【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

オリーブの木

2010-11-10 18:36:06 | Weblog
パレスチナでは「オリーブの木」には、その実が実用的に役立つだけではなくて、その木の存在そのものが、その人とその人の家族や先祖に対して特別な意味があるそうです。家族やアイデンティティのシンボルと言えば良いのかな。
そういえば、イスラエル人入植者などによって大量に切り倒されたオリーブの木をパンフルートとして再生させる運動が日本でありましたっけ。「自分たちのアイデンティティ(=オリーブの木)を破壊された怨念」を、なんとか平和の方向に向けられないか、という試みでしょう。

【ただいま読書中】『レクサスとオリーブの木 ──グローバリゼーションの正体(下)』トーマス・フリードマン 著、 東江一紀・服部清美 訳、 草思社、2000年、1800円(税別)

下巻は「マクドナルドと戦争」の命題「1999年の時点で、マクドナルドを有する任意の二国は、それぞれにマクドナルドができて以来、互いに戦争をしたことがない」で始まります。残念ながら著者のその発見直後にUSAのセルビア爆撃がありましたが、著者の主題は「戦争」ではなくて「マクドナルド」が象徴するもの(マクドナルドのチェーンを維持できるくらい中流階級が現われる国は、戦争よりはハンバーガーを求めて行列する方を選択する)の方にあります。なおこの「マクドナルド理論」には、モンテスキューやノーマン・エンジェルという“先例(自由貿易を盛んにする国は、戦争を好まない)”があるそうです。マクドナルド化はグローバル化の一種ですが、それは戦争を起こす要素(トゥキュディデスが述べた「名誉」「恐怖」「利害」)を消滅させるわけではなくて、戦争をしたくなる時の障壁を高くするだけです。そして人を戦争に走らせる要素は「オリーブの木(個人が一つの地域に根ざしていること)」によってもたらされるのです。おっと、著者は慎重に「内戦」を除外しています。マクドナルド化を好む人と好まない人との間では、紛争が激化する可能性があるから。
冷戦時代には、イワン(ソ連)とアンクル・サム(USA)が“チェス”をしていました。しかしグローバル化の世界ではプレイをするのは投資家集団、やるゲームは“モノポリー”です。そこでは軍事紛争は忌避されます(さっさと投資は引き上げられ、だから地域紛争は“ゲットー化”されるようになりました)が、地域経済危機はすぐにグローバル化します。
さらにグローバル化は、経済だけではなくて文化にも及びます。「あ、マクドナルドがアメリカにもある」と叫ぶ子供を生みだすのです。しかし、環境保護で重要なのは生物種の多様性であるのと同様に、文化でも地域ごとの多様性が重要です。でなければ、人は“根無し草”になってしまいます。
アメリカ人から見たら「アメリカ化」と「グローバル化」の区別は容易だが、他国民からは同じこと、という指摘も重要でしょう。だからこそ“他国民”は「なんでアメリカ化を押しつけられるんだ」と苛立つのですから。ただそういった“反動”が成功する可能性はきわめて低い、と著者は考えています。グローバル化に対する最大の脅威はむしろグローバル化そのものに内在しています。グローバル化があまりに過酷な要求をしたために大国がそれに耐えきれなくなった場合、逆にグローバル化があまりに成功してしまった場合、それから、それから……
なお、日本は、一党独裁・エリート官僚による支配・権力に従順なマスコミ・従順な国民、という、「世界で唯一成功した共産主義国家」でした(私は共産主義じゃなくて「社会主義国家」だと思ってます。そういえば、本書には書いてありませんが、物価の国家統制(米とか医薬品)もありましたね)。それに自由市場での成功(巨大な黒字)が組み合わさることで1992年までの日本の“成功”がもたらされました。今は停滞しているが、やがてまた日本はまたおそろしい経済力を取り戻すだろう、と著者は予測します。ただしそのためには「痛みを伴う変革(共産主義的な部分の破壊)」を経る必要がありますが……って、これは10年前の本ですよね。今、どうなってましたっけ?
さらに著者の辛辣な視線はアメリカにも向けられます。「税金・銃規制・福祉・市場への干渉などを嫌う共和党議員」に「アフリカは君たちの楽園だ。リベリアでは誰も税金を払っていない。アンゴラには銃規制がない。ブルンジには社会福祉はない。ルワンダには市場に干渉できる大きな政府はない」と。……しかし、それらの国の人たちは、まさに“それ”を求めていたのでした。自分たちの生命の安全と生活の安心を得るために。つまり共和党議員は、グローバル化の恩恵をこうむっていながらそれを否定しているのです。そういった態度は共和党には限らないのですが(実例がたくさん挙げられます)。
私たち個人には「オリーブの木」がそれぞれ必要です。そして世界は「レクサス」を求めています。その両方を求めそのバランスを上手く取ること、それを著者は世界に求めています。なかなかきわどい要求ですが、それが上手にできたとき、私たちは「レクサス」に乗って自分の「オリーブの木」のところに出かけることができるのでしょう。



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