沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩257

2010年12月10日 12時18分29秒 | 政治論
 菅君が訪沖するということはいよいよこの国の政府が沖縄の人民を懐柔する階段に足を掛けたということだが、果たして彼にそれにつき何らかの公算があるというのだろうか。そしてそのことは当然ながら県民総意の辺野古移設反対という事実に対してこれを覆すだけの理由を提示するはずなのだが、そんな有力な懐柔策が見つかったとは到底思えない現状では、かかる地元お百度は大向こうに対するパフォーマンスとしか思えない。懐疑的沖縄県民の視線から知事の変節公約破りは半々であり埋め立て許可の裁可が半々で辺野古に下りるという、県民の内臓に負担のかかる季節は四季を越えて無期限に続く。鳩山氏がオバマに肘鉄を食らったとき、この国は日本がアメリカに沖縄並みに軽視され侮られていることを実感として持ち、沖縄普天間問題の根本的解決を通して対米追随精神の自己破壊と独立自尊精神の再構築を革命的に目指すべきだったのである。日米安保は本質的に日本の安保でなくアメリカ世界戦略的安保であり、日本がアメリカに追随すべき実質的利益はない。軍事資本主義というジャンルがあるとすれば、資本主義的保険思想はただ顧客の意思のみに委ねられているのであり法精神からすると意思に反して業者が押し付ける商品は本来返還さるべき性質のものだ。顧客である日本国民(沖縄県民)に意思確認し、国民投票を通して日米安保の有効性無効性を問い、と同時に基地負担という担保につき国民均等分担の国家的法基準を確立すること。沖縄からすれば当然の要求だ。にもかかわらず菅は明らかにアメリカに言われて、この普天間を国内問題として解決しろという至上命令を完遂すべく動き出した。このアメリカの犬を沖縄県民は手なづけるしかないのだが、仲井真君ではどうにも心許ない。県民は知事の変節を監視し、いつでもリコールする準備をしなければならない。(中断)


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