週のはじめに考える 真実見極める目を
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018022502000138.html
ホロコーストの本質は数ではない、とのコンセンサス
「反ユダヤ主義、外国人への反感や憎悪は今再び、日常茶飯事となっている」
フェイクニュース(偽ニュース)や客観性を重視しないポスト真実は、差別感情や対立をあおりながら世界にまん延
日本のネット上にも、差別や憎悪に満ちた言説が飛び交うようになり、判断材料に
もっともらしい主張の虚偽を見抜くこと-アウシュビッツから学ぶべき教訓
悪の代名詞そのものとされたナチ犯罪は、戦争犯罪としてもニュルンベルクで明確に断罪されたが、一方例えば東京裁判では、勝者が敗者を裁くという観点から「東京裁判史観」なる本末転倒な言いがかりをする流れが右傾化グループによって造られている。こういう主張が出てくるのは、あの裁判の実態が、明確な戦争犯罪として正当で公平な基準に基づかないという批判が当時からあったことによるらしい(判事の何人かは必ずしも判決に同意してなかった)。日本側から見た最大の問題点は、いかに戦時とは言え、2個の原爆や東京大空襲、あるいは無差別爆撃や沖縄掃討作戦などは、果たして南京事件やナチ犯罪に比して、その残虐性が軽減され、不問に付されるものなのかということだ。今の米国教育の根本は、原爆の正当化に尽きているが、勿論米国識者たちにもこれを断罪する部分がないわけでない。恐らくは戦後世代の我々がすべきことは報復裁判に対する報復的言いがかりではなく、問題の本質がどこにあるかを正当に正確に見極め、批判すべきところを批判し、反省すべきところを反省し、世界史的に明らかな国民的なコンセンサスを確立すること以外ではない。