沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩510 ある絶望

2014年03月25日 17時39分25秒 | 政治論

 認知症老齢者が陥る悪弊の最たるものは、彼(彼女)がしばしば固陋に堕する傾向にあることだろう。それもケマネージャー的見解では彼(彼女)が社会的環境からの脱落(個人差があろうが老齢に伴う厭世的思いから)、あるいは孤独的閉鎖性への陥没(体力の減退)など、著しく「引きこもり」傾向にあることを指摘する。それで、デイサービスではこうした認知症気味の老人を一所に集め様々な共同的生活時空(食事、軽作業、軽運動、昼寝など)での精神的なケアによって改善策を講じる。要するに社会性の回復(一人で生きていない、他者との関わりの中で生きている、といった意識の回復)へのリハビリだ。多かれ少なかれ老人は頑固に自己世界に固執するものだが、それが他人に対してなんらかの精神的圧迫を加えるような障害に至ると、混迷し懊悩するのは彼の周辺隣人であり、彼らのストレスを緩和する手立てがかの老人の社会性回復リハビリとなる。実際、こうした介護支援によって彼(彼女)の社会性が曲がりなりにも醸しだされ、他者への圧迫障害が回避される兆しも見えてくる。但し、彼(彼女)の内面における固定した感情、感覚、信念が全く消えうせたわけではない。それを表に出すと社会生活上不都合が生じるという新たな意識によって、理性的に抑制するという傾向に改善されることになるわけだ。

 竹富町教委に対して下村文科相が発した中学公民教科書選択の「是正勧告」を町がはねつけたのは当然のことであり、そこになんら特別な意味など存在しない。特別な意味があるのはこの下村文科相という公人に個別的な国家思想が明白に認められる、ということだ。彼は、安倍政権の権勢に乗じて一気に琉球島嶼へ防共国防施策の実践体制を整備しようという国家的要請に依拠している。(つづk)