読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

山本兼一の『修羅走る関ヶ原』を読む

2015年03月12日 | 読書

◇ 『修羅走る関ヶ原』 著者: 山本兼一  2014.7 集英社 刊

    

     時代小説巧者の一人。山本兼一は昨年2月に亡くなった。享年57。
   この作品のテーマは男の死に様と生き様である。関ヶ原の合戦は天下分かれ目の戦として
  あまりにも有名で、歴史小説の恰好の題材である。したがってこの本でも徳川家康、石田三成
   を初め福島正則、小早川秀秋など欠かせない重要人物はもちろん、東軍、西軍に属した諸将が
   続々登場する。これら主要人物の立ち位置を明らかにしながら、合戦当日における人間模様を
  描こうとしている。しかし並みの戦記ものと違うのは東西両軍の旗頭である家康・三成の心境は
  もちろん戦況の推移に伴う各将の微妙な心裡の移り変わりが豊かな想像力で綴られていること
  だろうか。

   三成は秀吉との盟約を裏切った家康に対する天誅のつもりで「義」を求めて戦いを挑んだ。
  一方家康は秀吉の死によって目の前にぶら下がった天下取りの好機を逃さじと、必勝の算段を
  積み重ねて関ヶ原の戦に臨んだ。
   三成とともに秀吉の近習として仕えた石田三成と大谷吉継はこの戦いは負けるから止めよと
  忠告したが三成の決心が固く心中のつもりで戦いに臨んだ。島左近はここが死に場所と主の
  三成に従った。秀吉から秀の一字を貰った宇喜多秀家は、五大老の一人として秀頼のことを
  頼まれた事を忘れない。豊臣家が天下の主であることを示すために絶対に勝つ。
   父の毛利輝元が西軍の総大将に担がれて大阪城に拠っっている毛利秀元は、お家の存続
  は家康に味方するしかないと覚悟している。吉川広家も然かり。義なくして天下は保てぬと西
  軍として攻撃を迫る安国寺恵瓊はやきもきするばかり。毛利・吉川・長曾我部・長束の軍勢は
  動かないことで東軍を利している。
   豊臣家への篤い忠誠心を持ちながら、石田治部少輔への反感から黒田長政とともに東軍に
  ついた福島正則。西軍に属しながら家康の調略に会い東軍・西軍のいずれにつくかで懊悩す
  る小早川秀秋。大勢が東軍勝利に傾いたとみて東軍として動き出しついに西軍に決定的な
  打撃を与えた。
   
   これら諸将のほかに登場する人物がまさに修羅走る武士として戦場を駆け巡る。小早川秀
  秋の重臣松野重元は主の日和見を責め、西軍として早く攻撃するよう迫る。大谷刑部吉継の
  家来・土肥市太郎は主の命で小早川秀秋の出撃を迫る役目。土肥市次郎は南宮山に布陣し
  ている毛利秀元の裏切りを防ぐ役目。キリシタンの明石全登と戦った槍の名手可児才蔵。戦
  わず逃げることだけを考えている織田信長の弟織田有楽斎等々。

      石田三成は関ヶ原の戦場から逃れたものの、間もなく捕らわれの身となり、京都四条河原
  で晒し首となった。

                                            (以上この項終わり)

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