定的な判断に委任し得ない性格があるからであり、案の定、近隣漁協の反対議決集会が直ちに起こされたことからもこの理屈がわかる。
所がこういう微妙な問題には一切触れることなく、さも決定的な住民同意が得られたかのように(しかも相変わらず金銭的に籠絡するやり方はまさしく「愚民化政策」そのものである)見せかけ、承認申請になだれ込んだのだった。沖縄県民のメッセージが本土に届かないのは、県民のメッセージ性が希薄だとかあるいは強烈なアピール度がないとかいうことにあるのではなく、事態はもっとはるかに深刻な日本国民総ぐるみの「国内差別状態」から生じていることなのだ。(つづく)