犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

【日々是好日なり】公(おおやけ)と私(わたくし)

2022年07月29日 | 日々是好日なり
 「個」と「全(社会)」を言い換えると、「私(わたくし)」と「公(おおやけ)」である。
 公を辞書で引くと
 ①政府、国家。
 ②個人に属さず、社会のものであること。
とある。
 日本人が普通に考える「公」は、人々を統治する組織である政府であり、お上である。伝統的に人々の信頼は厚い。
 人々の一人一人である「私」とは、全く別物として認識している。
 「公」という箱と「私」という箱が別にあるとでも。

 欧米の人々はどうだろうか。
 「公」は、英語で「public」、辞書を引くと、
  the people in general
 で、一般大衆、民衆、あるいは集団の人々という意味となる。
 日本人のように、自分とは別の存在である「お上」という感覚はない。
 どちらかといえば、「公」という箱の中に「私」が一杯、詰まっているとでも。

 思うに、77年前、アメリカ軍が日本列島に乗り込んできて、日本は侵略戦争だった、アメリカは正義の戦いだったという歴史を日本人は強要された。
 アメリカ軍が巧妙だったのは、「公」と「私」を別物と認識する日本人の特徴をうまく利用したことだ。
 いわく、日本国民は悪くない、悪いのは「お上」だ。
 日本政府の指導者が誤った方向に導いた、日本軍が悪かった、戦争責任があるのは昭和天皇だなどなど。


コメント
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