沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩519 過去と現代 4

2014年04月29日 18時24分10秒 | 政治論

 イオン名護店の一階通路に、「原爆と戦争展」と称して写真資料を開示した10メートルほどの両面パネルがあったので買い物がてら見たのだが、その中に、「沖縄戦はせずとも戦争は終わっていた」という、「長周新聞」なる関西系月決め新聞2004年9月分の記事があり、そこでは主に国の戦争目的を中心に沖縄戦の性格が論じられていて、当時、日本の参謀本部が言わば米軍の圧倒的な進撃により心理的策略的に「無謀な玉砕戦」への片道切符を握らされ、沖縄を本土決戦の防波堤、として最終的な持久戦へ流れていった経緯において、米国が如何に狡猾に残虐に世界制覇のとっかかりを得ようと準備し実践したか、なんとなく「そんなものなのだろう」と思わないわけにはいかないのだった。

 確かに米国側からすれば、解体した戦後日本を極東の防共最前線とし、かつその政府を米国の傀儡とすることは既に戦時中、のちのライシャワー駐日大使がルーズベルトに進言していたことであり、敗戦後の日本国の歩みは、米国主導の方針のもとに突き進んだ屈辱的な現代史そのものであることを、政治家官僚含め国民ははっきりと認識しておかねばならないのであろう。そして沖縄戦に叩き込まれた沖縄県民の、血塗られ、無駄死にされ尽くした境遇の燃えたぎる高炉が、現在の米軍基地に象徴的に反映残存していることに改めて思いを致さねばならないものと思う。(つづく)



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