聖徳太子の功績の一つ、古来の神々(神道)と新顔の神々(仏教)を適切に受け入れた。
当時、積極的に仏教を導入しようという立場の者たちと、古来の神々を重んじて外国の宗教導入に反対する人々が対立して争いが起きた。
争いは、仏教を導入しようとするグループが勝者となった。
太子は、敗者の立場も尊重して方針を明確にした。
大川周明によれば、以下のように整理している。
➡
①神道を以て政治の根本主義となし、
②国民の道徳的生活をば、儒教によりて向上せしめ、
③仏教によりて宗教的生活の醇化を図った。
(大川周明『日本二千六百年史』p.50)
①、神道は随神の道(かんながらのみち)、神とともにある道であり、神である天照大御神の子孫の神武天皇の血統を受け継ぐ、万世一系の天皇が日本国を統治する。
②、儒教は国民の一人一人が身を修めて(修身)生きるための教えとする。
③、仏教は煩悩を持つ国民の悩みを救いあげる手立てとする。
儒教は、身を修め人を治むる学問(「修身治国平天下」)であるが、
太子は、儒教の「修身」を取り入れ、「治国」は神道によるものとした。
ここが大成功!
「治国」に儒教を入れなかった。
治国に儒教を入れるとどうなるか。
儒教では、有徳の者に君主の地位が与えられる(天命)と考える。
一見、合理的のようだが、実際には上手くいかない。
有徳の優劣を定める基準が存在しないので、結局、力による争奪となる。
力で国を奪い取っても、別の強者が現われて国が治まらない。
当時、積極的に仏教を導入しようという立場の者たちと、古来の神々を重んじて外国の宗教導入に反対する人々が対立して争いが起きた。
争いは、仏教を導入しようとするグループが勝者となった。
太子は、敗者の立場も尊重して方針を明確にした。
大川周明によれば、以下のように整理している。
➡
①神道を以て政治の根本主義となし、
②国民の道徳的生活をば、儒教によりて向上せしめ、
③仏教によりて宗教的生活の醇化を図った。
(大川周明『日本二千六百年史』p.50)
①、神道は随神の道(かんながらのみち)、神とともにある道であり、神である天照大御神の子孫の神武天皇の血統を受け継ぐ、万世一系の天皇が日本国を統治する。
②、儒教は国民の一人一人が身を修めて(修身)生きるための教えとする。
③、仏教は煩悩を持つ国民の悩みを救いあげる手立てとする。
儒教は、身を修め人を治むる学問(「修身治国平天下」)であるが、
太子は、儒教の「修身」を取り入れ、「治国」は神道によるものとした。
ここが大成功!
「治国」に儒教を入れなかった。
治国に儒教を入れるとどうなるか。
儒教では、有徳の者に君主の地位が与えられる(天命)と考える。
一見、合理的のようだが、実際には上手くいかない。
有徳の優劣を定める基準が存在しないので、結局、力による争奪となる。
力で国を奪い取っても、別の強者が現われて国が治まらない。
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