犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

【日々是好日なり】日本列島にユダヤの記憶が残る

2022年10月02日 | 日々是好日なり
 「半島に昔の文化が残る」
 半島は地理的条件で、人々の交流が少ないために伝わりにくく、中央の文化の伝搬が遅く遅れる。
 伝わりにくいが一旦伝わり定着すれば、変化することも小さく、定着した文化が後々まで残ることになる。
 昔の文化の痕跡が残る、「場所に記憶が残っている」と表現される。

 地球規模でみると
 20万年前に、アフリカで新人類の祖先が誕生し、人々は東へ東へと移動し、
 2万年から4万年前に日本列島に到達した。
 (その後、列島づたいあるいは海を越えて北米、南米大陸へと移動していったということらしい)

 ユーラシア大陸の東端の日本列島には、長期にわたり、大陸の西側で発展した文化(精神的所産)・文明(物質的所産)が人々の移動とともに流入した。

 その特徴的な一つが、国を失った民族、ユダヤの民の痕跡である。
 世界中にユダヤの民(ディアスポラ、離散者)が散在している。迫害を受けたり、歓迎されざる客としての存在の印象がある。
 日本には、ユダヤの民は渡来しなかったのであろうか。

 日本列島においては、ユダヤの民は当地に同化したようだ。
 「日ユ同祖論」ではないが、ユダヤの痕跡が数多く残っている。
 大陸の環境と異なり、日本列島は地理的条件から、外部の紛争に巻き込まれることがほとんどなく、社会が安定していたおかげで様々の古い痕跡が残っている。
 ユダヤに限り、当方が思いつくままにあげれば、
 皇室の三種の神器や神輿に始まり、 
 神社の幕屋様式、鳥居、神輿、祭り、祇園祭、神事の相撲、民謡の囃子言葉、ソーラン節、天狗、山伏、諏訪大社の守屋山、諏訪の御頭祭(おんとうさい)、、、、
 などなど。
 
 聖徳太子のブレーンであった秦河勝は、太子死後、赤穂に移り住んだ。この地にある、大避神社(おおさけじんじゃ)で祀られている。この神社を訪ねれば、ユダヤの民であったことがわかる。

 大陸東端の日本列島にユダヤの記憶が残っている。
コメント
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