【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ニトログリセリン

2010-11-20 18:45:53 | Weblog
昔々、どの医療漫画だったかな、何かを爆破しなくちゃいけなくなって、狭心症の患者が持っていたニトログリセリンの錠剤を集めてどかん、という話がありました。無茶です。たしかにニトログリセリンは火薬ですが、錠剤に含まれているのは1mgに満たない量。それで何かを爆破するくらいなら、脱脂綿から綿火薬を作る方がまだ実用的に思えます。
狭心症患者が持っている「ニトロ錠」の成分が“あの”ニトログリセリンと同じものと気づいてその漫画家が嬉しかったのは、わからないではないですが。

【ただいま読書中】『火薬が心臓を救う ──ニトログリセリン不思議ものがたり』吉田信弘・大西正夫 著、 ダイヤモンド社、1990年、1456円(税別)

1768年イギリスの医師ウィリアム・ヘバーデンは「狭心症」という病気が存在することを報告しました。(ちなみに、日本の『解體新書』は1774年です) 病気の本体は冠動脈の狭窄(ほとんどは動脈硬化によるもの)ですが、へバーデンの時代にはまだ治療法はありませんでした。胸痛を取り除くために、ブランデー・エーテル・アンモニアなどが用いられましたが、もちろん無効。唯一効果があったのが瀉血でした。1867年イギリスの医師トーマス・ブラントンが「狭心症に亜硝酸アミルが有効」と報告して初めて有効な薬剤が使えるようになります。ブラントンは「瀉血が効くのは血圧が下がるからだろう。だったら血圧を下げる作用がある亜硝酸アミルも効かないだろうか」という発想で患者に試してみたのでした。1847年に合成されたニトログリセリンをなめた人が亜硝酸アミルと同様の症状を示したことから、イギリスの医師ウィリアム・ミューレルは人体に試してみて狭心症の治療に有効と1879年に報告します。火薬庫の労働者が狭心症が治った、とかではなかったんですね。
心臓の解剖・生理・血液循環などを簡単に解説した後、話は動脈硬化に。本書出版当時はまだ「メタボ」は存在しなかったのですが、それにつながる話は当然出てきます(というか、「メタボ」が問題なのは動脈硬化になるから、って、世間に広く知られていましたっけ?)。
火薬の歴史を見ると、意外に医薬と関係があります。黒色火薬の成分、硝石(硝酸カリウム)・硫黄・木炭は、古代中国ではそれぞれ医薬品でした。さらに黒色火薬そのものが『本草綱目』では、たむし・水虫・ペストの治療薬として書かれているそうです。そしてその火薬がアラビアに伝わり、そこからヨーロッパに伝わりました(もっともヨーロッパでは火薬は「自分たちが発明した」ことになっているようですけれど)。
もちろんニトログリセリンは、医薬品としての顔だけではなくて火薬としての顔を持っています。そこで本書では「火薬」についても詳しく述べられています。日本海海戦を「火薬(の差)」で見る視点は私には新鮮でしたし、ダイナマイトを持ったら柔らかかったという話も実感があります。医薬品と火薬と、ちょっと分裂気味の本ですが、暇なときに読むと楽しく時間つぶしができます。



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尾頭付き

2010-11-19 18:45:22 | Weblog
「今はどんな時代か」を記述するのは、けっこう難しいことです。「歴史」だったら“後出しじゃんけん”でいろいろ材料が揃っているから判断がしやすいのですが、「現在」はこれからどう転ぶか不定だからなかなか何かを断言するには勇気が必要です。おっと、“発端”と“経過”と“結論”が見えている歴史でさえも意見が割れますね。だったらこれからどうなるかわからない「現在」をどう評価するかが難しいのは当然とは言えるでしょう。歴史だったら尾と頭がついているから胴体の判断はけっこうできるけれど、「今」は尾頭のどちらかと胴体だけで、残りの部分を推定しなければならないのですから。
……ところで「未来」は「尾」?それとも「頭」?

【ただいま読書中】『百姓一揆とその作法』保坂智 著、 吉川弘文館(歴史文化ライブラリー137)、2002年、1700円(税別)

タイトルに一目惚れで、読むことにしました。
1749年(寛延二年)陸奥国で大規模な百姓一揆が起きました。ところがその記録「伊信騒動記」には「此度の騒動、天草四郎や由井正雪等の類一揆にハあらで強訴のことに候得ば、手道具を不持ハ勿論のこと」とあります。つまり当時の“常識”では「手道具(武器)を所持していたら一揆」「所持していなければ強訴」となっており、だからこそ現在「島原の乱」と呼ばれる騒動は当時は「島原・天草一揆」だったのです。
信長が戦った「一向一揆」も民衆の武装蜂起です。秀吉もその力が全国に及ぶと、検地を代表とする苛政に対する反発から各地で「一揆」が起きました。だからこその刀狩りだったわけです。徳川政権成立後も、大名の配置換えに伴って各地で一揆が起きましたが、島原・天草一揆が武力でねじ伏せられて以後、武装蜂起は起きにくくなります(だから江戸中期から史料に「一揆」の文字列は登場しなくなります。「武装蜂起」は起きないからそのことについては書けなくなったわけです)。しかし民衆の運動は新しい形を取りました。集団的な訴願で、これを現在われわれは「百姓一揆」と呼んでいます。なお幕府の“定義”はこうです。「何事によらす、よろしからさる事に百姓大勢申合せ候をととうととなへ、ととうして、しゐてねかひ事くハだつるをこうそといひ、あるひハ申あハせ、村方たちのき候をてうさんと申、右類の儀これあらは、居むら他村にかきらす、早々其筋の役所え申出へし」(明和七年(1770)の高札)。「徒党」「強訴」「逃散」が定義されています(それぞれ処罰の対象です)。青木虹二は「百姓一揆」を「逃散・愁訴(手続きを踏んだ訴え)・越訴(おっそ、手続き的に違法な訴え)・強訴・打毀・蜂起」に分類しました。
現在膨大な量が各地に残されている村方文書の中には「訴訟文書」が多数存在します。これは村からの、年貢や賦役の軽減を願ったり救助米の下付を求めたりした、合法的な文書です(「愁訴」に相当)。困窮した百姓はまず「走り(個人的な逃亡)」となったり村ごとに合法的な手段で藩に訴え、それで状況が改善しないときに非合法的な手段を考えました。
17世紀の史料では、「蜂起」は前半に集中していて世紀後半には発生しなくなり、愁訴・越訴が増えて逃散が相対的に減少することが読み取れます。では「訴え出るのはそれだけで命がけ」という現代の理解は正しいでしょうか。たしかに「成敗」(死刑)となった例もありますが、実は例外もずいぶんあるようです(『徳川実紀』には、将軍や大御所への直訴がいくつも記載されていますが、百姓が入牢となったのは百姓の訴えが非の場合で、是の場合には将軍即決で代官切腹などの処置がされています。家光の日光参詣の道中は直訴の山で“交通整理”が大変だったそうです)。
鎌倉幕府は関東御成敗式目で年貢を完済した百姓の逃散を公認していました。徳川幕府も慶長八年(1603)の法で同様の規定をおいています。少なくとも17世紀まで「百姓」はけっこう強い存在だったようです。もちろん幕府はそれに対して規制を加えますが、慶長八年の規定を無視するわけにもいかず、「徒党禁止」で対応しようとします。それに対して百姓は集団で(それも大規模なものは藩全体の村が連合して)の強訴で自分たちの主張を通そうとします。しかし「強訴を規制する法体系」の整備は遅れ、その結果強訴に対する処置が異常に軽かったり異常に重かったりのアンバランスが生じました。法の整備が進んだのは18世紀になってからです。有名なのは明和七年(1770)の高札で「徒党・強訴・逃散の禁止、訴人の奨励」を明確に謳っています。
なお「義民」とか「将軍直訴で一族死罪」で有名な佐倉惣五郎は、19世紀のフィクションだそうです。ただし「義民」(民のために幕府や藩に抵抗した人)は、著者が確認しただけで500人はいたそうです。
本書の後半は「一揆の作法」についてです。違法な抗議行動に作法があるのか、と言えば、あるんですね。当時「百姓騒動の作法」と呼ばれていました。読んでその内容には驚きます。たとえば起請文では、費用分担の取り決めとか犠牲者に対する補償まで盛り込まれます。旗を立てますが、多くは布や紙で、筵旗は少数派のようです。あらかじめ村々に廻状を回しホラ貝や鉄砲などで出陣。成年男子は基本的に全員参加ですが、村を維持するために留守番も決めます。得物として、鉄砲や竹槍も持ちますが、鉄砲は武器ではなくて鳴り物、竹槍もそれで人が殺害されたことが知られているのは二件だけだそうです。(維新後の各地の一揆では、竹槍での死者が多数出ています) 騒動が暴走することは、騒動を起こす側にも好ましいことではなかったのです。
江戸時代の「一揆」の多くは、革命ではなくて、藩の小さな変革を願い出ることが主目的で行なわれる、一種の示威運動でした。ただ、暴走して「作法」を外れるものもありましたが。ただ、そういった「小さな変革」が積み重なることで、「百姓」に「人間」としての意識が生まれ、同時に藩の経営にはボディーブローのような影響が積み重なり、結果として藩幕体制が揺らぐ一因となった、というのが著者の考えです。江戸時代を、固定的にではなくて、ダイナミックに捉えるこういった種類の本は、私は大好きです。



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セクハラ

2010-11-18 18:48:14 | Weblog
「メタボ」の時にも同じことを思いましたが、「セクハラ」も日本に「ことば」としては定着しましたが、その「概念」はちゃんと定着したのでしょうか。
「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(男女雇用機会均等法)」でも「セクシュアル・ハラスメント」が扱われていますが、それは「暴行」「侮辱」「性行為の強要」などは従来の法律でも処理可能だけど、そういったものでは扱いきれないものに「セクシュアル・ハラスメント」という公式の名前を与えてこれからは公式に扱おう、という態度でしょう。すると「セクハラによってうつ病になった」といった訴えが生じる前の「セクハラが職場に横行している」段階で職場の責任者は何とかしなければならない、ということになるはずです(セクハラであろうと何であろうと「他人をいじめてうつにする」のは傷害ですから)。つまり、「セクハラによって○○が起きた」というのがニュースになっている間は、日本ではまだ「セクハラ」の概念はきちんと定着していない、というのが私の推論です。

【ただいま読書中】『シネマで法学』野田進・松井茂記 編著、 千葉恵美子・君塚正臣・五十川直行・井田良 著、 有斐閣ブックス、2000年、2800円(税別)

広島大学だったかな、心理学の授業に教材として映画を使う、と聞いたことがあります。たしかに映画には総合的にさまざまな要素が含まれていますから、心理学でも法学でも、適当な材料はいくらでもみつかることでしょう。
まずは「法学入門」。「法律は言語による社会統制」という基本的な記述から、「イル・ポスティーノ」「9時から5時まで」「レニー・ブルース」などがつぎつぎ“引用”されます。法律の世界の住人を扱う章では「依頼人」「法律事務所」「ペリカン文書」など。
単に映画話が展開されるのではなくて、「過失責任主義」「自力救済の禁止」「実体法と手続法の違い」などガチの法律用語の解説もしっかりあります。
そして話は「国家」へ。「チャップリンの独裁者」や「JFK」を使って、日本の憲法や選挙制度、国籍や所有権などについて真面目な話が続けられます。ちょっとこのへんは真面目すぎるな、とも私は感じます。
そもそもなぜ裁判が行なわれるかと言えば、多くの場合には「食い違う意見が複数あって」「それぞれが『自分は正しい』と信じている」からです。だからこそ争いが起きる。だから、単に「○○について」法的な解説をするだけではなくて、その食い違いについて浮き彫りにしてその狂言廻しとして映画を使うようにしたら、もっと「映画」が生きただろう、と私はちょっと残念に感じます。
それが「約束(契約)」の章になると、文章の調子が良くなります。ただ題材となる映画が「レオン」。殺し屋との約束は法的に有効なのか、という微妙な緊張をはらみつつ話は展開していきます。借金の章は「夜逃げ屋本舗2」。これはまあぴったりというか意外性がないというか。
労働の章では「ブラス!」「わが谷は緑なりき」「鉄道員」「ノーマ・レイ」「フィスト」……ここでまた口調は真面目に戻ります。サッチャー政策は結局成功したとは言えず、日本でも終身雇用が崩れたがその“先”は見えない時代の本です。ただ、「特に強みを持たない“ふつうの労働者”にとっては有利な展開はないだろう」と10年後の今を予想したかのようなことが書いてあります。そして登場するのが「フルモンティ」(失業したおっさんたちがストリップをする話)。
約束の中でも特殊なものが結婚の約束です。さあ、これは映画が目白押し。映画だけではなくて、本題の、結婚の要件、離婚の条件、財産について、内縁関係、フランスのPACS法(連帯関係を取り結ぶ市民協定)など、話題がてんこ盛りとなっています。
 親子関係ももちろん法が取り扱いますし映画も豊富です。出産・養育・教育・養子・親権・介護・介護保険・成年後見制度……さらに生と死に関して、医療・臓器移植・尊厳死・安楽死……ただこの章ではまた映画が後景に引いてしまい著者の主張のみが前面に押し出されます。主題の重さに負けてこの本のコンセプトを生かせていない章です。
正義の章は面白く書いてあります。『ハーバード白熱教室』でも正義の問題の複雑さが面白く示されていましたが、本書でも「正義」が単純ではないこと、その判断が難しいことが「評決のとき」「リップスティック」「39」などを題材に示されます。しかしこの章の末尾、熱心な弁護士の弁舌によって無罪を勝ち取れる、という感動的なラストは、金持ちが有能な弁護士を雇うことによって無罪を勝ち取る=正義を金で買う、にもつながる、という冷静な指摘は、さすが法学の本、と思えます。映画のラストで「ああよかった」で単純に終わらせてはいけない、と。やはり「正義」は複雑です。
本書では章ごとにばらつきがありますが、全体を通して、映画という「幻影」で、この世に定着している法学(法体制)が実は「共同幻想」でした、という印象を与えようとしているのかな、なんてことも思ってしまいました。映画よりは法学寄りのスタンスで書かれている、と最初から思って読めばまあまあ楽しめます。



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異文化

2010-11-17 18:25:39 | Weblog
ハリウッド映画などで有名俳優が麺を啜るシーンがあったら、日本人にとっては「ハリウッドスターがうどんを箸で食ってる!」という衝撃でしょうが、普通の欧米人にとっては「麺をずるずる音を立てて啜っている!」という衝撃でしょうね。どちらにしても「衝撃」を与えられたのだから、監督は満足でしょうが。

【ただいま読書中】『アースクエイク・バード』スザンナ・ジョーンズ 著、 阿尾正子 訳、 早川書房、2001年、1600円(税別)

「あたし」はルーシー・フライ。34歳。イギリスから東京に来てもう10年。現在の恋人は禎司。仕事は翻訳。チェロ演奏も少々。現在の身分は、殺人容疑者。友だちのルーシーの(ものと思われる)死体の一部が東京湾に浮かび、その失踪前夜に派手な喧嘩をしていたルーシーに嫌疑がかけられたのです。ただし彼女は「逮捕された」と言っていますが、これは任意同行のようですね。それなのにルーシーは一切の“抵抗”をしません。当然やってしかるべき自己防衛を放棄し、事情聴取を受けていてもほとんどまともな返答を返しません。警察官が発する質問の言葉の端々に触発されてルーシーの思いは過去に飛びます。東京で出会った禎司、ルーシー、そして自分自身のことに。それは回想であると同時に、「事情聴取をされている」という現状からの逃避であり、さらには何かもっと大事なことからも逃避するための“饒舌”のようでもあります。
8人兄弟の末っ子(それも上は全部兄)として生まれたルーシーは「変わり者」に育ちました。大学で日本語を学び故郷を捨ててふらりと日本に来るのですから、十分変わり者であるとは言えるでしょう(「君はStrangeだ」ということばにルーシーは衝撃を受けますが、そもそも彼女は「東京にいるStranger」なんですよね)。そして禎司との衝撃的な出会い。ルーシーとの苛立つ出会い。
ルーシーの人生には「死」がまとわりついています。兄のノア、そして日本で出会った趣味の仲間の死に直接的な責任があるのです。さらには、ちょっと妙な話ですが(ここでルーシーの口調にはためらいが忍び込んでいるように私には感じられます)彼女の初体験の相手の自殺にも。
ルーシーの眼に映る東京は、私が見る東京とほとんど同じもののはずなのに、ときにはまるで異世界のように感じられます。私自身、上京したら自分のことを異邦人だと感じることは良くありますが、やはりベースに日本語を使う文化を持っていることが、“ルーシー”とは違ったものを見せているのでしょうか。ルーシーと禎司が出会うきっかけとなったのは「汚れた水たまりに写る、とてもきれいな京王プラザホテル」でした。それと同様に、本書もまた「水たまり」となって「東京」を写しているようにも思えます。
さらにもう一つ“仕掛け”があります。ルーシーは「自分が聞いたことば」ではなくて「自分が聞いたと思っていることば」を私たちに提示します。もちろん私たちはそのように世界を認識しているのですが、わざわざそれを強調されると「では、ルーシーが認識したと思っていることばは、本当は違っていたのかもしれない」とこちらは思わされ、本の中の世界観がだんだんあやふやになっていくのです。警戒しながら読まなければなりません。
本書を分類するなら心理サスペンスなのでしょうが、それだけではありません。時に語り手は「あたしは」から突然「ルーシーは」と三人称にかわり、読者に緊張を強います。私は読んでいる途中で「まさかこれは夢オチになるのではないだろうな」なんてことまで思ってしまいました。それくらい話はきわどいところ(魔力を持つ視線、異文化、孤独、恋愛、家族に対する愛憎、そして殺人)をふらふらと進んでいきます。ただ、ルーシーに限らず、本書の登場人物が抱える孤独感と「自分はStrangerである」という感覚は、私の心に強く共鳴するものを持っています。そして、この作品が英国推理作家協会賞の最優秀新人賞を受賞したのは、そういった感覚が英国に住む人々の心にも響くものを持っていたからではないでしょうか。


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人間関係は難しい

2010-11-16 18:54:21 | Weblog
転倒事故で鎖骨を折ったのが1ヶ月前。経過は順調で右肩もだんだん動くようになってきました。バイクは結局廃車にしましたが、困るのが通勤です。今は家内に送り迎えをしてもらってますが、いつまでも“運転手つき”というわけにはいきません。で、車を物色し始めました。とんだ出費ですがしかたありません。通勤で動けばいいのだからできるだけ安いのを、と思って痛感したのが、自分の感覚が「昭和」のものだ、ということです。軽自動車は私にとっては「エンジンは360ccでボディの鉄板はぺこぺこ」なのですが、今は660ccで安全基準もしっかりしているんですね。で、お値段もしっかり、私の見当の1.5倍くらい。これだったら普通乗用車の中古が買えるじゃないか、と思ってしまいます。
ならば中古で程度の良いものを、と考えているのを親が聞いて「息子は中古しか買えないくらい貧乏なのか」と心配して「援助してやろう」と。いや、たしかに援助はありがたいのですが、この年になって親のすねをかじるのはやはり格好悪い。そう言うと「相続税を取られるくらいなら少しでも今のうちに……」 もしもし、お二人の財産、相続税の心配をするくらいの規模ではありませんよ。もちろん気持ちはとてもありがたいから、先方の面子を潰さないようにうまく気持ちだけをいただく手はないか、とこちらの夫婦で悪だくみ、もとい、相談中です。
骨肉の深刻な争いだったら嫌ですが、こういったことでもめるのは、楽しいことではあります。なかなか難しいものですが。

【ただいま読書中】『和算を教え歩いた男』佐藤健一 著、 東洋書店、2000年、1700円(税別)

江戸時代はじめ、算盤塾が各地で流行りました。その中で特に評判が良かったのが、算盤だけではなくて中国の数学も教えていた毛利重能(京都)です。その弟子に『塵劫記』の吉田光由、『堅亥録』の今村知商などがいました。そこからさまざまな流派が生まれます。その中で有名なのは関流ですが、その中の長谷川塾の俊才、山口和を本書では追います。
山口は文化十四年(1817)江戸から水戸街道に旅立ちました。本書ではその旅日記が紹介されます。
本書では折に触れ和算の問題が出題されます。たとえば「横二間半、縦六間、軒までの高さ二間の蔵がある。この蔵の中に米はいくら入るか」。容積を計算すると2.5×2×6で30坪(「坪」は「立方間」のこと)。これに当時の常識「一坪には米が36石」を当てはめると答えは「1080石」だそうです。そんな常識、知りへんがな。この旅の目的の筑波山詣でがすむと麓の村に腰を据えて弟子を取り数学を教授します。さらに東に向かい詣でた真鍋天王社で山口は算額を見つけます。
難しい問題が解けたことを神に感謝するため/研究発表として/宣伝のため/記録のため、各地の神社には和算の絵馬が奉納されました。最古の記録は寛文十三年(1673)武州目黒不動で算額を見た、という『算法勿憚改』の記述で、最古の現物は天和三年(1683)栃木県佐野市星宮神社のものです。結構高度な内容で、ピラゴラスの定理や高次方程式の解法などが扱われますが、実は実用目的もありました。酒屋が酒を仕込むとき「口の広さの直径が六尺三寸七分、底の直径が五尺八寸八分、深さが八尺一寸の酒樽の容積は?」という計算が必要になるのです。(ちなみに正解は、三七石五升一合だそうです)
山口は筑波山の次は鹿島神宮に参詣することにします。急ぎもせずぶらぶらと各所で弟子を取り教えながらの旅です。奥の細道の数学版といったところでしょうか。次々紹介されて弟子の所に泊まるから旅費はかかりません。謝礼でむしろ懐は豊かになる、という優雅な旅です。山口が江戸に帰ったのは一ヶ月後のことでした。
旅から帰って五ヶ月後の十一月、山口は再度旅立ちます。筑波山近くで正月を迎え、各所の弟子の面倒を見た後、山口は陸羽街道へ旅立ちます。目指すは奥州。ますます奥の細道風になってきます。芭蕉と違うのは、山口は各所で算額を眺めたり数学を教え、松島では絵を描いたこと。優秀な人間には江戸に出て長谷川塾で学ぶことを勧めたりしながら、山口は平泉から盛岡へ。さらに足を伸ばして八戸まで。そこでも弟子を取っているのですから“仕事熱心”なことです。恐山参詣後、奥州街道を西へ西へ。各所の温泉を楽しみながら、日本海側に出ます。「奥の細道」以後、東北の旅人が増えて街道が整備された、と聞いたことがありますが、それでも山口の旅路は大変なものだったのではないでしょうか。ともかく赤石村から日本海側を山口は南下します。芭蕉の時代には修業の場だった出羽三山(湯殿山、月山、羽黒山)は山口の時代には物見遊山の場になっていました。山寺から二口街道を通って仙台へ向かいます。山の測量や油分け算、絹糸の算法など、その土地その土地にふさわしい問題が紹介されて読者を退屈させません。結局山口が江戸に帰ったのは出立から十一ヶ月後のことです。
江戸時代の旅が、封建時代というわれわれの先入観からは信じられないくらい“自由”なものだったことはこれまでにもいろいろな本で読みましたが、こうして数学者までが自由に旅をして回ることができるのは、ある意味「文化」にとって幸福な時代と言えるのではないか、とも思えます。江戸時代が暗黒時代って、誰が言ったんでしたっけ?


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街頭ドラマ

2010-11-15 18:40:26 | Weblog
「人は一冊の本なら書ける」ということばがあります。同様に、自分の人生そのものを素材に実況中継することが可能になるかもしれません。映画「トゥルーマン・ショー」ではセットや人件費などに莫大なコストがかかっていましたが、将来放送コストがとてつもなく安くなってチャンネル数が莫大となったら、ケーブルテレビの一つのチャンネルをたとえば「おかだのチャンネル」と名付けて、ずって延々私の人生を放送し続けることが可能になりそうです。「つぶやき」じゃなくて「私の人生の見せびらかし」。見たい人がいるかどうかわかりませんけれどね。

【ただいま読書中】『火星人ゴーホーム』フレデリック・ブラウン 著、 稲葉明雄 訳、 早川書房、1969年

1964年、火星から緑色の小人が地球にやってきました。辛辣で嫌みで地球人のことを劣等種族と侮蔑的に馬鹿にし追い出そうとしてもすべての物質はその体を通り抜け火星のことについては情報を全然漏らさない連中が……約10億も。しかも彼らの前には「秘密」は存在しません。金庫の中の書類でさえあっさり読んでしまうのですから。しかも彼らは、その「秘密」を喜んで広言します。それを人間が嫌がれば嫌がるほど熱心さは倍加します(非常に不真面目なwikiLeaks(のようなもの)です)。
地球は大混乱。テレビやラジオは火星人の妨害によって生放送が不可能となり、娯楽産業の没落によって不景気の嵐が地球上のすべての地域を襲います。軍事機密も存在しません。秘密が保てないから組織犯罪は不可能。しかし激情による犯罪がとんでもなく増加して、警察や刑務所は息も絶え絶えです。好景気なのは、精神分析医・葬儀屋・酒場…… 科学者は頭を抱えます。物理的には存在しないはずの火星人が、目で見ることが可能で(光を反射する)さらに言葉を発する(音波を発することができる)のですから。
SF小説家のルークは、離婚調停中でしかもスランプ。丸木小屋にこもってなんとかむりやり作品Mをひねり出そうと苦闘しているときに、火星人が闖入してきます。そしてそれによってSF小説というジャンルも消滅。ルークは失業者の群れに加わることになります。しかしそこで運命の急転。地球上に溢れている火星人を「見ることも聞くこともできない」というきわめて珍しいタイプのパラノイアになってしまったのです。ルークは、地球上でただ一人火星人に煩わされずにすむ人間として、スランプを脱し、快調に西部小説を書き始めます。
人々は火星人を追い払うためにさまざまな努力をします。国連事務総長は命を賭けての大演説を行ない、アフリカの呪術師は盛大な秘儀を行ない、アメリカのアマチュア科学者は特殊な装置を組み立てます。そしてルークは……
「火星人」の正体は一体何か、何のメタファーなのか、と真剣に考えるのも良いですし、地球全体で繰り広げられる大騒ぎを無責任に楽しむのもありでしょう。古典的なSFですが、風刺ものとも読めて(その場合には火星人が何のメタファーなのか、が何を風刺しているのかに関係してきます)とにかく楽しい時間が過ごせます。



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かつての栄光

2010-11-14 18:41:44 | Weblog
この前何気なくザッピングしていた映ったテレビショッピング。売り子をやっていたのが元大スターでした(名前は伏せます)。見ていてちょっと悲しい気持ちになってしまいました。別にファンだったというわけではないのですが、一つの時代(私が若かった頃)が終わってしまったのを見せつけられたような気がしたものですから。かつてJ1でばりばりやっていた選手をJ2やJFLで見つけたときにも同様の感覚を持ちますが、これはおそらく余計なお世話でしょうね。「自分が必要とされる場」があればそこで現在の自分が発揮できる最高のパフォーマンスを発揮する、のは、プロとしては当然のことなのでしょうから。そしてそれは、自分自身にも言えることのはずです。

【ただいま読書中】『ヨーロッパ文化と日本文化』ルイス・フロイス 著、 岡田章雄 訳注、 岩波文庫(青459-1)、1991年、398円(税別)

「われわれは……。日本人は……。」「われわれは……。かれらは……。」という単純な文章だけで構成された、日欧(厳密には当時のポルトガル?)文化比較の書物です。
著者は、私にとっては、織田信長を目撃した生き証人ですが、本書には信長のことは出てきません。ただひたすら「われわれは……日本人は……」です。私としては「日欧の比較」も興味深いものではありますが、それと同時に「日日比較(昔と今の日本の比較)」もまた同様に興味深いものでした。
衣服やヘアスタイルのような目立つところから、住居環境、風習など、「対比」を目的としているためかちょっと誇張もありますが、よくもまあこれだけ広く日本社会を観察したものだ、と感心します。
夫婦が歩くとき、西洋では夫が前・妻が後なのに日本では逆、というのはちょっと不思議な気がします。また、財産は夫婦共有ではない、というのも面白く感じました。妻が死ぬと妻の財産は実家の相続者の元に戻されるのだそうです。また、堕胎や嬰児殺しが一般的に行なわれていますし、殉死のかわりに自分の小指を切断して火葬の炎に放り込む風習もあったそうです。時の数え方はすでに江戸時代と同じ、真夜中が六つで2時間ごとに一つづつ減っていくカウント方法です。刺身も広く食べられています(つけたのは醤油では無いでしょうが、薬味などについては触れられていません)。聖像や護符を、西洋は室内に安置するのに日本では門口に釘付けする、ということも書かれていますが……あれれ、『ファウスト』にはドアの上に釘付けされた護符が登場しましたが、西洋での風習はこのあと変わっていったのでしょうか。
私が特に興味深かったのは「名誉」や「恥」の概念の比較の所です。「女性の純潔」は当時の日本では「何それ?」でした。「貞女は二夫に見えず」は日本社会では“生きて”はいなかったのです。訳注によれば、「女性の純潔」概念はむしろこのとき日本に宣教師によって持ち込まれた、のだそうです。そういえば『イエズス会士中国通信』でも『日本通信』でも、ヴァージニティを強調する宣教師に地元民たちがショックを受けるシーンが繰り返し登場しましたっけ(清ではそれが理由で教会襲撃が行なわれたりしています)。離婚も、ヨーロッパでは「女性の汚点」ですが日本では「何それ?」でした(有名な三行半も、結局中身は再婚許可証ですからねえ)。
男の方では、「(主君に対する)叛逆」や「変節」が日本では堂々と行なわれている(そしてネガティブな評価を受けていない)ことに著者はショックを受けています。戦国時代ですから「生き残ること」が至上命題だった、ということでしょう。そうそう、泥酔しての醜態も日本では肯定的に扱われることも著者にはショックだったようです(そういえば『日本通信』にも日本人の呑兵衛ぶりが否定的に書かれていましたね)。
あれれ、もしかして戦国時代の日本の「恥」の概念って、フリーセックス・変節・泥酔などの点では今とそれほど違わない?


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外国人知的労働者

2010-11-13 18:36:23 | Weblog
知的労働者というと漠然としているので、いちばんわかりやすい例で科学系のノーベル賞受賞者で考えてみましょう。1)日本で生まれ育って日本で研究した人。2)日本で生まれ育って外国で研究した人。3)外国で生まれ育って日本で研究した人。「日本」に関係する受賞者で、このどれが多いでしょうか。きちんと数えてはいませんが、おそらくその数は、1>2>3の順ではないでしょうか(数え方によっては1と2が逆転するかも知れません)。だけど、「日本」という国がもっともっと発展するためには3)を増やすようにした方が良いはず。そうすれば、おそらく3)の増加にほぼパラレルに1)も増加するはずです。日本の研究環境が世界のトップクラスを引き寄せるくらい魅力的、ということなのですから(最初から1を増加させる、というやり方もありますが、外国人を引きつけない研究環境は結局「世界に通用する研究成果」を生みだしづらいもののはずです)。そして、21世紀の情報化社会では、ノーベル賞の数だけではなくて、知的労働者の質と量がおそらく世界の国々を勝者と敗者に分けるキーとなるはずです。
私の推論、どこか大穴が開いています?

【ただいま読書中】『ジャングル・ブック』R・キップリング 著、 木島始 訳、 福音館古典童話シリーズ23、1979年

ジャングルの奥、シオニーの丘に住む狼一家は、裸の人間の赤ん坊を見つけ、育てることにします。それに反対するのは虎のシアカンや山犬のタバキ。賛成するのは熊のバルーと黒豹のバギーラ、そして狼の一族。子供はモーグリ(かえる)と名付けられ、狼たちと一緒に育ちます。彼の家庭教師はバルー。バルーは厳しく「ジャングルの掟」をモーグリにたたき込みます。
しかし、モーグリが人間の世界に帰らなければならない日がやってきました。モーグリは自分自身の中に存在する“ジャングル”から自分自身を閉め出し、丘の巣から立ち去ります。人間の言葉と習慣を覚え、モーグリは「人間」として生きようとします。しかし、彼をジャングルから追い出す原因となった虎のシアカンとの戦いによって、モーグリは人間社会から追放されてしまいます。「悪魔」として。さらにモーグリを養子とした夫婦まで悪魔の仲間として火あぶりになろうとします。怒ったモーグリはジャングルの仲間たちを率いて村人に戦いを挑みます。いつの間にかモーグリは「ジャングルのかしら」になっていたのでした。
かしらとしてモーグリは「よい狩り」を行ないます。デカンから大挙してやって来た赤犬の襲撃からジャングルを守ります。しかし思春期を迎えたモーグリを呼ぶ声は人間世界からのものでした。
モーグリの忠実な味方は、一緒に育った狼の家族・黒豹・熊・巨大なニシキヘビなど多彩ですが、意外にも同じ群れであるはずの狼はそれほどモーグリに忠実ではありません。「群れ」として一致団結しているのは、モーグリの敵役として登場する(そして大量に虐殺される)猿や赤犬です。著者はもしかしたら、「同種の団体の一致団結」があまり好みではなかったのかもしれません。
「イギリス人」がある種絶対的な「善」として描かれているのに私は苦笑しますが、これは「時代」と「舞台」を考えたら仕方ないことでしょう。それよりも、「ジャングル」と「人間社会」との間で引き裂かれるモーグリの姿に、どうしてこんなに私は引きつけられるのだろう、と思います。私自身もその一部は「ジャングル」に住んでいるとどこかで思っているのかもしれません。




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ゲーテとファウスト

2010-11-12 18:34:53 | Weblog
ゲーテは二十代半ばに「原ファウスト」を書き、41歳で「ファウスト断章」を発表(1790年)、さらに加筆して59歳の1808年「ファウスト第一部」を刊行しました。第二部はなんと82歳(死の前年)です。彼の一生は「ファウスト」のためにあったのでしょうか。

【ただいま読書中】『ファウスト 第一部』ゲーテ 著、 池内紀 訳、 集英社、1999年(2000年第3刷)、2200円(税別)

まず、座長、座付き作家、道化の3人が登場。どうやって小屋を客でいっぱいにしどうやって満場の喝采を得るかに知恵を絞ります。普通の芝居だったら一人で行なう口上を3人がかりで「開演前」と称して劇中劇のような形で行なってくれます。しかし3人の話はもつれます。詩人の魂とエンターテインメント、若さと老い、さらには観客に対する侮蔑まで。
何はともあれ、開幕です。
三人の天使の合唱をバックに、主とメフィストフェレスが賭をします。下界のファウストを“何とか”できるかどうか、の。……『失楽園』(ミルトン)で、神とルシファーがアダムとイブをゲームの駒のように扱う態度に私はあきれましたが、こういった「全能の神」が悪魔と馴れ合っている(「人間」で遊ぶ)という感覚は、近代のヨーロッパでは常識的なものだったんですかねえ。なんとなく冒瀆的に私には思えるのですが。
ファウストは当時の大学での学問(哲学、法学、医学、神学)を究めた大学者、そして欲求不満だけが残っていました。そこへメフィストフェレスが登場。手を変え品を変え、さまざまな手管で知的な誘惑を試みるメフィストを上手くあしらっているつもりだったファウストは、その過程で少しずつ自分自身の心の奥底を覗きこんでしまいます。上手く隠していたと思っていた自分の欲望に気づくのです。ついに二人は握手をします。条件は一つ。ファウストがつい「時よ、とどまれ、おまえはじつに美しい」と言ったら賭けはファウストの負けです。もっとも、賭けだと思っているのはファウストで、メフィストフェレスは「契約」だと思っているようです。だから「血の署名をした紙切れ(契約書)」を求めます。ただ、契約にしては、条件はずいぶんアバウトだし期限も定められていません。もしもファウストがくだんのセリフを言わなければ、彼は不死を手に入れることになってしまいかねません。二人はその危うさがわかっているのでしょうか。
魔女の薬で若返り(さらに簡単に恋に落ちるような細工を受け)、ファウストはたまたますれ違ったマルガレーテと恋に落ちます(というか、恋に落ちたのはファウストで、メフィストフェレスがぶつぶつ言いながらいろいろ努力してマルガレーテの心をファウストに向けるようにします)。しかし二人の密会の場がマルガレーテの自宅で、隣で寝ている母親には睡眠薬を一服盛ってから、というのは、なかなか大胆です。その結果は、もちろん妊娠。そしてそれで罰せられるのは、マルガレーテです。ワルプルギスの夜の狂宴のあと、場面は牢獄へ。そこには嬰児殺しで捕えられ気が触れたマルガレーテが鎖につながれています。取り戻した若さに高揚し好き放題やってみたファウストの“犠牲者”ですが、ワルプルギスでのマルガレーテの幻影が「死」を暗示していたのに対し、現実の彼女は「罰」の姿になっています。この罰は、マルガレーテが受けているのでしょうか、それとも、ファウスト? たとえこのあとファウストがひどい目に遭うとしても、マルガレーテの扱いがひどいじゃないか、と思えます。『罪と罰』じゃないんですから。

こうして原作を読んでみると、手塚治虫の「ネオ・ファウスト」が傑作であることがよくわかります。「ファウスト」をいったいどんな咀嚼消化をしたら「ネオ・ファウスト」に翻案できるのか……あまり好きな言葉ではありませんが、「手塚治虫は天才だ」と言うしかないのでしょう。



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四百年堤防

2010-11-11 18:36:54 | Weblog
国交省が予算請求で「一年で造るから十二兆円下さい」と言ったら、どうします?

【ただいま読書中】『夢見る宝石』シオドア・スタージョン 著、 永井淳 訳、 早川書房、1969年

養父に虐待されて家を出た8歳の少年ホーティは、カーニヴァルにまぎれ込みます。持ち物は子どもの頃からずっと持っているびっくり箱(中の人形の両目が、きらきらときれいです)。失ったのは左手の指3本(養父のせいです)。奇形者などにまじり、ホーティは小人のふりをして過ごしますが、その何年か、彼は本当に成長が止まっていました。指が再生したこと以外には。
カーニバルのボス「人食い」は不思議な「水晶」の存在を知っていました。おそらくは地球外の生命体で、地球の生命に影響を与えて奇形を生みだす能力を持っています。それは水晶の夢。夢から生まれた異形のもの。
ホーティはカーニヴァルから逃げ出しますが、また「人食い」に捕まってしまいます。そして、静かで激しい闘争。
蟻を食べることで始まった物語は、蟻酸をなめることで閉じます。
本を閉じて感じるのは、実際にカーニヴァルの中を熱に浮かされながら歩き回ったような感覚です。スタージョンのことばはそれ自体が宝石のようなきらめきを持っていますが、それで「宝石の夢」を語ってくれるのですから、私の脳が熱を持つのは仕方がないことでしょうが。