沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩348 その7 現代日本という視点 7

2011年09月19日 12時35分28秒 | 政治論
 外務防衛官僚の思考ベースにある単純な事務手続き的簡略化(既に2+2で合意に達した既成事案だと彼らは強調するだろう)という理由によって推し進められる普天間辺野古移設方針は政治家の理念を全く反映しない対米外交姿勢としての安保関連無問題化がさながら心理的荷重の軽減のように彼ら民主政権には受け止められているということかな。つまり普天間問題の本質である沖縄基地負担軽減という理念は「辺野古拒否による普天間固定化」というヤクザまがいの恐喝を背景に一方では確実に対米心情的危機感(従って全くの杞憂だが)を理由に無駄な軋轢防止という穏健策こそ何にも増して重視されるという倒錯外交精神の発露が見える。これは同様に同質の事件で中国に関しこの国の奇妙な蠢きとして我々は既に目にしている(尖閣沖漁船衝突事件)。理念が問題にされず却って生のリアルな外交センス(とても上質とはいえないレベルで)によって国家間の重要案件が片付けられようとしているのが真相だ。ここに民主政権がなによりも言い募った政治主導理念の完璧な敗北宣言を国民側は見なければならない。そしてこの自民民主2政権によって戦後66年は誰がこの国を真に牛耳って来たか、誰が最も重大な責任を負うべきか、を如実に知らねばならない。官僚は政治責任を負わない。彼らは情報と累積されたデータ、統計的確率的解答案、提案、等をさながら絶対的確定的既成の世界のごとく立て板に水よろしく滔々とプレゼンしてきただけだとも言える。そしてむしろこれ以外には答えがないように絞り込む彼らの驚異的な分析総合力によって政治家は答えの前提である民意を見失う。これが実態だ。普天間問題の解決困難な性格はそれが対アメリカであるが故に一層始末に負えない。寡聞にして想像でしか言えないが北の拉致問題もこうした複層する縺れ糸から解かれるには徹底した政治判断を実行しない限り無理な部分がありそうだ。(中断)


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