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ブログを使用しての種々の論考

詩596 毎日新聞社説 セクハラと日本社会 これが21世紀の先進国か

2018年05月01日 14時36分10秒 | マスコミジャーナリズム

セクハラと日本社会 これが21世紀の先進国か

https://mainichi.jp/articles/20180430/ddm/005/070/002000c

いつも思うのだが、セクハラやパワハラを生む風潮としての官尊民卑も男尊女卑も、人の心性についての確かな見識なしには、訴えてもただの弱者の呻きにしかならず、呻きは声にならず意味を加えず、社会も世界も人間も動かさない。「これが21世紀の先進国か」という嘆きは、この国が本当に所謂先進国なのか自問しない限り意味はない(既に多くの実例はこの国が徐々にその戦後培った先進性を失い事実上後退していることを示している)。何故この安倍晋三政権においてそれは極めて下世話な三面記事のように惹き起こされているか、何故この政権でモリカケ防衛省問題は、さながら情けない人間の業の噴出のように漏れ出してくるのか。凡そ低レベルな質でこういう問題が出てくるのは、日本会議等右傾化グループや安倍一派が我々の前に繰り出してくる非常識な、まがい物の歴史観や低劣な史実改竄・捻じ曲げ、あるいは多くの事案に顕著な隠蔽性、強硬路線、印象操作に拠る人心収斂、などなど、挙げればきりがない彼等の悪辣で悪質な権力的性格にこそ、その動かぬ因源がある。同様に、この国の近代化がその基礎に置いた官僚機構は、そのエリート意識の醸成と共に指導者的優越性にどっぷりと浸り、その業務の功罪が齎す国民的国家的損益に関する責任性から何気に免れ、免罪され、一種の特権的階級を形成するに至った。蓋し、彼らが自らを尊び民を卑しむ理由は自然発生したのだ。この体質は戦後も変わらずあったし、陰の方に深く潜行していった。一方「男尊女卑」も、男系社会の自然発生的な心性に過ぎず、弱者への配慮という一点を欠けば、ただちにハラスメントを構成するのだ。安倍一派がきれいごとを並べて女性活躍など銘打っても所詮彼等の「自由」「権利」への見識が余りにもご都合主義に堕している以上、ぼろは直ぐ出る。安倍晋三など何一つまともな意見が言えないはずだ。ここにあるこの明白な差別主義、これに複合的なコンプレクスが相乗して全ては尋常ならぬ犯罪的な行為へ墜落していく。



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