沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩488 検証 33

2013年10月27日 09時17分48秒 | 政治論

 国の、やり方というのは、例えばここ沖縄県国頭郡東村高江、国頭村においては、米軍北部訓練場一部返還の代替措置として新たにオスプレイのためのヘリパッドを設置する工事を現在6基のうち2基目に関ししようとし実際している(1基目は完工し養生している)のだが、県の立ち入り調査(工事による赤土流出等)、台風、地元住民有志による監視抗議活動で一時中断していたそれを再開した、というのも、つまりはこうした工事阻止傾向にある人間の目の間隙を縫って、まるでていのいい盗人、空き巣、といった印象の有り様(目取真俊氏「海鳴りの島から」)で工事を進めようとしていることに明らかなように、工事関係者、防衛局、日本国の日米安保関連行為は、人民言論行動とはその理念的論理的有り様に真逆の、対米追随、卑怯未練の体質に冒されている実情が判然する。こうした国のやり方は、あらゆる局面に現象として見られ、例えば原発事故への政治的対応然り、TPP交渉無鉄砲参入然り、伊豆大島土石流事故における行政対応(この国の無責任体質の敷衍)然り、あれほどの自然災害(大震災、原発爆発、集中ゲリラ豪雨、竜巻等)が盛んに警告を促しているというのに、その警告の本質を弁えず、原発セールス、再稼動、民意阻害、理屈に合わない経済政策傾向、といった「愚民政治」を繰り返す、そのていたらくだ。(つづく)



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