昨日は4件、夜中も1つ。真夜中の出場だったため非番で身体がだるく、帰ってきて昼食を食べたらあっという間に寝てしまいました。
夜中の出場があるないに関わらず、非番の日の昼食後に睡魔が強烈に襲って来ます。勤務の時に眠れればまだ抵抗する力はあるものの、寝れないと無抵抗のまま夢の中。
出場件数の少ない署へ異動したこともあり昼寝をしない日も増えましたが、今日は起きてるのが辛かったですね
この日の当直は普段と違った救急隊のメンバー。
いつもなら私は機関員、主に救急車の運転をしています。普段患者室に乗っている上司が不在だったため、機関員を消防隊の方にやってもらい私が後ろの患者室に乗りました。
救急隊3人の中で、一番傷病者と接触する時間が長いのは患者室に乗る隊員。隊長より、機関員よりも傷病者やその家族(同乗者)と接する時間があります。
現場到着から現場出発までは3人ともほぼ同じぐらい接する時間はありますが、救急車が動き出すと機関員は病院へ向けて運転、救命センターへ搬送するような重症事案でも無い限り、隊長も助手席(隊長席とも言う)に乗って機関員と一緒に安全確認しながら病院へ向かいます。その間に、より詳しい情報を患者室に乗る隊員は聞くわけです。
救急隊員になって2年目ぐらいまでは誰かが休みの度に患者室に乗っていましたが、ここ最近はずっと機関員で固定されています。
その車両の運転に慣れている機関員をなるべく固定させたいと言う当直責任者の判断もありますし、代わりに乗って下さる方が過去に救急隊員としての経験が豊富で隊長としての経験も有。
年齢も考慮して、やはり負担の大きい機関員を若手に…と言う考えもあるのかな、と思います。
この仕事が好きだし、機関員をやれと言われても特に不満は無かったのですが、やはり救急隊員の基本的な『観察』と言う面からみれば、機関員と言うポジションでは時間が足りないなと思う部分があります。今後もまだ救急と言う仕事をしたいなと考える以上、やはり後ろの患者室に乗っての勤務をもっと経験したいと言うのが本音。
傷病者に接触して車内収容して、病院が決まるまでは一緒に他の隊員と観察を行いますが、病院が決まってしまうとノータッチになってしまう。搬送中に隊員と傷病者やその家族とどんなやりとりがあって、実はどんな病歴があって…と言うのが分からないのです。搬送中の詳細観察にしても同じ。
今回後ろの患者室に乗っての勤務は本当に久しぶり。あらかじめ分かっていたことでしたので、経験が少ない分多少なりの不安もありましたが、楽しみでもあった勤務でした。
案の定、隊長からお叱りに似たアドバイスを受け、自分でもああすれば良かったな、こうすれば良かったなと反省材料も見えてきました。
空き時間で色々テキストを開いたり、訓練で上司から教わったことを実際に自分がメインで観察。勉強になった1当番でした。
今年度あと1回患者室に乗る機会があるかどうか。現場から学ぶことはたくさんあるので、もう少し患者室に乗る機会を増やしてほしいなと思っています。
正規のメンバーで無い時はぜひ患者室に…と交渉してみようかな
明日は3回目の結婚記念日。
仕事も休み、またまたお出かけしてきます
夜中の出場があるないに関わらず、非番の日の昼食後に睡魔が強烈に襲って来ます。勤務の時に眠れればまだ抵抗する力はあるものの、寝れないと無抵抗のまま夢の中。
出場件数の少ない署へ異動したこともあり昼寝をしない日も増えましたが、今日は起きてるのが辛かったですね
この日の当直は普段と違った救急隊のメンバー。
いつもなら私は機関員、主に救急車の運転をしています。普段患者室に乗っている上司が不在だったため、機関員を消防隊の方にやってもらい私が後ろの患者室に乗りました。
救急隊3人の中で、一番傷病者と接触する時間が長いのは患者室に乗る隊員。隊長より、機関員よりも傷病者やその家族(同乗者)と接する時間があります。
現場到着から現場出発までは3人ともほぼ同じぐらい接する時間はありますが、救急車が動き出すと機関員は病院へ向けて運転、救命センターへ搬送するような重症事案でも無い限り、隊長も助手席(隊長席とも言う)に乗って機関員と一緒に安全確認しながら病院へ向かいます。その間に、より詳しい情報を患者室に乗る隊員は聞くわけです。
救急隊員になって2年目ぐらいまでは誰かが休みの度に患者室に乗っていましたが、ここ最近はずっと機関員で固定されています。
その車両の運転に慣れている機関員をなるべく固定させたいと言う当直責任者の判断もありますし、代わりに乗って下さる方が過去に救急隊員としての経験が豊富で隊長としての経験も有。
年齢も考慮して、やはり負担の大きい機関員を若手に…と言う考えもあるのかな、と思います。
この仕事が好きだし、機関員をやれと言われても特に不満は無かったのですが、やはり救急隊員の基本的な『観察』と言う面からみれば、機関員と言うポジションでは時間が足りないなと思う部分があります。今後もまだ救急と言う仕事をしたいなと考える以上、やはり後ろの患者室に乗っての勤務をもっと経験したいと言うのが本音。
傷病者に接触して車内収容して、病院が決まるまでは一緒に他の隊員と観察を行いますが、病院が決まってしまうとノータッチになってしまう。搬送中に隊員と傷病者やその家族とどんなやりとりがあって、実はどんな病歴があって…と言うのが分からないのです。搬送中の詳細観察にしても同じ。
今回後ろの患者室に乗っての勤務は本当に久しぶり。あらかじめ分かっていたことでしたので、経験が少ない分多少なりの不安もありましたが、楽しみでもあった勤務でした。
案の定、隊長からお叱りに似たアドバイスを受け、自分でもああすれば良かったな、こうすれば良かったなと反省材料も見えてきました。
空き時間で色々テキストを開いたり、訓練で上司から教わったことを実際に自分がメインで観察。勉強になった1当番でした。
今年度あと1回患者室に乗る機会があるかどうか。現場から学ぶことはたくさんあるので、もう少し患者室に乗る機会を増やしてほしいなと思っています。
正規のメンバーで無い時はぜひ患者室に…と交渉してみようかな
明日は3回目の結婚記念日。
仕事も休み、またまたお出かけしてきます
最近ではタクシー代わりに救急車を要請する方が増えているようですね。 14年前 主人が外出している日曜日 金具が勢いよく眼球にぶつかり 目の中でハードコンタクトが割れ 半分ほどは 飛び出しましたが残りは鋭利な破片となって 涙に浮かび何枚も目のなかで移動していました。小さい頃から親に滅多なことで救急車は呼ばように言われていました(当たり前のことですが)あの時ばかりは 一人だったので、一瞬、頭によぎりましたが、主人にも連絡がとれ運良く 日曜日でしたが近所の眼科医に緊急対応していただきました。先生のお話ではかなり危ないところだったようです。今、冷静に考えれば救急車を呼ぶようなことでは無かったです。ケガも病気もしないで救急車のお世話にならないのが一番ですが 要請のタイミングは難しいです。
いつまでも素敵なご夫妻でいて下さいね♪
そんな私は先日入籍しました。
婚約者から嫁に昇格です。
彼も旦那さんになりましたがまったく実感がありません。
今までと変化がなくホントにお嫁に行ったのかな?ってカンジです。
変わったのは、お腹の赤ちゃんが5ヶ月になり悪阻も治まりお腹ぽっこりになりました。
また胎動を感じナィので、日々楽しみにしてる毎日です。
来年の結婚記念日には赤ちゃんも産まれているので、3人でのお祝いになると思いますが、私達夫婦が誕生した記念日なので、きちんとお祝いできたらなーっと思ってます。
ステキな結婚記念日にして下さいね。
3年目おめでとうございます。
やっぱりそういった記念日って大切な日だと思うので、調整つけられれば仕事を休んで出掛けられたら最高ですよね(⌒~⌒)
僕は彼女とそこそこ長く付き合っていて、付き合った記念日なども一緒に祝ってるんですが、
やはり結婚しても記念日は祝っていきたいです(^_^)v
それがいまの彼女となのかはわかりませんが、やはり本望としてはいまの彼女です。
ただ、これから自分は不規則な勤務になり、消防と言う職業を自分自身が理解するだけでなく、パートナーに理解してもらった上で支え合っていかなくてはならないと思うので、壁は何枚もある気がします。
逆に、自分が大変だからと言って相手だけに支えてもらうわけにはいかず、
自分もちゃんと相手の仕事や大変さも理解して、支えてあげなくちゃいけないのが、結婚…もしくは『付き合う』ということなんですよね。
大変なことではあるけども、それでも一緒に頑張っていけるっていうのはすごく幸せなことだと感じましたo(^-^)o
これから先も、夫婦そして子供たちと楽しく生活できるといいですね!
やはり消防職という仕事柄、危険が伴うので、家族も心配な点はいくつもあるとおもいますが、だからこそ絆も深いのかもしれませんね?
市民の自慢の消防職員として、そして家族の自慢のお父さん・旦那さんとして、
これからも元気に活躍してくださいo(^-^)o
長くなりすみません、
意気込んでしまいました(笑)
gonzo
小田原と言えば、小田原城、蒲鉾、小田原中継所(駅伝の)、箱根登山鉄道をイメージします。ちょっと足を伸ばせば箱根ですね。
梅林を見に行ったあと、魚を買いに行きました。早川沿いにある魚の加工センターみたいなところがあり、売り物にならない規格外の干物を格安で買って帰った覚えがあります。
あれだけの大きさでこの値段じゃ安い!と感激しました。多少のキズなんて食べちゃえば一緒ですしね
病院のやってない時に限って、思わぬ病気やけがをしたりします。チビムサシ君がまさにそうです。熱性けいれんやった時も明け方でした。
眼、大事に至らなくて良かったですね。
私達にとってみれば大したことないと思っても、救急要請した方に取ってみれば一大事。そう思うようにして接していますが、それでもこれはいくらなんでも…と思うことも。それが昨今言われている不適切利用と言うことですね。
そんな事例を時々はご紹介したいと思います。
私達は今回で3回目の結婚記念日、3周年は革婚式と言うのだそうです。『金』まではまだまだ遠いですね。(そこまで私が生きているか疑問ですが…)
婚姻届を出した段階ではまだ実感は湧きませんでした。後日挙式・披露宴をやったのですが、そこで初めて結婚したんだなって実感が湧きました。
子どもの誕生も待ち遠しいですね、性別が分かってくるのはもう少し経ってからかな?どちらが誕生するにしても、楽しみですね
お身体を大切に、そしてお幸せに
実は昨年の結婚記念日は当直勤務、やはり休みを申請しており、1度はOK出たのですが、一緒に勤務する当直メンバーで長期の研修に入ってしまう方が出てしまいまして、休みが取り消しになりました。
結婚記念日に仕事だったら休みを取ろうと結婚した時に思っていたのですが、2回目にして早くも崩れてしまいました(苦笑)
まだ子どもたちも小さいので、2人だけでささやかなお祝いと言うのも難しいので、2人でささやかにお祝いするのは子どもたちが独立してからかな?と思っています。
私達は付き合いが短いまま結婚をしました。なのでお互いのこともよく知らないまま結婚生活がスタート。他の夫婦と比べてスタートラインは遥か後ろで、手探りの状況でした。3年が経ってようやく掴めてきた部分があります。
色々思いやるべきだったなと反省点もありましたが、4周年に向けてお互い頑張ろうと言う話を今日はしました
お仕事お疲れ様です!そして結婚生活3周年おめでとうございます。
僕はまだ結婚どころか、彼女募集中!の身でコメントはできず申し訳ないです。
先月22日、23日宮崎シーガイアで行われたステアーレースに参加してきました。
この大会に参加した本来の目的は、現時点での「消防団員」としての体力(性能限界値)
を知りたかったこと、そして消防士を諦めて気持ちにケリをつけたいといいますか、
区切りをつけたかったのです。
地下1階から地上43階、景色も何もない非常階段を登る、実践的な想定の
競技でした。(前回までは放送用鉄塔の「外が見える」非常階段だったそうです)
最初は軽々と走っていたのですが10階辺りから足が思うように動かなく
なり次第にスピードダウン。歩きながらになってしまいました。
もうそこからは覚えていない・・・各階にいたボランティア(本職さん?)
「頑張れ!」とかの声と自分の「くそー」という気持ちだけだったのでしょう。
気づいたらゴールしてました。
43階のチャペルから見た日向灘や宮崎市内の風景は清々しく綺麗だった。
あの風景はきっと一生忘れないです。(高層ビルに行ったことが無かったこと
もあるのです)
なんとか完走して消防団員部門9人中 4位という結果。
3位とのタイムの差46秒。
さんざんな結果でしたが、本気で走っても不完全燃焼(?)納得できないそんな気持ちでした。
「勝負=順位」に納得できないという事ではないのです。
本当はまだまだ行けるの力を秘めているのかなと思いました。
何か自分には気づいていない力があるのかな? 自分って「中途半端な男」なんだな。
そう思いました。
「自分は井の中の蛙。まだまだ一人の人間として小さい」
「まだ何か出来ることがある。」「しなければならないことがある。」
「今まで本気でやっていなかったのかな」「本当に市民に向いて活動していたのか」
「地元の本職たちに馬鹿にされて小さくなっているのでは(小さくなる必要なんかないのに)」と思うばかりでした。
消防士になることを諦めるつもりが、逆になりたい、いやいやなれなくても消防団員を続けたい
もっと自分の技術、精神、体力を向上したいという気持ちが強くなってしまいました。
とにかく参加して得るものが大きかったです。
参加して本当に良かったです。
それでは。
私は故障持ちでして、疲れが溜まるとすぐに腰が痛くなってしまう。ひどい時には脚のしびれも発症しまして、ろくに動くことができなくなります。定期的に接骨院に通い治療を受けながら、腰痛を発症しないよう指導を受けながらちょっとずつトレーニングをしています。
ステアーレースも参加してみたいなと言う気持ちはあるものの、故障が怖い。そして仕事を休んでしまうと他の方に迷惑がかかるかなと思い踏み出せずにいます。
昔みたいに動ける身体に戻ってほしい、そう言った面ではうらやましく思ったりもします。
飛龍1983さんのお話を聞いて、私もやってやろう!と言う気持ちが強くなりました。目指す場所は違うかもしれませんが、明日からもまた頑張ろうと言う気持ちになりました。
どうもありがとうございました