「沖縄基地存続なら日米安保は厳しく」 翁長知事、ワシントン入り
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015053102000122.html
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10年以上前から全く見なくなったものの、相変わらず「朝まで生テレビ」のいい加減さは健在らしいが、この不毛なデスカッションの存在価値は既にゼロだと実証済みのことで今更とやかくいうつもりもない。所詮、現代日本の「戦後民主主義」はこの程度だということであり、根本的な立ち位置からは見る価値がないとわかった。ということは、5月29日「沖縄基地問題と日本」をyoutubeで後からところどころ垣間見た挙句到底全部を見る気にはなれなかったというはなし。
筆者は移住者で、恐らくいかに逆立ちしても現実の琉球沖縄には到達しないという感触乃至意識を常に持ち続けている。そうでないと、たった10年足らずそこに住んでいる程度の底の浅い体験で、所謂ヤマトゥと称される一塊の常民と何ら変わりのない認知力により、過去現在、琉球沖縄で起きていること、起きたことを躊躇いもなく切り裁いてしまう、暴力的な植民地主義が無意識にも横行し始めるのである。
ヤマトゥの為政者、識者、あるいは広く常民と言うべき一般の日本人に決定的に欠けているのは、どう考えても、琉球沖縄の人々に対する通常考えられる他者尊重の基本的な心構えにほかならない、ということだ。だが、事態はもっとはるかに深刻な齟齬を呈している。
この齟齬こそヤマトゥ 対 琉球という因縁めいた確執において、いよいよその一般住民に「島ぐるみ」と名付ける以外ない状況を招来した一国家の国内分離派誕生という繰り返される悲劇あるいは喜劇である。ごまかしと偽善、欺瞞と糊塗、まやかしと裏切り、未必の故意的殺人予備軍集結、かかる形容においてしか語れない、この国の対琉球姿勢。そしてそれは全て、アメリカ合衆国における彼らの国家エゴに基づいてのみ機能する安保体制により日本国を傀儡化し手玉に取り、辺野古を「おまえらの国内問題」と切って捨て、一国の宰相が尻尾フリフリ「辺野古が唯一」と嘯くことで完成する既得の利権確保と軍産複合戦争経済主義のふてぶてしい居直りに拠っている、というわけだ。
よくよく考えれば、40数年前の祖国復帰島ぐるみ闘争というのは、琉球沖縄が独立国家琉球国を完成させるがための初期段階だったということであり、これまでのあるいはこれからの米軍基地関連闘争を通じて、あの初っ端から空文化していた「祖国復帰」がかました、この国の大嘘を全琉日交渉史の本質的な欺瞞のうちに苦々しくも再発見し、いよいよもって本来の「祖国」に向かって歩き始めている現在があるということらしい。(つづく)
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