【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

セクハラ

2010-11-18 18:48:14 | Weblog
「メタボ」の時にも同じことを思いましたが、「セクハラ」も日本に「ことば」としては定着しましたが、その「概念」はちゃんと定着したのでしょうか。
「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(男女雇用機会均等法)」でも「セクシュアル・ハラスメント」が扱われていますが、それは「暴行」「侮辱」「性行為の強要」などは従来の法律でも処理可能だけど、そういったものでは扱いきれないものに「セクシュアル・ハラスメント」という公式の名前を与えてこれからは公式に扱おう、という態度でしょう。すると「セクハラによってうつ病になった」といった訴えが生じる前の「セクハラが職場に横行している」段階で職場の責任者は何とかしなければならない、ということになるはずです(セクハラであろうと何であろうと「他人をいじめてうつにする」のは傷害ですから)。つまり、「セクハラによって○○が起きた」というのがニュースになっている間は、日本ではまだ「セクハラ」の概念はきちんと定着していない、というのが私の推論です。

【ただいま読書中】『シネマで法学』野田進・松井茂記 編著、 千葉恵美子・君塚正臣・五十川直行・井田良 著、 有斐閣ブックス、2000年、2800円(税別)

広島大学だったかな、心理学の授業に教材として映画を使う、と聞いたことがあります。たしかに映画には総合的にさまざまな要素が含まれていますから、心理学でも法学でも、適当な材料はいくらでもみつかることでしょう。
まずは「法学入門」。「法律は言語による社会統制」という基本的な記述から、「イル・ポスティーノ」「9時から5時まで」「レニー・ブルース」などがつぎつぎ“引用”されます。法律の世界の住人を扱う章では「依頼人」「法律事務所」「ペリカン文書」など。
単に映画話が展開されるのではなくて、「過失責任主義」「自力救済の禁止」「実体法と手続法の違い」などガチの法律用語の解説もしっかりあります。
そして話は「国家」へ。「チャップリンの独裁者」や「JFK」を使って、日本の憲法や選挙制度、国籍や所有権などについて真面目な話が続けられます。ちょっとこのへんは真面目すぎるな、とも私は感じます。
そもそもなぜ裁判が行なわれるかと言えば、多くの場合には「食い違う意見が複数あって」「それぞれが『自分は正しい』と信じている」からです。だからこそ争いが起きる。だから、単に「○○について」法的な解説をするだけではなくて、その食い違いについて浮き彫りにしてその狂言廻しとして映画を使うようにしたら、もっと「映画」が生きただろう、と私はちょっと残念に感じます。
それが「約束(契約)」の章になると、文章の調子が良くなります。ただ題材となる映画が「レオン」。殺し屋との約束は法的に有効なのか、という微妙な緊張をはらみつつ話は展開していきます。借金の章は「夜逃げ屋本舗2」。これはまあぴったりというか意外性がないというか。
労働の章では「ブラス!」「わが谷は緑なりき」「鉄道員」「ノーマ・レイ」「フィスト」……ここでまた口調は真面目に戻ります。サッチャー政策は結局成功したとは言えず、日本でも終身雇用が崩れたがその“先”は見えない時代の本です。ただ、「特に強みを持たない“ふつうの労働者”にとっては有利な展開はないだろう」と10年後の今を予想したかのようなことが書いてあります。そして登場するのが「フルモンティ」(失業したおっさんたちがストリップをする話)。
約束の中でも特殊なものが結婚の約束です。さあ、これは映画が目白押し。映画だけではなくて、本題の、結婚の要件、離婚の条件、財産について、内縁関係、フランスのPACS法(連帯関係を取り結ぶ市民協定)など、話題がてんこ盛りとなっています。
 親子関係ももちろん法が取り扱いますし映画も豊富です。出産・養育・教育・養子・親権・介護・介護保険・成年後見制度……さらに生と死に関して、医療・臓器移植・尊厳死・安楽死……ただこの章ではまた映画が後景に引いてしまい著者の主張のみが前面に押し出されます。主題の重さに負けてこの本のコンセプトを生かせていない章です。
正義の章は面白く書いてあります。『ハーバード白熱教室』でも正義の問題の複雑さが面白く示されていましたが、本書でも「正義」が単純ではないこと、その判断が難しいことが「評決のとき」「リップスティック」「39」などを題材に示されます。しかしこの章の末尾、熱心な弁護士の弁舌によって無罪を勝ち取れる、という感動的なラストは、金持ちが有能な弁護士を雇うことによって無罪を勝ち取る=正義を金で買う、にもつながる、という冷静な指摘は、さすが法学の本、と思えます。映画のラストで「ああよかった」で単純に終わらせてはいけない、と。やはり「正義」は複雑です。
本書では章ごとにばらつきがありますが、全体を通して、映画という「幻影」で、この世に定着している法学(法体制)が実は「共同幻想」でした、という印象を与えようとしているのかな、なんてことも思ってしまいました。映画よりは法学寄りのスタンスで書かれている、と最初から思って読めばまあまあ楽しめます。



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