沖縄県政史上最悪の事態が刻一刻と迫っている、という危機感は多くの県民が等しく持っているところであろう。
大田昌秀元知事(本日付沖縄タイムスにインタビュー記事)が危惧するように、所謂「代執行」が、この安倍政権によってなんのためらいもなく決定実行される気配を醸し出してきたということだが、「鉄血勤王隊」として師範学校生徒時に「沖縄戦」の真っ只中に放り込まれ、九死に一生を得た氏が予感するその不吉な足音の確からしさは、さながら「沖縄戦」の地獄絵図を現代に紐解くような驚嘆すべき「厚かましさ」で、日本国の一地方行政単位を襲撃するという、稀に見る暴虐政治が現実化するということだ。
しかし、明治新政府による琉球処分とその後の皇民化教育、県内同化策の大嵐によって馴化されきたったかつての沖縄県民が、過度に呪縛された皇国遵奉と天皇崇拝精神及び東条英機の「戦陣訓」並び旧日本軍による「軍官民共生共死思潮」強制の中、ただ盲目にこれに付き従い「集団での自決」さえ実行してしまったあの悲劇的愚行のままに、この現代において易易と「辺野古公有水面」を埋め立てさせる、というようなことが起こりうるだろうか。
しかし現に、米軍の「銃剣とブルドーザー」での強制土地接収はまかり通り、地位協定に守られた逃げ得米兵は数え切れぬほどの実例を示し、6歳女児さえ強姦して止まず、殺人的航空機オスプレイは当然のように持ち込まれ、合意事項違反飛行訓練を繰り返し、これになんの抗議行動も起こさない政府の、米国従属的黙認行為が継続し、彼らの自己欺瞞でさえある県内たらい回しの、「うその負担軽減」基地返還詐欺は公然と口にされる、そしていかなる方面から検討しても、決して評価に値しない「環境影響評価書」がこそこそと提示されたかと思ったら、今度は到底許可されそうもないと思われている「公有水面埋め立て」の申請が平然とされる、そこには「銃剣とブルドーザー」並みの「問答無用」の前近代的国家意思が示されている。
かつて「代理署名」を拒否した元知事にとって、その知事権限を剥奪することなど容易に実行するこの国の対米従属性質は、痛恨とともに骨身にしみたのであろう。歴史的誤読に基づく低劣な「主権回復式典」が白昼堂々と繰り広げられ、三等国並みの実質で自己礼賛する愚かな国民性を内外にひけらかす。かつてこれほど地に落ちた民族があっただろうか。(つづく)