戦後戦無的世代が如何に狂っても、天皇陛下万歳を叫んで殉死することなど決してできはしないし、その状況(殉死する状況)が出来すること自体あり得ないことである。しかし、オウム真理教は多くの若い俊英を、狂ったタントラヤーナバジラヤーナによって刑法犯罪の実践に踏み切らせた(マインドコントロール)。一方何人かの若者は、自滅的殺人を犯すことで自殺的処刑を確定させる暴力的自己実現を現実に完遂した。戦後民主主義が、「自由」と「民主主義」を拡大解釈的に流布させた結果、儒教的な戦前価値は殲滅され、放縦なほど多岐にわたる可能性の樹海に現代人を踏み込ませることになった。天皇陛下万歳は、儒教的な階級的秩序の教育的徹底が齎した、強制的な擬似信仰発露であり、当然乍そこに国家的な全体主義の翼賛手法がなければ本来生じ得ない、従って決して民主主義に馴染まないものに違いない。ところが日本国の民主化を推進した当の米国は、少なくとも国家安全保障思考においては徹底した全体主義の国である。もしかすると全体主義でさえないのは日本国だけかもしれないのだが、米国と軍事提携を諮る日本はどうしても対米従属の国家方針によらざるを得ない資質に在る。つまり、日米関係は第二次大戦当事者関係性を戦後一貫して保持した類を見ない緊縛状態にあり、為政者が同盟堅持を叫ぼうがどうしようが間違いなくそれは解けない自縄自縛状態(官僚の保守停滞主義に基づく)に置かれているのだ。(つづく)
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