先週末、再びボランティア活動に行って来ました。
昨年9月に岩手に行って以来の災害活動ボランティア。ここで、仕事のスケジュールとボランティアバスの運行日程がようやく合致。
保育園の親子遠足終了後、再び荷物をまとめて東北へ向かいました。
向かった先は、宮城県の気仙沼市。
気仙沼港エースポートからフェリーに乗り、25分ぐらい行った所に大島と言うところがあります。
東日本大震災の際には船等が流されて孤立してしまったために、アメリカ軍の支援が入ったと言うお話も伺いました。
ここで5月27日に行われた、『気仙沼大島ランフェスタ』にスタッフとして参加してきました。
今までのボランティアはどちらかと言えば瓦礫の撤去などの作業をするのが多かったのですが、今回はイベントのお手伝いと言う今までとはちょっと違ったボランティア。
夜行バスで道中何度か休憩。その都度外に出てちょっと運動してまたバス車内で寝て…の繰り返しで、朝の5時過ぎ(たぶん)には岩手・一関に到着。
道の駅で休憩がてら早い朝食と洗面を済ませて、そこから進路を東へ。6時半前には気仙沼に到着し、そこからフェリーに揺られること25分、ようやく今回の目的地の気仙沼大島に到着しました。
今回のボランティアに行く前の事前研修会で聞いた話だと、活動内容はエイドステーションに入る、ランナーの誘導、コース上の交通整理など。
現地で最終確認をすると言う話でしたが、当日現地スタッフからの説明でもやる内容は同じ。私に割り当てられた担当はコース上に設けられた進入禁止箇所に立ち、コース上に自動車とかが入ってこないようにすることでした。
元々そんなに交通量も多くなく、例年つばきマラソンと言うのを開催していましたので、島民の方々もそこは承知していたと思われます。なので、割り当てられた仕事は片手間に、走るランナーの声援が主な感じでした(笑)
参加ランナーも1200人ほど。いかにも私、ランナーです!って方もいれば、コスプレしている人もいらっしゃいました。
中には夫婦(カップルだったか?)で仮装している人も。2人して幼稚園児になっていました(笑)
10時にスタートして、12時30分過ぎまで行われたマラソン。沿道にいたスタッフや島民の方とハイタッチしながら走るランナーもいました。
そんな私もランナーに声をかけ続けていました。気づいてくれた人が私の元に近寄り、ハイタッチしてくれたり。一人一人にハイタッチしにいくランナーの方もいらっしゃいました。
走る方も、沿道から応援する方も楽しく、あっと言う間に時間が過ぎました。『楽しむことが支援になる』まさにそのとおりだったなと思います。
大島もまだ復興の途中。島内にはまだまだ津波の爪痕はたくさん残されていましたし、瓦礫の山や車の山々。
倒れたままの電柱や土台しか残らなかった家、舗装がはげたままの道路、更地。そんな場所がまだたくさんありました。
大島に住む住民の方からも少しお話を伺う機会もありました。ちょうど私の担当していたマラソンコースのその場所も、津波が押し寄せて来た場所だったこと。
私が立っているその場所まで津波が来た、その手前にあった(住民の)家は波に流されてしまったと。
でも、マラソンのために島外の人や県外の人まで来てくれる、本当にありがとうとおっしゃっていました。
雲一つない晴天で、外にいるには暑くて厳しいような天気でしたが、そのおばあちゃんはずっと沿道で声援を送っていました、『ありがとう』って。
レースも終わって、後片付けをして昼食をとって。
説明会の時には、自己完結できるように昼食も自分たちで用意しようと言う話になり、一関で買っていったのですが、現地スタッフの方が我々ボランティアの分の昼食を用意してくれていました。スタッフ用のTシャツも用意してくれましたし、遠いところからわざわざ…と感謝して下さいました。
こちらこそ…と私も感謝。楽しい時間を過ごせたし、思い出に残るボランティアとなりました。
15時過ぎには帰りのフェリーに乗らなくてはならないため、港へ向けて出発。大会に参加したランナーの方と共に、本土へ戻りました。
気仙沼港の近くにあったお魚市場で買い物をし、また一関へ戻ってお風呂に入り。
そこから高速へ乗って帰途へ。本当にあっという間に過ぎた1日。帰って来た時に、まるで夢でも見てたのかな?と思うぐらいの出来事だったような気がしています。
バス内2泊のみ、大島滞在半日ほどのまさに弾丸ツアー。『楽しむことが支援になる』その名のとおり、ランナーもボランティアも現地スタッフも島民の方々も、皆が楽しんだ。そう思えたような1日でした。
帰り際現地スタッフの方からちょこっと聞いたのですが、参加者から『またぜひ来年も』と言うお話はあったようです。なので、来年もできたら…とおっしゃっていました。
もし来年も行われるのなら、私もまた参加したい。今は休みの日にジョギングをしていますが、これを機に練習をして、今度はランナーとして走るのも良いかな?って思いました。
大島と言えば伊豆と言うイメージしかありませんでしたが、今回のこのボランティアで気仙沼にも大島があるって知った。
でも、その大島は東日本大震災で甚大な被害を受け、今でも苦しんでいる人がいる。現に若い世代の人達は島内で仕事がなく、本土へ出稼ぎに行っているのだそうです。そして、周辺で獲れた海産物は築地では受け入れてもらえず、東北で消費するしか無いのが現状なのだと。
その住人たちが、自分たちで今回のイベントを企画して、復興への道を切り開こうとしていた。私達は、そのお手伝いをさせて頂いた。
これが復興へのさらなる弾みになることを願ってやみません。
私の勝手な行動にも嫌な顔をせずに送りだしてくれた嫁、応援してくれた子どもたちにも感謝。
岩手に行った時もそうでしたが、いつかまた、今度は家族を連れて再び訪れたいと思っています。
昨年9月に岩手に行って以来の災害活動ボランティア。ここで、仕事のスケジュールとボランティアバスの運行日程がようやく合致。
保育園の親子遠足終了後、再び荷物をまとめて東北へ向かいました。
向かった先は、宮城県の気仙沼市。
気仙沼港エースポートからフェリーに乗り、25分ぐらい行った所に大島と言うところがあります。
東日本大震災の際には船等が流されて孤立してしまったために、アメリカ軍の支援が入ったと言うお話も伺いました。
ここで5月27日に行われた、『気仙沼大島ランフェスタ』にスタッフとして参加してきました。
今までのボランティアはどちらかと言えば瓦礫の撤去などの作業をするのが多かったのですが、今回はイベントのお手伝いと言う今までとはちょっと違ったボランティア。
夜行バスで道中何度か休憩。その都度外に出てちょっと運動してまたバス車内で寝て…の繰り返しで、朝の5時過ぎ(たぶん)には岩手・一関に到着。
道の駅で休憩がてら早い朝食と洗面を済ませて、そこから進路を東へ。6時半前には気仙沼に到着し、そこからフェリーに揺られること25分、ようやく今回の目的地の気仙沼大島に到着しました。
今回のボランティアに行く前の事前研修会で聞いた話だと、活動内容はエイドステーションに入る、ランナーの誘導、コース上の交通整理など。
現地で最終確認をすると言う話でしたが、当日現地スタッフからの説明でもやる内容は同じ。私に割り当てられた担当はコース上に設けられた進入禁止箇所に立ち、コース上に自動車とかが入ってこないようにすることでした。
元々そんなに交通量も多くなく、例年つばきマラソンと言うのを開催していましたので、島民の方々もそこは承知していたと思われます。なので、割り当てられた仕事は片手間に、走るランナーの声援が主な感じでした(笑)
参加ランナーも1200人ほど。いかにも私、ランナーです!って方もいれば、コスプレしている人もいらっしゃいました。
中には夫婦(カップルだったか?)で仮装している人も。2人して幼稚園児になっていました(笑)
10時にスタートして、12時30分過ぎまで行われたマラソン。沿道にいたスタッフや島民の方とハイタッチしながら走るランナーもいました。
そんな私もランナーに声をかけ続けていました。気づいてくれた人が私の元に近寄り、ハイタッチしてくれたり。一人一人にハイタッチしにいくランナーの方もいらっしゃいました。
走る方も、沿道から応援する方も楽しく、あっと言う間に時間が過ぎました。『楽しむことが支援になる』まさにそのとおりだったなと思います。
大島もまだ復興の途中。島内にはまだまだ津波の爪痕はたくさん残されていましたし、瓦礫の山や車の山々。
倒れたままの電柱や土台しか残らなかった家、舗装がはげたままの道路、更地。そんな場所がまだたくさんありました。
大島に住む住民の方からも少しお話を伺う機会もありました。ちょうど私の担当していたマラソンコースのその場所も、津波が押し寄せて来た場所だったこと。
私が立っているその場所まで津波が来た、その手前にあった(住民の)家は波に流されてしまったと。
でも、マラソンのために島外の人や県外の人まで来てくれる、本当にありがとうとおっしゃっていました。
雲一つない晴天で、外にいるには暑くて厳しいような天気でしたが、そのおばあちゃんはずっと沿道で声援を送っていました、『ありがとう』って。
レースも終わって、後片付けをして昼食をとって。
説明会の時には、自己完結できるように昼食も自分たちで用意しようと言う話になり、一関で買っていったのですが、現地スタッフの方が我々ボランティアの分の昼食を用意してくれていました。スタッフ用のTシャツも用意してくれましたし、遠いところからわざわざ…と感謝して下さいました。
こちらこそ…と私も感謝。楽しい時間を過ごせたし、思い出に残るボランティアとなりました。
15時過ぎには帰りのフェリーに乗らなくてはならないため、港へ向けて出発。大会に参加したランナーの方と共に、本土へ戻りました。
気仙沼港の近くにあったお魚市場で買い物をし、また一関へ戻ってお風呂に入り。
そこから高速へ乗って帰途へ。本当にあっという間に過ぎた1日。帰って来た時に、まるで夢でも見てたのかな?と思うぐらいの出来事だったような気がしています。
バス内2泊のみ、大島滞在半日ほどのまさに弾丸ツアー。『楽しむことが支援になる』その名のとおり、ランナーもボランティアも現地スタッフも島民の方々も、皆が楽しんだ。そう思えたような1日でした。
帰り際現地スタッフの方からちょこっと聞いたのですが、参加者から『またぜひ来年も』と言うお話はあったようです。なので、来年もできたら…とおっしゃっていました。
もし来年も行われるのなら、私もまた参加したい。今は休みの日にジョギングをしていますが、これを機に練習をして、今度はランナーとして走るのも良いかな?って思いました。
大島と言えば伊豆と言うイメージしかありませんでしたが、今回のこのボランティアで気仙沼にも大島があるって知った。
でも、その大島は東日本大震災で甚大な被害を受け、今でも苦しんでいる人がいる。現に若い世代の人達は島内で仕事がなく、本土へ出稼ぎに行っているのだそうです。そして、周辺で獲れた海産物は築地では受け入れてもらえず、東北で消費するしか無いのが現状なのだと。
その住人たちが、自分たちで今回のイベントを企画して、復興への道を切り開こうとしていた。私達は、そのお手伝いをさせて頂いた。
これが復興へのさらなる弾みになることを願ってやみません。
私の勝手な行動にも嫌な顔をせずに送りだしてくれた嫁、応援してくれた子どもたちにも感謝。
岩手に行った時もそうでしたが、いつかまた、今度は家族を連れて再び訪れたいと思っています。
過日の大震災では本当に苦労なさったことだと思います。改めて、お見舞い申し上げます。
私の住む地域においても、少なからず震災の影響はありましたが、被災地に住む方々に比べたらまだ贅沢な環境にあったと思います。そして今では、前となんら変わらない生活が送れています。
遠くの地での出来事でしたが、やっぱり私には知らん顔はできませんでしたし、あれだけの被害にやっぱり心は痛んだ。
それが、時間を見つけて現地でボランティアに…と言う行動を起こさせるのでしょうね。少しでも何かしたい、お手伝いしたい。それは今でも変わりません。時間が取れれば、仕事とのタイミングが合致すれば、また行きます。
理解のある嫁なので、賛成してくれるでしょう。
この気仙沼のマラソンは、また来年もできたら良いなと現地スタッフの方は思っているようで、ランナーの方々からもそんな声が上がったようです。
もし本当に来年があるなら、スタッフでも今度はランナーでもまた訪れたいと思っています。
別件で、家族旅行もしたいですね
まだまだ苦労なさっていることと思います、お身体には気をつけて下さいね。
私は宮城に住む者です。
お忙しい中気にかけていただき、応援いただきありがとうございます。
この被災では日本全国の皆様に助けていただきました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
いつかまた機会がありましたら奥様やお子様達とご一緒に是非いらしてくださいね。
元気に頑張ってお待ちしております(~~)/
ちなみにですが、家庭菜園は今年もやっています。(過去最大規模、もうじき収穫予定の野菜あり)
レジャーも行ってますが、毎度毎度散財するわけじゃないし。貯金もコツコツ貯めていますよ、いずれの夢がありますからね。
見ていて不快ならば、見に来なければ良いじゃないですか。それをいつも覗いては何かしらのコメントを残す。気になって仕方ないのはどちらかしら?
そして、あなたのやっていることは単なる侮辱、誹謗中傷。犯罪になりかねないんではないでしょうか?
今後同様のコメントをした際には、遠慮なく消させてもらいます。他の見に来てくれる方にも不快だろうし、はっきり言って大迷惑です。
そして、今までの経緯、経過等は全て残っています。度が過ぎるようならば、ブログの管理会社等に相談させて頂くような対応を取らせて頂きますので、ご承知おき下さい。
今年は嫁が働いてるのを理由に無
レジャーし過ぎで
金遣い荒い
貯金無