犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

【日々是好日なり】記紀神話から読み取る歴史

2022年10月15日 | 日々是好日なり
 天津神(天の神)は、海から来た人々であるという説がある。
 「あま」は、「天」でもあり、「海人」でもあり、「天」と「海」は同じ「あま」である。
 つまり、海から上陸したグループが天の神である。

 日本列島では、
 縄文の中期から前期にかけて気温が下がり、寒冷化したことで、東日本人びとは、徐々に西日本に移動したことと、
 大陸や半島からの外圧があり、備えが必要となったことで、
 関東にあった勢力が、西日本へ向かう、二つの流れがあった。

 一流は、陸づたいに直接、奈良盆地に向かう勢力だ。
 もう一流は、舟で陸づたいに移動し、九州の南から上陸した後、九州から東へ向かった勢力がいた。
 最終的には、後者のグループが前者の勢力を破って覇権を取り、奈良盆地で王権を確立した。
 
 奈良盆地が選択されたのは、外敵と対峙するための拠点として、交通、防御の観点からだ。
 九州では、大陸に近すぎる。当時の主要な交通路であった瀬戸内海の東端の浪速の地では、平坦で開けているので外敵からの防御が難しい。
 浪速から大和川を通じて舟による交通の便もあり、自然の山々に囲まれた要害の地、奈良盆地に拠点を設けたということか。

 記紀の神話から読み取ることができる歴史である。
 ちなみに、天孫降臨※ は、海から九州へ上陸したことを表現したものである。

※ アマテラスオオミカミの命を受けて,アマテラスオオミカミの孫であるニニギノミコトが、高天原(鹿島神宮の近くに地名が残る)から海をわたり、九州の南から上陸し、日向国(宮崎)の高千穂の地に降り立った。
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