沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩622 琉球独立戦争の端緒

2016年07月31日 11時16分49秒 | 政治論

 琉球は非武の邦だ。これがまた市民運動にも繋がる。「非暴力不服従」は言わば琉球が本質的に有する闘いのかたちだ。従って、琉球独立戦争は基本的に、武器を取って流血を厭わぬ戦争へまっしぐら、ということにはならない。もしそうなるとすれば、明らかな正当防衛、自己尊厳を守るために沖縄の地、海、空で。

 しかし、琉球の尊厳、人間としての尊厳を守るとき、人はその自身の命の行く末を顧みることはしない。それが沖縄戦では、皇民化教育と大本営発表の欺瞞によって全く意味のない内容で現実化してしまった。

 高江、辺野古を見よ。国、安倍晋三、ヤマトゥ本土は、国民の無知、無関心、国家により操作された情報、印象によって飼い馴らされた常民レベルの沖縄観を背景に(従って沖縄以外の他の国民は何事があっても騒ぎはしないだろうと踏んでいる)、(米国追随の)国家主義を平然と機械的効率的に実行に付すことを躊躇うことがなかった。そこに、明らかに、ヤマトゥ権力機構が持っている堕落した前近代性、封建遺制的官尊民卑実質の漏出を見る。その意味では辺野古高江でこの国が見せているあの人民弾圧の蛮行は、琉球王府に対して明治政府が武断的に行った「琉球処分」の時代に逆戻りした意味になる。それはむしろ安倍晋三にとって当然のことであり、この宰相はまさにあの、富国強兵殖産興業に邁進した明治大日本帝国を再現したいのである。これを復古主義という。当然その行為は現代的価値観からも否定されなければならない。

 安倍晋三の念頭にある「美しい国」はこの明治時代の大日本帝国である。

 この宰相はおのれの「美しい夢」をみるためには、憧憬してやまない大日本帝国の犯した大罪をなかったことにしたい。そのためにこそ歴史修正主義は一種の史実解釈変更、乃至は事実そのものの否定という、あり得ない詐欺行為に血道を上げている。

 大日本帝国の大罪が最大限残虐に顕現されたのが沖縄である。それは、沖縄戦は言うに及ばず、戦後の米国占領、海兵隊押しつけ、密約塗れの返還、そして米軍基地の偏在と強化実態、手段を択ばぬ市民運動弾圧、自治権侵害、自決権抹殺と、現在進行形で続いている。

 恐らく沖縄県民の心底にはヤマトゥ本土政府、官僚、権力機構、財界含め安保マフィアに対する憎悪が煮えたぎっていると思われる。

 歴史的民衆抵抗の時代が最も現実的に進行している。「オール沖縄」は、そういう位置づけとなる。もし翁長知事がそのように立ち上がらなかったら、全ては元の木阿弥、即ち真実が闇に紛れ、乱痴気騒ぎの一億総白痴時代となる。沖縄も寸時の俄かな享楽を「自由と解放」のように錯覚し、自然が損なわれ、其処に住む人の生活が壊され、人間の尊厳が喪われていく現実に目を背ける、ヤマトゥ本土並みに堕落した三流国家国民に堕するばかりだ。(つづく)

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。