【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

きれいな発音

2010-11-23 18:10:19 | Weblog
NHK「坂の上の雲」(1~5)の再放送があったので見ていて、昨年は見逃していたことをいくつか発見しました。その一つが「Englishの発音」です。帝大入学を目指す秋山真之と正岡子規に英語を教える教師がアメリカ留学経験を持つ高橋是清なのですが、その授業シーンの直後、横浜で出会った軍人のしゃべる英語の端正なこと。ちょっと鼻にかかった響きなのにことば自体は明快で「あれ、何が違うかわからないけれど、明らかに違うぞ」と思っていると、高橋是清が「さすが、クイーンズイングリッシュ」と。なるほど、これが(米語ではない)「英語」なんですね。
最近通勤中にラジオ基礎英語のCDを聞く時間が増えているのですが、聞き流しているだけでも少し私の耳も英語に慣れてきているのかもしれません。もう少し鍛えたら、聞いた瞬間「さすがクイーンズイングリッシュ」とか「これはオーストラリア」とか「南部の出身ですか?」とか言えるようになるのかな? というか、日本の「英語」教育って、「どこの英語」を教えているんでしたっけ?

【ただいま読書中】『ヘレン・ケラー自伝』ヘレン・ケラー 著、 今西祐行 訳、 講談社火の鳥伝記文庫、1981年、620円(税込み)

「三重苦」「奇跡の人」とか「ウォーター!」とかがあまりに有名で、私は実はそれ以外のことを知りません。だから本書を読んでみることにしました。
ヘレン・ケラーは美しい自然に恵まれたアラバマ州タスカンビアの豊かな家に生まれました。しかし生後19ヶ月で熱病にかかり、視力と聴力を失います。手真似と全身を使ったジェスチャーで自分の意志を伝えようとしますが、それがうまくいかないときにはかんしゃくを起こしました。いたずらも大好きで、母親が食料部屋にいるときに外から鍵をかけたり、後日サリバン先生がやって来たときには彼女を部屋に閉じ込めて鍵を隠してしまい、父親が外からハシゴをかけて救出したり、といったこともやっています。
成長するにつれ、相手に伝えたいことが増えます。しかしわずかな手真似とジェスチャーでは不十分。ヘレンはかんしゃくを起こし獣のように暴れ回ることが増えていきました。困り果てた両親は、ボルチモアの眼科医を頼ります。眼科医にできることは残念ながらありませんでしたが、彼はアレキサンダー・グラハム・ベル博士を紹介してくれました。博士は、電話だけではなくて障害者のしゃべり方の研究でも知られていたのです。家族はワシントンに向かいます。そこでベル博士から紹介されたのがパーキンズ学院。父親はさっそくアナグノス院長に手紙を書きます。半月後、適当な先生が見つかったという返事が来ました。1886年夏のことです。そして、サリバン先生がタスカンビアにやって来たのは翌年3月3日、ヘレン・ケラーが6歳9ヶ月のことでした。
会った日にサリバンはヘレン・ケラーに人形を渡し、遊ぶヘレンの手に「DOLL」と綴りました。ヘレンはその「遊び」が気に入ります。ただしヘレンはそれが「文字」であることも、すべてのものには名前があることも知らずに、ただサリバンの真似をしているだけでした。布製の人形も陶器の人形も「DOLL」であることが理解できなかったのです。かんしゃくを起こして陶器の人形を粉々に壊したヘレンを、サリバンは井戸に誘います。片手にポンプから吐き出される水、もう片手に何度も書かれる「WATER」。しばらくの後、一瞬でヘレンは「自分の外側に世界が存在すること、世界には“名前”が満たされていること」を理解します。喜びに満ちあふれて庭のあちこちで「これは?」「これは?」と名前を尋ねた後、ヘレンは部屋に帰ってさっき壊した陶器人形のカケラを探します。自分が「DOLL」を壊したこと、そしてそれがもう元には戻らないことを理解したのでした。
身の回りの名前を次々覚えることからヘレンの教育は始まりました。では形のないものについては? たとえば「考える」をどう教えたらよいでしょう。サリバンの方法はシンプルで効果的です。私は感心しました。さすがに「愛」は長い説明をしていますが。
88年にヘレンはボストンのパーキンズ学院に入学します。そこで初めてヘレンは自分の“同類”に出会いました。口で話をすることを学び始めたのは90年。教師の唇や舌に触れてその動きを真似ての発音練習です。時間はかかりましたがヘレンは口話法を身につけます。ただし、話を“聞く”ときには相手の口に手を当てるよりも指話法の方が手っ取り早かったそうです。
やがてヘレンは自分の生い立ちについて書き始めます。12歳の時でした。教育は進みます。数学は幼いときから苦手でしたが語学には天分があったようで、聾学校でラテン語・ドイツ語・フランス語などを学んでいきます。そしてケンブリッジ女学校。ここは普通の学校のため、サリバンが“通訳”としてずっと付き添いました。「目が見える友人」もできます。彼女らと一緒にラドクリフ大学に入ろうとヘレンの努力は続きます。ドイツ語、フランス語、英語、ギリシア・ローマ史、代数、幾何、天文学、物理学、ギリシア語、ラテン語……一つ一つの試験をクリアし、1900年にヘレンは大学に入学します。
ヘレンが困ることはたくさんありましたが、その一つが点字の教科書がないことでした。それまでそういった“需要”がなかったからでしょう。サリバンや友人たちが点訳をしてくれましたが、なかなか授業の進行には間に合いませんでした。ただ、ヘレンの苦闘は個人的なものではありませんでした。彼女によって社会に“道”ができたのです。
好きな本は点字がすり減るほど読む、というのには共感しますが、夜空に月が出ているとそれを感じる、とか、雨の日の木の幹に触れて感じる不思議な歌声の話には、「感覚がやはり違うのだろうか」と思えます。やはりヘレン・ケラーは世界を私とは違うやり方で捉えているのです。
そうそう、サリバン(アン・マンズフィールド・サリバン)が、貧しい移民の子、視力障害を持つ不良少女だった、ってご存じでした? それが、偶然パーキンズ学院に入って“優等生”に生まれ変わり、手術が成功して視力も得て踏み出した人生の第一歩が、タスカンビアのケラー家だったのです。



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