読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

新しい生命の誕生

2009年01月14日 | その他

4人目の孫

 
既報の如く、1月7日水曜日に三女に女児が誕生した。小柄な妊婦だったので
 産科医も胎児があまり大きくならないように指導に苦労したようだ。
 おかげさまで 2,244gと小さく生まれた。それはいいが 2,500g未満の新生児は
 保育器に入る。温度を37℃とかに上げて様子を見ながら徐々に下げていくら
 しい。ガラス越しに見せてもらったときの保育器の温度表示は32℃だった。

 何しろ初産だから、事前に既に子持ちの2人の姉や、出産経験のある友達、
 インターネット、本などからたっぷりと出産時・その後の知識を仕入れたわけだが、
 何事も十人十色というくらいだから、ある程度の様子はわかっても、そのとおり
 というわけにはいかない。

 6日の朝産気づいた兆候があって昼頃産院に入った。陣痛が次第に間隔を狭
 めていって分娩室に入ることになるが、 三女の場合、この間の時間がほぼ
 一昼夜。父親になる予定の娘婿はもちろん、我々も夜もろくに眠れず、ドア越し
 に苦しい、苦しい泣き喚く声を耳にしながら、「もうすぐだから(そんな保障はど
 こにもないのに激励の気持ちだけ)しっかりがんばれ」と安産を祈るしかなか
 った。
  後から陣痛室に入る妊婦さんたちが、後から後から分娩室に入って出て行く。
 赤んぼの泣き声が聞こえるたびに「生まれた!」と思うが、
 人の赤ちゃんだった。

 陣痛が余り長引くと妊婦と胎児が力を消耗して、(胎児も生まれるための努力を
 しているが力尽きてしまうらしい)吸引とか、鉗子分娩、最悪の場合は帝王切開
 ということになる。
 今回も余り長引くため、自然分娩が無理となったらこれらの手だけをという準備
 もしていたが、妊婦が「まだがんばってみる!」といっているし、産院側も出来る
 だけ頑張ってみようということで、結局ちょっと吸引の手助けがあっただけで、何
 とか自然分娩に近い出産ができた。
 こんなときは男は何も出来ず、ただただ「うろうろ」、「はらはら」するだけ。
 こんな苦しい思いをして産んだ子は間違いなくかわいいに違いない。(こんな赤
 子を「母乳を飲んでくれないので憎らしくて畳に投げつけ
て」殺した。なんてこと
 は信じられない。) 

 越後から一年ぶりに弟が我が家を訪問することになっているので一旦家に帰ろ
 うと思って、駅に向かって歩いている途中にどうやら生まれたらしい。
 タッチの差だった。

 あれから1週間経った。初めての出産後検診では、順調な生育状態で乳幼児も
 きわめて健康体ということで先ずは安心した。

 娘の親は産後の肥立ちを実家で過ごすという美風(アメリカでは娘の母親が、娘
 の家に出かけて面倒を見るという慣わしとか。)があって、その間娘の連れ合い
 も一緒に来るからにわかに賑やかになる。
 おまけにといっては何だが、この1年間に3人の孫が生まれたので混乱の極み。
 さすがに娘の母親であるわが妻は目の回るような忙しさであった(まだ収束して
 いない)。父親だって無縁であるわけではない。常に傍から余計な口出しをして、
 適切な(と本人は信じ込んでいる)助言をしてうるさがられている。沐浴及びその
 指導。ミルクの授乳、哺乳瓶の消毒、おしめ換え、孫の機嫌がいいときだけの
 「抱っこ」。
 やることはいくらでもある。この間ブラジルの知人に、「近くまた孫が生まれるの
 で、忙しくなる・・・」とメールしたら、「奥さんが忙しくなるのは分かるけど、あなたが
 どうしていそがしくなるの?」と言われた(絶句)。

 どういうわけかこの月は誕生日が多い。1月2日(次女)、1月5日(次女の連れ
 合い)、1月7日(三女の娘)、1月23日(三女)、1月24日(三女の連れ合い)、
 1月25日(長女の娘)。
 この頃に誕生日会をやれば効率がいい。
 
 

コメント
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