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詩596 dot.com記事 「パン屋を和菓子屋に」だけじゃない トンデモ道徳教育

2017年05月08日 08時20分03秒 | マスコミジャーナリズム

「パン屋を和菓子屋に」だけじゃない トンデモ道徳教育

https://dot.asahi.com/aera/2017050100092.html

国語や算数などと違い道徳には体系的な学問がないため、国が定めた“徳目”にのみ基づく恣意的な教科書づくりや検定が行われている(抜粋)

道徳とか倫理、モラルというのは時代によって変化すると小林秀雄氏が書いていたが、まさにその変化の代表格が皇民化教育という道徳教育が国を単色化した戦争時代と、戦後の自由主義(道徳教育は下火となった)教育に見られる現代日本の道徳感(あるいは不道徳感)であろう。小林氏は左翼の転向問題に関し口にしたのだが、これを道徳の問題と見た氏の苦々しい表情を想像する。転向は、自身の道徳問題より国家の意思が勝った事実をあからさまにした。国家が押し付ける「道徳」は個人を凌駕しかつ個人の道徳感を根こそぎ打ち砕く。それは最早「道徳」ではない、国家意思という重戦車が個人を押し潰し国家方針に無条件で従わせるためだけに機能する、恐るべき鉄の掟にほかならない。鉤十字はナチスの象徴だった、鉤に国民を引っかけて引きずり回すナチスの冷血性。今安倍らが流布させんとしている教育は、人間を作るのでなく、心臓を抉り、血を抜き、機械のように国のために死ぬ人民を生み出さんとする教育、一種の殺人マシーン化用訓練、軍事教練なのである。



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