「辺野古工事中断し対話を」翁長雄志知事、日本記者クラブで会見
県民大会では3世代参加も多く見られた。宜野湾市元消防長も3世代で参加していた。糸満市から3代で参加した當間實光さん、私の普天間高校での現代国語の恩師、歌集『大嶺崎』に「ふるさとは基地となりにし大嶺崎フェンスが分かつ海と陸とに」がある。
「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の実体験が教えた事実そのままに、普天間のMV22オスプレイは墜落事故があったその翌日には我が物顔で沖縄県民の頭上に飛翔訓練し始めた。勿論翁長知事の訓練停止要請などどこ吹く風だ。これもあの戦争が伝えている「国は沖縄を捨石とした」「本土決戦準備(そんな潔い決戦など少しもなかった)のための引き伸ばし持久戦」同様の虚偽に覆われた「大本営発表」を繰り返し、米国政府が何食わぬ顔で、オスプレイは構造的欠陥はなく安全、使用続行と宣言したと思えば追随して日本政府は導入意思に変わりはない、と飽くまで殺人機にこだわる。当然「軍産複合」戦争経済主義に基づき「粛々と」人殺しのための国家エゴを貫くわけだ。米国議会は安倍晋三の稚拙な官僚作文演説に拍手喝さいし「辺野古が唯一」と馬鹿の一つ覚えを大合唱している。イスラム国テロ人質殺傷と同じように、アメリカと日本は「一人二人の犠牲は仕方がない」という発想で、140万沖縄県民の県土を彼らの言う「仮想敵」からのミサイル攻撃目標として剥き出し晒して顧みない。とんだ「祖国」もあったもんだ。こういう事実に向き合えば大多数の「復帰してよかった」という世論調査結果が大方事大主義によることは明白だ。隠蔽、驕慢、ごり押し、上意下達、猪突猛進、「殺人欲求」、など軍隊が持つ「悪の巣窟」のような在り様は、到底一般市民の生活には馴染みようもないのだが、「何事もない」か「何かあっても問題はない」かのように振る舞う彼らの鍛錬された「嘘」によって、住民は大概諦めて「見て見ぬふり」さえしている。日米政府の即刻の安全宣言にはこうした住民性市民性国民性への「痛くない攻撃」が含まれている。「沈静化」させるための軍隊式隠蔽工作第一弾と言える。あとは知らぬ存ぜぬで押し通す。岸信介が国会突入安保闘争の喧噪を官邸に聞きながら一人虚無主義に浸っていたあの時代を再現している。まさに安倍晋三の知恵遅れな時代錯誤の面目躍如だ。(つづく)
普天間オスプレイ、訓練強行 墜落翌日、本島周辺広範囲に
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国連審査報告書が在沖米基地に改善勧告 人権侵害など指摘
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5・17県民大会のカンパ991万円
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辺野古移設計画を堅持 米国務省
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米下院も「辺野古唯一」国防権限法案に文言
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オスプレイ事故:米、機体に問題なしと説明 中谷氏
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