簡潔に言えば、現在の沖縄県の在り様からして、このまま日本国一員であるより琉球国として独立する方が論理的には筋が通っている。その際、この方向性を論理的に押しとどめるような、懸案となるべき要件は一切ない。但し平時の無条件な世論調査によれば8割近くの県民は「沖縄返還」を是としている。この自然発生的な反応については勿論明確に分析検証されなければならない。しかし祖国復帰運動時に沖縄返還(祖国復帰)を独立の大前提とした意味は、結局、異国の事実上の不在地主(米国)とその代官(米国民政府、米軍)に生活を牛耳られるよりは、近代化という、歴史上の圧倒的な文明的潮流に後進性が淘汰される段階で日本国に併合された琉球が、戦後民主主義あるいは日本国憲法によって生まれ変わったであろう日本国に再び帰属したいと考えるのは至極当然の成り行きにすぎず、これを以って日本帝国による琉球処分が持つ国際法上の併合実質即ち強制的属国化と単一民族性への侵略的な個別性の剥奪行為という犯罪性を免罪するなどあり得ず、返還後も当然あり続ける、本質的な単一民族性における琉球人自身による探求追究という理念的な精神運動は、日本国に帰属したことによる琉球人としての閉塞性、弊害そのもの、あるいは日本国政府による不当な処遇など、それが絶えず琉球的視点で監視検証されているという、伏流において脈々と息づいている事実に大きな変更はない、ということになる。
つまり日本国帰属後の琉球に関する一切は、良くも悪くも琉球人の目と手で厳正に評価することを通じ主体的にその立ち位置を決定づけている。その自律する意思は、主に日本国を政治的に統治する、代議制民主主義を実行すべくある、いくつかの公職選挙を通して表示される。ところがこの公職選挙には、純然たる民意を反映すべき何らの保証もないことが次第にはっきりしてきた。この安倍政権が公有水面埋め立てに関する仲井真承認後、沖縄県に示した態度、施策、手段手法、言動に如実に表れた「差別的やっつけ仕事(民意をかえりみず強引に工事を進捗させること)」ぶりからも、行政的に国防・安全保障は国家専権事項とは言え、民主的手法による住民の意思表示乃至県単位での反対意見というものを決定的徹底的に否定無視する挙に打って出たことが、現在この国が取り分けて沖縄に特化(佐賀県に対するオスプレイ配備の政府案撤回が証明している)して民意を蹂躙して止まない国策に固結していることを実態として持つと、我々には了解された。それは取りも直さずこの国が国防・安全保障問題を法的な根拠のない国家専権事項として地方行政への恫喝懐柔の手段とし、そこに本来ある、対米外交上の交渉事としての普天間無条件返還事案を辺野古新基地建設事案にすり替えて、結局、外交問題の取っ払いとしての新基地献上という屈辱的妥結をもって終始させた、ということであり、同時に、全く理由のない基地負担沖縄押しつけ国策を「辺野古唯一」と喧伝して日本側から「どうぞ沖縄をご自由に使ってください」と差し出しているわけだ。これは、この国の近代化以来何度も味わった「不平等条約」状態の「オゥンゴール」であり、県民にとっては全く理解不能な自爆的国策(ヤマトゥにとっては国策だが沖縄にとって国策でさえない)としか言えない。結論から言えば、沖縄県は明らかに(昭和)天皇メッセ-ジ以来軍事要塞基地としてアメリカ合衆国に身売りさせられた、ということになる。
身売りは親の借金のかた、あるいは口減らし、というのが相場だ。しかし、はっきり言えば日本国は沖縄県の親ではない(我が子の虐待を旨とする親が親のはずはない----日本国政府は沖縄県民を同国人として扱ってはいない)。元々は琉球王国が親である。その王国は既に存在もせず県民の親は現在の県民自身だ。琉球人の新しい独立琉球国が漸く真実の親となる可能性としてある。勿論この親は子を身売りするような親のはずがない。
沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)平成24年3月
http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/toukeisiryousyu2403.html
在沖米軍基地(米軍専用施設)は沖縄本島の2割弱を占めていて、しかも県土の最優良地域を独占している。国土の0.6%の県土に74%弱のそれがある。この通り数値的に見ても明らかな偏在性を示す。最優良地が取り戻せれば沖縄県の経済発展は計り知れないものがあることを、既に返還済み地域の経済効果が実証している。つまり、米軍基地全面返還は沖縄県が独立採算財政を確保できる大きな可能性を準備するわけで、琉球独立は米軍基地撤去が大前提だ。但し、基地跡地の汚染状態は通常の原状回復として困難を極めるだろうし、その不動産の平準化の代価は米国政府が当然に負担すべきところだ。勿論何にしろ完全に米軍がいない方がいい。その戦争発進基地を抱える県民としての精神的負担感はその良好な精神衛生確保を阻害し、「悪魔の島」という謂れのないレッテルさえ受忍せざるを得ない。なんという奴隷的状態か。
現在、この国では見かけ上親が子を訴え、子が親を敵視している。日本国政府(親)は、国民としての沖縄県民(子)を司法の場に引きずり出し、沖縄県民は警視庁機動隊、海上保安庁、民間警備保障会社(親の命令通りにしか動かない自動装置)から不当で不法な弾圧を受けている。しかも多くの負傷者も出ている。県民が自己の領分を守ろうとして昼も夜も寒中も熱射の中も、休むことなく「基地反対」と訴えているのに、この国の政府は全く聞く耳を持たない。こんな政府が統治する国家の民であることが、沖縄県民の充足した県民らしい生活を壊しつつある。壊されつつある現在、県民がこの国に愛想を尽かし、元の琉球国に舞い戻ろうとするのは当たり前のことだ。(つづく)