米軍撤退後のイラクの現状は、あのように益々紛糾する民族的内戦状態に落ちていくばかりで、アメリカのいう「民主改革」なる戦争がいかに市民巻き添えの悲劇的かつ犯罪的な嘘であったかを如実に証明しているし、現今世界展開の米軍による覇権的思考に基づく軍事戦略が、彼らアングロサクソン民族本位の戦争経済主義にほかならないことは、既に常識的見解(世界がこのことを強調してないことは不思議な事態だ)となっている。
この間の斯界における詳細な研究成果を殆ど知らないが、基本理念において誤っているならそこから派生する一切がまがい物になる道理を認知しなければなるまい。
こうしたアメリカ戦争経済主義のお先棒を担いでいる日本は、当然ながら幾多の局面で矛盾した外交内政断面をさらけ出している。
「沖縄に深く突き刺さったトゲ」である日米軍事同盟は、確かに沖縄県民にとって抜き差しならぬ、「痛み」を伴う様相を呈している。戦後だけで67年間この重症事態に改善はない。「トゲ」はこの長い時間にわたって沖縄県民を痛め続けている。日本政府は一度としてこの「トゲ」を抜き取ろうとしたことはない。むしろこの傷にカラシを塗りこむことを繰り返している。
彼らはこの、自身の行為について正確に自覚しているのだろうか(個人の自由思考が停止している以上、彼らの中に正確な意味の自己認識はない)。しているわけがない。つまり鈍感なのか。そうではない。彼らは根本的に思考するという当然の悟性アクションについてこれを避けるという方向に、どういうわけか誰もかも走り出してしまった。
日米安保は「日本人を戦争危機から守ってくれる」、という暗黙の思考停止の結論で一切を不問に付したのだった。この同盟を、自動危機管理装置のように錯覚しているが、現実には全く効力を発揮し得ない仕組みになっていることは既に常識なので、そこで彼らは「地政学」「核抑止力」という奇妙な軍事用語を持ち出して、あたかも論理的有効性を絶対的に保持しうる「かのように」装っては一億国民を騙し続けている。
騙されているのは国民だけで、彼らにあっては様々な利権既得権益あるいはなんらかの政治的優位性保持など、到底許しがたい理由で安保堅持しているのだ。アメリカ軍がいるから中国北朝鮮ロシアは攻めてこないという論理は成り立たないことなど彼らは百も承知だ。あくまで、国防費を財政的に本格始動させないがために、方便としてとっているこの方策が、しかしながらなんらの経済効果ももたらさないことは既にこの世紀に入って証明された。
徐々にではあるが米軍が日本領土を守らない、守るわけがないことも薄々感づかれ始めた。こんなことはとうの昔に嫌でも知ってしまっていた、一地方自治体沖縄の現状も徐々に明るみに出始めた。
「昭和維新」と銘打った陸軍皇道派青年将校たちのクーデターが、自身皇軍の一員でありしかも「住民を守りえない命令系統にある」自己矛盾に気づき得ない組織人であることにいやでも引き戻される現実は、悲劇ではあるが愚かな「改革主義」としかいえないわけで、こんにち「維新」と銘打って聞こえはいいが実に浮ついた、根本的でない「改革」がいかに愚劣な傾向へ堕落するかは初めからわかりきったことだ。
彼らに欠けているのは実に根本的な思考にすぎないが、歴史的には社会改良思想の殆どが、現実には烏合の衆か、勢力を維持し得ない泡沫的存在に堕する例に事欠かない。ましてヒトラーのように運悪く数を頼んで巨大化すると、むしろ結果的に取り返しがつかないことになるというものだ。全体主義に移行するのは目に見えている。(中断)