さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

祈りの作法 (1)

2011-11-07 22:00:00 | Sunday 聖書雑学
(アルブレヒト・デューラー『祈りの手』)

<本題に入る前に>

 祈りの作法
 ・・・「一体、どの口がそれを言うんじゃ!!?」と、我ながら、思います。「なんでまた、そんな題材になってしまったんだ?」 と、つくづく思います(とはいえ、実は、その単語は、以前から目の前をちらほらしていましたが)。「お前が『作法』語るなんざ、100年たっても早いわ!!! ちゃんちゃらおかしいね!!」、自分自身、朝からそう、つくづく思います。

 いったい、どこぞのバカでアホんだらが、そんな大層なことをぬかすんじゃい。
 ・・・私メです(-_-;)


 ですが、今、どうしても書き留めておかなくてはならなくなりました。
 というのも、こんな大事なことを、昨日、私は言い忘れてしまったからなのです。


          ***********


 むろん、私は「ことばの人」(出エジプト記4:10)ではありません。

 自分のところの集会(教会)の、特伝から続けてこられた、熱心な新しい方と、他のクリスチャンの先輩とのやり取りを、耳をそばだてて聞かせていただいておりました。
「キャベツさんから、何かありませんか?」と、お声をかけていただいたときも、私は、「自分が何かを言う」ではなく、「その方が、何を、どのように、どこまで、理解しているのか」のほうを把握したいと思っておりました。(ですから、その人が思い巡らす時間や、自分なりに自分の言葉で表現しようとすることを、どうぞ、他の方々、奪わないでください)

私は、ゴミも石コロもない、美味しい食事を提供することももちろんそうですが、人に物を詰め込んで目をぱちくりさせるより、消化するのをお手伝いしたいと思っているのです。どんなに美味しい食物(出エジプト記16:13-15,16:31,民数記11:7-9,申命記8:3)でも、食べすぎたら吐き出してしまうだけですから。

 最終的に、その方の願うことについて、「どうぞ、お家でもお祈りください」とのみ、簡単にお伝えする程度でした。


         が。



 ・・・そもそも、そんなふうにお勧めするよりまず、どのように祈るべきか、全然お伝えしていなかったじゃないかorz
ということを、今日になって思い起こした次第なのです。

 とりたてて、ムズカシイことではありません。
 むろん、知っているに越したことはありません。

 表記について「祈りの際の注意点」「祈り方」・・・などなどあるでしょうが、私の手の上に示されたのは、これでした。畏れ多いことです。

 もし、これが、今後、そのような事態に直面するわけでないのでしたら、こんな覚え書きは、無意味でしょう。
 が、今後、同じようなことがまた、起こるとも限りません。
 
 そういうわけで、ここを通られる諸先輩方、また、友人各位、どうぞ、上記をご理解の上、温かく、この不作法者の拙い覚え書きをお読みいただけたら、ありがたく存じます。
 これは、自分への覚え書きとも言えますが、チラシの裏に書いた場合、今後、地震でいつなんどき無くなるかわかりません。また、このように覚書を書くことで、さらに教えていただけることも期待しつつ、したためさせていただきます。

 また、毎度ながら「だれにでもわかるように」(かつ、気付かれないように)覚え書きを残したい、と、そう思っておりますので、格式高いものではございません。ごくごく庶民的な物言いですが、その点もご了承いただければ、と存じます。(続く)
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