さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

(無題)

2009-09-18 22:40:57 | 日々の雑感
『どうか、…あらゆる霊的な知恵と理解力によって、
 神のみこころに関する真の知識に満たされますように。』

         (コロサイ 1:9)

 ここで、そう祈られているのは、すでにクリスチャンとなった者。
 神様を知らない者ではない。
 すでに、救われ、聖霊によって、神のみこころをわきまえ知りえる者。
 だが、まだ完全では、ない。
 甘えと聞こえるかもしれないが、
 クリスチャン、だからと言って、完全ではない。

 自分の日々の小さな決断、選択、そのひとつひとつが、神様のみこころにかなったものなのかだけではなく、
 私たちが『知っている』と思っている、知られており、常に目にしていること、
 もっとも大事なことでさえ、時として、「みこころを本当に知っているとはいえない」可能性がある。
 むろん、その深さ、広さ、長さ、高さ・・・それは測り知りえない。
 神様のみわざを、その御旨をすべて知ることは、人にはできない。
 だが、私たちは日々、それを目にし、味わい、感謝し、
 そして、求め続ける。

        **********

 まったく異なるものであるならば、まだいい。皆が、そうと理解できる。
 だが、さも見かけが似ていたり、紛らせていた場合、
 または、もしも、馴染みのものが実は本来とはかけ離れていた場合、
 どのようにして、人はそれを知ることができるのか。
 結局、みことばによって、みことばを知り、
 両刃の剣よりも鋭い(ヘブル4:12-13)みことばによって、みこころを、そして、自らを知る。
 そのとき、自分を偽ってはならず、そして、
 よく語られている(語る)ことを吟味し、また、聞いているだけとならないようにすることが必要だが。
 他の人に当てはめて考えるのではなく、自己のこととして考えることが必要だが。


        **********

 至らない者であり、愚かな者である故、
 混乱させてしまうこともある。
 日々の小さなことさえ、おぼつかない面もあり、
 苛立たせてしまうこともある。
 ここにさわりとはいえ記すのが良いかどうか、と思い悩みつつ、

 その愚かな者のそれが、いつか貴方に何かに益となることをかすかに期待もしつつ、記す。

       


 「みこころを教えてください」
とともに祈り、聖霊によって、みことばを深く知り、味わい、
主に喜ばれるよう歩めることを願いながら。
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