読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

重光 葵の『外交回想録』を読む

2023年07月23日 | 読書

◇『外交回想録

   著者:重光 葵    2011.7 中央公論新社 刊

   

  この本は巻末に「『重光葵 外交回想録』<1978年8月毎日新聞社刊
 を底本とし、改題しました。」とあります。戦後間もない1953.9出版の
『重光葵 外交回想録』毎日新聞社刊とは目次に若干の違いがあります。
 内容がどう違うのか分かりません。

    重光氏の著書は『昭和の動乱(上/下)』(中公文庫)、『巣鴨日記
(正・続)』など知られていますが、本書は現場にいた人のドキュメント
でありリアリティに富み、迫力があります。満州事変当時、がむしゃらな
軍部と南京政府との間に立って、事態不拡大に奔走する姿が生々しく、真
に日本国の将来を見据えた信念に感動しました。また「絶対に欧州の争い
に巻き込まれては日本の為にならない」という彼の強い意見報告にもかか
わらず、日独伊三国軍事同盟を結び、強大な米英を敵に回すという愚に走
った松岡外相など日本政府の選択を悔やむしかありません。
   「今日我において対外政策等の進路を誤れば長く取り返しがつかなくな
るから」と電報で帰朝の上報告したいと宇垣外相に訴えたが日独伊三国同
盟に傾斜していた勢力の人事強行で英国大使に追いやられたのでした。  

 日本の外交官にして政治家でもあった重光葵については、日華事変で右
足を失ったこと(実は朝鮮人による襲撃)、米軍の戦艦「ミズリー」上で
日本の降伏文書に署名した人物としての記憶しかありませんでした。
 本書は外交官補としてドイツに赴任し第一次世界大戦勃発に遭遇、松岡
外相と意見が合わず英国大使館を去ることにする(最終章「我が使命つ
いに失敗」彼の前半生30年の回想録です。
 天長節の祝賀会で爆弾を投げかけられ、身体中に弾創を浴び、右足を失
い生死を彷徨う重傷負った次第は「血塗られた祝賀会」(「隻脚記」より
抜粋)に詳しく記されています。

 降伏文書署名にあたり、「これは不名誉の終着点ではなく、再生の出発
点である」とおっしゃったのは初めて知りました。日本男子の不屈の覚悟
の表明だと思います。
 
  また本書を読むと外交官としての彼の業績だけでなく、外交の状況を処理
するにあたって彼の対応を支える思想的文明論的世界観及び家族(両親と
兄、妹、妻子)への限りない愛情(とりわけ母への思慕の念)が問わず語り
に伝わってきます。                
                      (以上この項終わり)

 


 


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