沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩491 問題 5 米国

2013年11月23日 23時37分31秒 | 政治論

 この時期での赴任というタイミングが何を意味するか知る由もないが、有名な暗殺された元米国大統領の長女が日本国駐在大使になるからと言って、早速小野寺防相と辺野古推進を論う有り様から、琉球について何も知らないただのプレミア付きのコマーシャルガールという印象しかない。型どおりの発言、行動、紋切り型のコメント、以外に何も期待はできないのだろう。ジャパニーズポリテカルコマーシャルベースに苦もなく乗せられて、取り敢えず大震災被災地など!を訪問し、皇族並に「お言葉」をかけられ、これまで米国と日本政府が奏でていた交響楽の鸚鵡返しで「日米同盟深化」を歌い上げ、現実とは真逆の「よき隣人」を演じきる、この間4年だ。(つづく)


詩491 問題 4の5

2013年11月23日 09時56分12秒 | 政治論

 多数決の原理によれば、現在県知事の手元近くにある辺野古埋め立て承認の是非に関して、直近の地元自治体である名護市で決議採択された名護市長の埋め立て事業反対意見は、2500人にのぼる市民元市民の徴集意見の99%が反対意見に集中したことも踏まえて多数決により決定した地元意見であり、この一塊に対して、民主制の政体における民主的な対応とは何かについて国に本気で再考を促すものがあろう。即ち、米国の国家安全保障政策とは別の日本国国内問題として考えられなければならないのであり、同時にもし沖縄県知事が不承認の印を押すならばいよいよ国内的な反対意見に基づく日本国国家の米国に対する、日米軍事同盟に基づくことのない外交交渉という段階に移行するべき責務が発生するのである。我々は、県知事の判断が「政治的判断」にならないように祈るが、先の衆議院選に対する「一票の格差」訴訟が最高裁で「違憲状態」という無責任判断に堕したことなど考えると、この国のやり方一切になんの信頼も置けないことを覚悟する必要に迫られるのだ。従って、県知事が仮に政治的判断(責任回避のあいまいな結論)をしたとしても、翁長那覇市長のいうように間違いなく「オール沖縄」である県民輿論にいささかの改変変節裏切りの傾斜も存在しない、ということを自覚しておかねばならない。こうした琉球の有り様に抗して、安倍晋三の爺様がやった「強行採決」的地元無視の非民主的な蛮行を彼自身が実践しようと言うのならいよいよこの国は終わりだな。(つづく)