沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩608 沖縄について考える 2

2016年01月27日 11時43分16秒 | 政治論

 当選した宜野湾市長は、辺野古移設の賛否を選挙の争点とせず、飽くまで普天間早期返還実現(どちらにしろ沖縄では当然に争点化しない事案)を口にしただけである。もし正確にこの選挙の意味を問うならば、選挙戦はその戦中、周辺各情報媒体や喧しい政治的論調が盛んに煽ったはずの政権対翁長陣営の移設問題を扱うことなく、単なる集票競争に終始し現職優位のまま推移した、ということでしかなく、従って、出口調査等で明らかなように過半以上の県内移設反対意見の県民世論とは別に、多様な地方自治に関する分散した民意の発露によってこの市長選の勝敗が決したということになる(勿論自公政権側の圧倒的な組織力、資金力?が下支えしている)。ところがこの選挙結果で日頃の鬱憤を晴らすかのように、安倍政権側特に菅官房長官などはここまでの翁長知事体制批判で溜飲を下げたという程度の在り様だ(政治資金で身辺を突かれている現沖縄選出参議院議員島尻アイコなどはこのときとばかり菅に同調し翁長体制を批判した。この女史の政治的な密告体質は留まるところを知らないクサレナイチャーぶりを発揮している)。翁長知事の「オール沖縄」は言葉としてはアジ的だが、世論的には「総意」という意味で使われているので、当然に様々な意見の集積総括が「県内移設反対」であり、ほぼ大部分で傾向化しているところを「腹六分目、七分目」で糾合しようという意味になる。その出発点は「オール沖縄建白書」であった。

 問題はこの新市長が安倍晋三シンパであり、政権体制側施策に全面的に協力同調するというなら、県内移設反対の明らかに多数派である民意に背くことになるのは間違いない。又、どのみち「辺野古唯一」と言って頑迷にも官僚的政治に凝り固まっている安倍政権にあっては辺野古の現場でなりふり構わぬ強行工事を加速させるのは目に見えていて、現在の市民活動の過酷な状況には更にまた冷酷な住民弾圧の殺人的強化が予想され気の休まる暇もない、ということだ。これはこの安倍政権の非人間的な正体が余すところなく示されているということで、多くの政治局面で露出する政権の劣悪さを思えば、事、沖縄県に留まらず日本国全体が暗黒時代を経験していると言わねばなるまい。そのことに国民が気づくかどうかは多くの面で情報媒体、ジャーナリズムの正確で厳密な情報提供が必要量をクリアするかにかかってもいる。安倍晋三政権が画策する印象操作、情報統制のための様々な圧力に屈しているメデアマスコミへの批判と否定の戦陣も組まねばなるまい。

 無責任な自公政権が、事後目も当てられぬ政治結末を晒したとき(何年先かはわからない)、先の大戦同様の取り返しようもない「敗戦国境遇」にまたぞろ転落する、という事態を避けたいなら、速やかに政権に三下り半を突きつけ、安倍坊ちゃんドラ息子政治を駆逐すべく全力を傾注すべきと思われる。(つづく)

  



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